太田述正コラム#6523(2013.10.20)
<大英帝国の崩壊と英諜報機関(その2)>(2014.2.4公開)
 (3)MI6とMI5
 「<英国の>公衆は、外国で作戦行動を行う(秘密諜報機関(Secret Intelligence Service)たる)MI6<(注3)>と、国内戦線において責任を負う(保全機関(Security Service)たる)MI5<(注4)>の違いについてはよく知っているところ、ウォルトンは、諸植民地が国内戦線の伸長(extention)であると見做されていたことから、後者に専念する。」(C)
 (注3)「秘密情報部(Secret Intelligence Service=SIS)は、英国の「情報機関の1つである。外務大臣等の指揮下にあり、機構上は外務省に属しているが、実際は首相直轄の組織である。英国国外での人による諜報活動(ヒューミント)を主な任務としている。本部はロンドン。旧称からMI6(エムアイシックス、Military Intelligence section 6、軍情報部第6課)としても知られており、公式サイトに表示されているロゴも SECRET INTELLIGENCE SERVICE MI6 となっている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%98%E5%AF%86%E6%83%85%E5%A0%B1%E9%83%A8
 テームズ河畔のその本部の凝ったデザインを見よ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Secret_Intelligence_Service_building_-_Vauxhall_Cross_-_Vauxhall_-_London_-_24042004.jpg
 (注4)保安局(Security Service=SS)は、英国の「国内治安維持に責任を有する情報機関である。MI5(Military Intelligence section 5、軍情報部第5課)として知られている。本部はロンドン・・・。司法警察権は有さないため、スパイやテロリストの逮捕は、ロンドン警視庁(スコットランドヤード)が担当する。所管官庁は内務省。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E5%AE%89%E5%B1%80_(%E3%82%A4%E3%82%AE%E3%83%AA%E3%82%B9)
 テームズ河畔のその本部の威容を見よ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:MI5BuildingThamesHouse.jpg
→戦後日本には、MI5に相当する公安調査庁はあるが、MI6に相当する国家機関が存在しないわけだ。(太田)
 「MI5は、実際には、帝国全体を所管していた。
 だから、MI5の権限は、MI6のそれと同様に、いや、それ以上に国際的なものだった。
 しかし、1920年代と30年代において英国が感知したところの、帝国に対して次第に募る諸脅威にもかかわらず、MI5は、その上級幹部が紳士録に自分達の住所を掲載することさえするといった具合に、紳士的アマチュアの風潮をそのまま維持していた。
 <或いは、例えば、>ある高官は、極東に視察旅行に赴いた際、この地域における、魅惑的な諜報のお手柄群、及び、彼が会っていた様々な工作員達の描写、を妻宛ての手紙群に書いて送ったりした。
 これらの工作員達の一人はシンガポール駐在だったが、耳が遠いので声を張り上げないと彼と会話を交わすことができない<、などと手紙に書いた>。
 仮にこれらの手紙群が外国の諜報の手に落ちていたならば、彼らは、<極東地域の>英国の<諜報>網全体を瓦解させていたことだろう。
 幸いなことに、そうはならなかったが・・。」(D)
 「<MI5>に関する諸記録は、MI5が新独立諸国に関する責任をMI6に移管した時点に途絶えることになったが、このMI6は、<MI5とは違って>自分の諸記録を開示しない、ときている。」(F)
 (4)前史
 「ウォルトンは、1909年における<英>諜報諸機関の形成から<話を>始め、二つの世界大戦における諜報の諸失敗と諸成功について物語る。
 しかし、本当の話は<先の大戦が終わった>1945年から始まる。
 この年、枢軸諸国の英国の諸植民地の中での諸企みは、世界戦争が冷戦へと変容するとともに、反植民地・<植民地>解放諸運動へのソ連の支援がとって代わった。
 このため、英国の諜報の共産主義に対する戦争は、二又的に、帝国を維持すると同時に帝国から撤退するというものとなった。」(B)
→英米が同床異夢的に連携して、対赤露抑止を行ってきた日本帝国と戦ったことによって、大英帝国の過早な瓦解が決定的となった上、大英帝国から独立した諸国、並びに近い将来独立するであろう植民地地域を赤露の侵略から守る必要が、英本国に生じた、ということです。(太田)
 「英国人は、自分達が<諜報に係る>一連の陰険な諸技(わざ)の往時の名手たちであったと想像しがちだが、カルダー・ウォルトンが示すように、彼らは実際には、近代においては、<諜報活動を>始めたのは遅い方だったのであり、しかも、その初期においては、極度にアマチュア的だった。
 彼らの諜報行動が形を整えたのは第一次世界大戦の頃であり、(国内のための)MI5と(外国のための)MI6(ないしSIS)という名高い区別の下、第二次世界大戦までの間、伝説的な僅少予算でもって(on the proverbial shoestring)活動を続けた。」(D)
(続く)