太田述正コラム#6587(2013.11.21)
<アングロサクソン・欧州文明対置論(その3)>(2014.3.8公開)
 (4)アングロサクソン圏の属性
 「欧米文明<という言葉>でもって、結局のところ、我々は何を意味しようとしているのだろうか。
 <実のところ、それは「英語圏」文明なのだが、>先ほど引用したところの、チャーチルによる定義でもって、彼は、一体何に向かって<世界を>操縦しようとしていたのだろうか。
 第一に、法の支配だ。
 その時々の政府は諸ルールを定めようとするわけではない。
 これらの諸ルールは、より高度な平面に存在するのであって、それらは、独立した裁判官(magistrate)達によって解釈される。
 換言すれば、法は、国家コントロールの手段(instrument)ではなく、矯正(redress)を求めるいかなる個人に対しても開かれているメカニズムなのだ。
 第二に、個人的自由(liberty)だ。
 それは、何でも好きなことを言う自由(freedom)、仲間の市民達と自分が選ぶところの、いかなる形態においても集会を持つ自由、妨害を受けることなく売買する自由、自分の諸資産を望むように処分する自由、自分がよいと思ういかなる相手のためにでも働く自由、その逆に、自分が欲するように<他人を>雇い解雇する自由、だ。
 第三に、代表政府(representative government)だ。
 彼らを除く我々に対して責任を持つ(answerable)、選挙された議員達によってしか、諸法は採択されず、税金は課されない。・・・
 EUは、その27の構成国が共通の文明を共有しているとの前提に立脚している。
 その理論によれば、彼らの諸文化はどうでもよいことでは様々かもしれないが、全ての国が、共有しているところの、欧米の自由民主主義的諸価値と契約している(sign up)<、ということになっているが・・>。」(A)
 「H・G・ウェルズ(Wells)<(コラム#380、3710、4148、4717、5249、6576)>は、かつて、イギリスは、国民服(national dress)を持たないという点で世界の諸国(nation)の中で独特の存在である、と述べたことがある。
 彼は間違っているし、実に効果的な(telling)形で間違っている。
 背広<(注4)>とネクタイ<(注5)>というイギリスの国民服は、地球全域で着られているため、イギリスのように見えることを止めてしまった。
 (注4)「モーニングコートの裾を切り落とした上着が19世紀のイギリスで生まれた。イギリスではラウンジ・スーツ(Lounge Suit)、<米国>ではサック・スーツ(Sack Suit)と呼ばれ、当初は寝間着・部屋着、次いでレジャー用だった。しかし19世紀末から20世紀の初頭にかけて<米国>のビジネスマンがビジネスウェアとして着用し始め、その後世界的に普及した。襟は軍服の立襟から変化したと言われている。この上襟(カラー)が折り返された折襟(ギリーカラー)の狩猟用コートがビクトリア王朝時代のイギリスで流行し、この第1ボタンを外して外側へ折り返された部分が下襟(ラペル)となった。その後あらかじめ襟上部を外側へ開襟して仕立てたものがモーニングコートの襟となり、現在のスーツにも受け継がれた。スーツの元祖である正統派スーツはスリーピース・スーツであり、イギリスで生まれたスーツは貴族紳士の嗜みとされていた。<米国>人も入植初期の頃はイギリス様式そのままのスリーピース・スーツを着用し、ツーピース・スーツなど存在しなかった。ツーピース・スーツは正統派スーツを簡略化したもので着用様式も簡略化したものである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8C%E5%BA%83
 (注5)「19世紀後半にイギリスで・・・現在の主流となるネクタイと同じ形であるフォア・イン・ハンド・タイが生まれる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%82%A4
 公式の場では、大部分の国の男性達はイギリスの男性達のような衣服を身に付ける。それ以外の時は、彼らはその一番多くの場合、米国人達のように、ジーンズを身に付ける。・・・
 このような声明は、独りよがり(smug)で、自文化自慢(triumphalist)で、人種主義でさえある、という気に、若干の読者達をするかもしれない。
 しかし、それは、このいずれでもない。
 最初から、英語圏は、民族的(ethnic)概念ではなく文明的(civil)概念だった<からだ>。・・・
 「「英語圏」という言葉は最近できたばかりであり、ニール・スティーヴンスン(Neal Stephenson)<(注6)>の1995年のSF小説の『ダイヤモンド・エイジ(The Diamond Age)』<(注7)>で初めて用いられた。・・・
 (注6)1959年~。「<米>国の小説家、SF作家。」[ボストン大卒(主専攻は地理、副専攻は物理)。]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%B3
http://en.wikipedia.org/wiki/Neal_Stephenson ([]内)
