太田述正コラム#6489(2013.10.3)
<アブラハム系宗教非存在論(その2)>(2014.1.18公開)
 (3)神とアブラハムの聖約
 –序–
 「創世記(Genesis)は、アブラハムが<神から>「若干のいささか法外な(extravagant)諸約束」を受けたことを描写している、とレヴンソンは記す。
 そのうちの一つが、アブラハムが偉大な民族(nation)の父となるというものだ。
 彼が、不妊症の妻の年老いた夫であるにもかかわらず・・。
 神は、アブラハムが彼の家族を(今日のイラクであるところの)メソポタミアに残すことを条件に、その人々にカナン(Canaan)の地を与える、と。<(注5)>
 (注5)「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。・・・」創世記12:1-3、「あなたの子孫に、わたしはこの地<(カナン=ヨルダン川西岸=現在のパレスティナ)>を与える。」同12:7
 アブラハム「は、文明が発祥したメソポタミア地方カルデアのウル(現在のイラク南部)において裕福な遊牧民の家に生まれた、と学者らによって考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0
 彼は、息子のイシュマエル(Ishmael)<(注6)>をエジプト人奴隷によって授かる<(注7)>ものの、神は彼に、妻のサラ(Sarah)によって、彼女が90歳であるにもかかわらず、もう一人の息子のイサク(Isaac)<(注8)>も授かることを約束する。
 (注6)イシュマエルは、「85歳の老齢になるまで子宝に恵まれなかったアブラハムの長男。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%82%A8%E3%83%AB
 「イスラム教では、旧約聖書の伝承について、改竄にもとづく誤りを含みつつも神の言葉を伝えた啓典であると考えてはいるが、<アブラハム(アラビア語ではイブラーヒーム)>について<も>同様に考えており、アラブ人はイブラーヒームとイシュマエル(アラビア語ではイスマーイール)を先祖とみなしている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0 前掲
 (注7)「カナン地方を飢饉が襲ったため、一族はエジプトへの避難を余儀なくされる。アブラ<ハ>ムは<サラ>の美しさゆえに自身に危害が及ぶと案じたので、エジプト人の前では自分の妹(実際、異母妹ではあった)であると偽るよう彼女に懇願した。その懸念は現実のものとなった。<サラ>の評判を聞きつけたエジプトの王ファラオは彼女を娶り、その褒美としてアブラ<ハ>ムには莫大な富を与えた。しかし、度重なる災いがファラオと王家に降りかかるに及んで、<サラ>がアブラ<ハ>ムの妻であることを知った。激怒した彼は<サラ>をアブラハムに返すと、二人をエジプトから送り出した。・・・この道程の途上、神はアブラ<ハ>ムと彼の子孫に対して<改めて>カナンの地を与える約束をした。しかし<サラ>は不妊の女であった。彼女は75歳になるに至って自らによる出産を諦め、女奴隷のハガルを側女としてアブラ<ハ>ムに与えた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9
 (注8)「ユダヤ人はイサクの子ヤコブ(ヤアコブ)を共通の祖先としてイスラエル12部族が派生したとし、アブラハムを「父」として崇め、また「アブラハムのすえ」を称する。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%A0 前掲
 イシュマエルとイサクは、どちらも祝福と民族国家(nationhood)を<アブラハムから>承継(inherit)したが、イサクは、それに加えて神の選民の先祖(progenitor)となることを約束された。
 神は、アブラハムに対し、イサクを焼いて<生贄として>供えるならば、これら全てを自分のものにすることができる、と言った。
 良く知られた物語が説明(ralate)するように、神は火がパチパチと音を立て始めた時に<待てと>介入する。
 そして、イサクは選民を増殖させるために生き残る。」(B)
 「創世記では、アブラハムの物語は、果たして、神はこの家父長に行ったところの途方もない諸約束を履行するのか、だけでなく、アブラハムのどちらの息子がこれらの諸約束を承継するのか、という問題で我々を刺激する。
 通常であれば、<諸約束>の過半が、エジプト人奴隷がもうけたアブラハムの長男イシュマエルのものとなるはずだ。
 ところが、アブラハムの、長きにわたって不妊であって今や年老いた妻であるサラが奇跡的にもうけた次男のイサクだけが、この聖約を、従って、彼の父親に約束された地を、承継したのだ。
 –ユダヤ教–
 こういった全てのことは後にどういう役割を演じたのだろうか。
 ユダヤ教とキリスト教は、どちらも、歴史的に、自分達自身を、約束、奇跡、そして諸期待の逆転(inversion)により、(時として貶される)イシュマエルと自分達とを同定するのではなく、イサクと自分達とを同定させてきた。
 <しかし、>これは、<この二つの宗教の間の>和合(concord)ではなく、<むしろ、>競争の舞台を設えることとなった。」(A)
 「<このことは、>ユダヤ<教徒>にとっても余り良いことではなかった。
 ユダヤ教徒がアブラハムの諸約束をイサクを通じて承継していることを想起せよ。
 <ところが、>コーラン後のイスラム教徒達にとっては、イシュマエルこそが<アブラハムの、神に>愛されていた息子なのだ。
 よって、ユダヤ教徒が自分達がアブラハムの子孫であるとのいかなる主張も<イスラム教徒によって>拒否されるのだ。」(D)
(続く)