太田述正コラム#6595(2013.11.25)
<アングロサクソン・欧州文明対置論(その7)>(2014.3.12公開)
 しかし、現実は異なっていた。
 欧米文明を定義する三つの教訓(precept)である、法の支配、民主主義的政府、そして個人の自由、は、欧州全域で<イギリスにおけると>同等に価値あるものとはされていない。
 彼らが集団的に行動する際には、EUの構成諸国はこの三つ全体を政治的諸要請に従属させる用意が常にある。
 ブリュッセルのエリート達が欲する道に立ち塞がる場合は、法の支配は、いつも脇にどかされる。
 最も直近の例を挙げれば、ユーロ圏における財政援助(bailout)は明らかに違法だ。
 EU条約の第125条は紛れる余地がない<からだ>。・・・
 当時、フランスの財務大臣であったところの、現在IMF専務理事のクリスティーヌ・ルギャルド(Christine Lagarde)は、起こったことについて、次のように自慢した。
 「我々は、一致団結して本当にユーロ圏を救うために、全ての諸ルールを破った。
 リスボン<(=EU)>条約は明瞭この上なく、財政援助はダメだとしているが」と。・・・
 民主主義にしても、それは、目的<達成>のための諸手段の一つ<に過ぎないもの、>と見られている。
 それが望ましいことは間違いないが、あくまでもある所までだ<、というものとして・・>。
 後にリスボン条約と改名されたところの、欧州憲章(The European Constitution)は、何度となく国民諸投票で拒否された<代物だ>。
 2005年には、フランスの投票者達は55%、オランダの投票者達は62%、そして2008年にはアイルランドの投票者達は53%で・・。
 <民主主義を尊重するのであれば、話はこれで終わるはずだが、>EUは、これらの結果をハエを叩くように叩いて無視し、この条約を何が何でも押し付けるという対応を行った。・・・
 欧州大陸での慣用法では、「規制されていない」と「違法」は、イギリスで法制定が行われる各所においてとは異なって、はるかに近い二つの概念なのだ。
 <つまり、欧州大陸では規制は良いことであり原則なのであって、個人の自由もまた、全く尊重されていないのだ。>」(A)
→英国がどうしてユーロ圏に入ろうとしないのか、どうしてEUからの脱退が常に論議の対象であり続けているのかについての、かねてからの私の説明・・イギリス人は、ドーバー海峡の対岸から野蛮が始まると考えている・・を裏付けるところの、ハンナンが忖度したイギリス人のホンネが開陳されています。(太田)
 (7)英国対欧州:植民地
 「過去百年で三回、自由世界は、その諸価値を全球的諸紛争の中で防衛した。
 <すなわち、>二つの世界大戦と冷戦において、個人を国家より上に置いた諸国はその反対を行った諸国と戦った。・・・
 西インド<諸島>人達は、その大部分が奴隷の子孫だが、母国<イギリス>の直接的な息子達と共に人間の自由のために戦っている。
 ハヴィルダル・ヒラム・シン(Havildar Hirram Singh)は、<第一次世界大戦中に>北フランスのびしょぬれの塹壕群からインドの自分の家族に宛てて以下のように記した。
 「我々は、自分達に生気(salt)を与えてくれた者<、すなわち英国、>を尊敬している(honor)。
 我らの敬愛する(dear)<英国>政府による統治は極めて良く、かつ慈悲深い(gracious)ものだった」と。
 <また、>1918年には、<ニュージーランドの>マオリ族の一指導者が、ドイツの諸植民地の原住民達の運命を以下のように思い起こしている。
 「我々は、親戚であるサモア人達(Samoans)<(注14)>のことを知っている。
 (注14)サモワの近代史は以下の通り。
「1899年 – ドイツが西サモアを領有し・・・、<米国>が東サモア(現在の<米>領サモア)を領有する。
 西サモアでは、このころ第1次マウ運動と呼ばれる独立運動が起きる。
 1919年 – ニュージーランドを施政権者とする国際連盟委任統治領となる。
 1919年 – スペインかぜの流行で人口の22%を失う。
 1926年 – 第2次マウ運動の勃発。
 1929年 – ニュージーランド軍がサモア人群衆に発砲し、4人の大首長(タマ・ア・アイガ)のひとり・・・が死亡する(黒い土曜日事件)。
 1945年 – 国際連合信託統治領となる。
 1962年 – 独立。国名「西サモア」。
 1997年 – 国名を現在のサモア独立国に変更。
 2009年9月7日 – 路上の車の通行を日本からの輸入車の増大に伴い左側通行へ変更。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A2%E3%82%A2
 我々はドイツ領アフリカの東と西の原住民達のことを知っている。
 我々は、ヘレロ達の皆殺しのこと<(コラム#4416、4418、4420、4422、6266)>を知っており、そのことだけで我々にとっては十分だ。
 <インド亜大陸において、>78年間にわたって、我々は英国人の統治の下にあったのではなく、自分達自身の統治に参加してきたのであり、我々は、英国の主権の基盤が、恒久的な諸原則であるところの、自由、平等、そして正義に立脚していることを経験を通じて知っている。」(A)
→英植民地人たるこの二人の「証人」が相対的な真実を語っていることは事実ですが、日本の植民地統治と比べれば、それらが、目糞耳糞を嗤う類の「証言」であることを、我々は知っています。
 このことは、サモアの歴史を一瞥しただけでも感得できる、というものです。(太田)
(続く)