 (注7)「1995年に発表した[近未来]SF小説。・・・21世紀半ば国家単位の世界は終わり、人種や思想、宗教、趣味や技術を共有する者が集まり《種族》(ファイリー)や《部族》(トライブ)という単位で組織を作っていた。三大種族は[漢人からなる]《漢》、[日本人からなる]《ニッポン》、[新ヴィクトリア時代的で概ねアングロサクソン人からなる]《新アトランティス》。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8
 新アトランティスは、企業<株主>寡頭制(corporate oligarchy)であり、象徴たる英王室を元首とするところ、その文化にアイデンティティを覚えるところの、英語圏のその他の構成員達である、インド人やアフリカ人達も受け入れている。ヒンドゥー教徒たるインド人からなるヒンドゥスタン(Hindustan)が4番目のファイリーなのか、小部族群の単なる寄せ集めなのかなのかは定かではない。
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Diamond_Age ([]内も)
→これは面白いですね。スティーヴンスンの発想は、私が、「ニッポン」が日本人だけでなく、人間主義を抱懐する全球的な共同体となっている近未来を想定している点こそ違えども、私の発想と極めて似通っています。(太田)
 米国人著述家のジェームズ・C・ベネット(James C. Bennett)<(注8)>は、英語圏の基準においてより過酷だ。
 (注8)1948年~。米国の実業家にして技術や国際問題に関する保守主義的著述家。
http://en.wikipedia.org/wiki/James_C._Bennett
 すなわち、英語圏の一部であるためには、英語をしゃべる諸文化の核心を形成している諸慣習と諸価値を遵守する必要がある。
 それには、個人主義、法の支配、諸契約や諸誓約(covenant)の尊重、自由を政治的・文化的諸価値の第一位の高みに置くこと、等が含まれる。
 英語圏を構成する諸国は、マグナカルタ、イギリス及び米国の権利の諸章典、そして陪審員による裁判、無実の推定、そして、「男の自宅はその城である」といったコモンローの諸原則が当然視される、という共通の歴史的物語を共有している。
 それはどの諸国か。
 いかなる定義に基づこうと、5つの中核的諸国である豪州、カナダ、ニュージーランド、英国、そして米国は含まれる。
→中核的諸国に米国が含まれるという発想は、イギリス人からは到底出てこないことでしょう。(太田)
 おおむね誰でも(almost all count)(その特殊な諸事情から)アイルランドもだ<と思うことだろう>。
 大部分の者はは、シンガポールと香港、及び、英国の植民地諸列島(バミューダ、フォークランド諸島、その他)の残滓も入れるだろう。
 幾ばくかは、より民主主義的なカリブ海諸国も含めるし、また、幾ばくかは南アも抱懐する。
 象・・この暗喩はまことにもって適切だ・・はインドだ。
 それが含まれれば、英語圏の総人口の3分の2を占めることになる。・・・
→ハンナンないしベネットがインドを英語圏に含めるのは、二重の意味でどうかしています。
 インドで英語・・ただしインド英語・・をしゃべる者は12%程度の1億人しかいません
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%88%A5%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E8%A9%B1%E8%80%85%E6%95%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
し、インドはつい最近まで、ハンナン自身やベネットのような保守派米国人が毛嫌いする社会主義政策を追求してきたからです。(太田)
 <英>宗教改革の後、多くの英語をしゃべる人々は、自分達の文明の興隆が神に嘉されている(providential)証であると見た。
 彼らの文明は新しいイスラエル、すなわち選ばれた民族(nation)であって、世界中に自由を運ぶために神によって任命された、と。
 英国の自由(liberty)への賛歌である、<第二の英国歌たる>「ルール・ブリタニア!(Rule, Britannia!)」<(コラム#3757、4214)>の冒頭は、余りにもしばしば、大きな声で力強く歌われるため、聞き耳が立てられることが殆んどないが、「紺碧の(azure)大海原(main)から天の命令(Heaven’s command)によって最初に立ち上がった時…」だ。
 同じ確信が、更にと言ってよい強烈な形で、最初の米国人達を動機付けた。・・・」
 20世紀中には、このような、過去における愛国心を誇示するような諸見解は流行らなくなった。 
 マルクス主義、反植民地主義、そして多文化主義が流行るようになると、歴史編集<姿勢>が変化したのだ。
 <それまで、>英米史の政治的里程塚群を寿いできた著述家達は、独りよがりで、文化的に傲慢で、何よりも悪いことには、アナクロである、と非難されたのだ。」(A)
(続く)