太田述正コラム#6832(2014.3.24)
<皆さんとディスカッション(続x2212)>
<太田>(ツイッターより)
 「…中国がウクライナ情勢から読みとるべき教訓は、決してロシアのやり方を真似してはならないという教訓だ。…」
http://j.people.com.cn/94474/8575870.html
 何もそこまで本音、言わなくてもいいのに。
 武力行使はもとより、尖閣に武装「漁民」を送り込んで窃取するなんてこともしないちゅうわけ。
<TA>
≫こんな銅製の大仏を拵えるような当時の日本の「銅の生産量が絶対的に少なかった」とは到底思えませんよ。≪(コラム#6830。太田)
 銅が不足したのは間違いなさそうです。長いですが↓
 「さて、古代銭貨に含まれる鉛の割合は、上記のような画期を経つつも、全体としてみれば逓増する傾向がみてとれる。この背景を考えてみたい。
 1つには、当時における銅と鉛の地金価格を同時に示す史料が見つけがたいものの、銅と比較して鉛は地金価格が安かったとみられ、鉛の割合を上げることによって鋳造コストを引き下げ、銭貨の発行により獲得できる出目の拡大化を狙った可能性を考えておく必要があるかもしれない。しかし、新銭の発行に当たり、旧銭10枚を新銭1 枚に相当させるという措置を基本的に採っており、一時的であろうと、品質の改悪化以上に新銭発行に伴う差益を得ることができるはずである。したがって、出目の拡大化は内在する要因として否定できないものの、原料コスト削減が鉛含有率増加の直接の誘因になったとは考えにくい。むしろそれ以外の要因を重視すべきであろう。
 そこで、当然想定されるのは、原料となる銅の不足である。文献史料などから銅生産量の変動に関連する内容を、時代を追って確認してみることにしよう。まず、奈良時代には、神護景雲2年(768)に銅に代えて調綿が認められたことに対して、八木充氏は料銅不足の結果とみている<(注釈118)>。八木氏は、さらに大仏開眼直後の萬年通寳銭の発行(765年)も料銅不足との関連を指摘している。ただ、銭貨の分析からすると、成分比における銅の減少はその時期には顕著ではなく、八木氏の指摘のように銅不足の兆候はあるとしても、それ以降と比べて、いまだ深刻な段階には至っていなかったものと推測される。
 ところが、隆平永寳の発行段階では、先述のとおり、新旧銭の併用を5 年に限っており、これは旧銭を回収して隆平永寳の素材とするためだったと考えるのが妥当であろう。そして、この段階までに和同銭の回収が進んでいたとみられることは、先に記したとおりである。また、この隆平永寳が発行された延暦15年には、やはり鋳銭のために銅製の帯金具の使用を禁じる措置まで行っている。この頃から、銅の採掘に限界が生じ、旧銭の回収によって新銭の銅材に充てるような状況が生まれていたことになる。
 この様相は、以後一層進行した。富壽神寳の発行期間中に相当する、弘仁12(821)年7月の太政官符にみられる鋳銭使解状には「採掘之銅乏少、作物之数有欠」とあり、銅の産出量が減少している様子が史料上からも明確にうかがえるようになっている。品質悪化の画期の1つとしては、先述のとおり、富壽神寳の発行時期を指摘することができるが、まさにそのような状況に陥ったのは、この時期における銅産の減少と対応させることができよう。・・・
 原料銅の不足は、承和年間にも複数の史料が確認でき、長年大寳が初鋳された承和15(848)年2月の太政官符には、諸国が鋳銭司に銅を送るべきところ、これを怠り、鋳銭に差し支えが生じた状況が記されている。ただし、貞観18(876)年には、長門国の百姓が、銅を勝手に採掘して食器や用具等を鋳造していた様子が描かれていることからすると、よく指摘されるように、単純な銅生産量の減少だけでなく、私富蓄積を求める百姓等による原料銅の未進という側面も無視できない。
 長門の状況に呼応するように、貞観・仁和年間には各所の銅産出地で調査や試掘などが行われており、銅材料の確保に躍起となっていたことがうかがわれる。この時期に発行された貞観永寳については、政府が体制を整備して良質のものを作らせようとしたことが鬼頭清明氏により指摘されている。・・・
 延喜通寳・乹元大寳という古代銭貨最末期の段階で1つ問題になるのが、ほとんど鉛銭と呼べるものもあれば、それ以前の銭貨と同様な成分組成のものもあり、個体によりばらつきが大きい・・・。・・・
 分析資料も少ないため、数値を過大視できないものの、・・・原料銅の極度の不足から結果的に鉛銭になったとすれば理解しやすいのではなかろうか。・・・
 延喜通寳以後、鉛銭が出現するまでに至る背景には、原料銅の枯渇とともに、また別の側面も考えておく必要があるかもしれない。古代における銭貨の発行は、都城などでの造営事業に対する対価としての側面が大きいと指摘されているが、寛平以降には大規模な造営がなくなることが指摘されており、その意義を失った寛平大寳の発行の後、質をある程度維持すべきという重要な要件も失われ・・・ていったのであろう。・・・
 このように、銅採掘量そのものの減少に、律令国家の支配力の弱体化による原料銅未進も加わり、鋳銭に用いる原料銅の確保が徐々に困難になっていき、金属組成における銅の減少と鉛の増加という変遷を辿ったとみられる。そしてさらには、金属貨幣の需要度の減少なども手伝って、鉛銭の出現にまで至ったといえるであろう。
 <(注釈118) 八木 [2000] を参照。なお、同じく八木氏は、奈良前期には長登銅山跡から各所への供給の木簡が出土しているため、鋳銭用料銅を越える銅が生産されたとみており、銅生産が順調であったことを推測している。>」
http://www.imes.boj.or.jp/research/papers/japanese/02-J-30.pdf
 鉛銭で銅銭の代替ができなかった理由は、強度の問題なのでしょうか。
 結論。よくわかりません・・・orz
<太田>
 奈良の大仏さんから下掲へと飛んでいたのがこれまでの私の認識であり、その間、銅生産量が減少していたことは知りませんでした。
 「日本は13世紀末には、金をはじめとして銀、銅が多く産出され、世界的に注目されるほどの鉱山国でした。」
https://www.kahaku.go.jp/special/past/mineral/mine03.html
 情報提供に感謝します。
 
 「時代とともに銅の採掘量が減少していったことと、律令国家の支配力が弱体化し採掘地から銅が納められなくなっていっためられなくなっていったことから、鋳銭に使うための原料銅の確保がしだいに困難になっていった<と>みられる・・・
 <この結果、鉛の含有率を高めざるをえなくなり、その結果。>銭の価値<が>低下<し>、通用<が>困難<になったこと>に加え、政府による大規模な造営工事もなくなり、銭を発行する意義が薄れていく。そして天徳2年(958)の乾元大寳をもって皇朝十二銭の鋳造は終わりを告げる。 こののち、中世になると銭貨が大量に使用されるようになるが、それは国家権力とは関係なく、交易活動が活発になったことから生まれてきた。ただし、政府による発行は行われず、中国から輸入した宋銭や明銭など「渡来銭」がその主役であった。日本が再び自前の銭貨を大量に発行し流通させるようになるのは、江戸時代、徳川幕府の三貨制度ができてからである。」
http://www.rekihaku.ac.jp/publication/rekihaku/144witness.html
 上掲の典拠も併せ、整理すると、一、国の直轄事業の消滅、二、国の銅調達力の減衰、三、銅産出量そのものの減少、の三つの要因から、銅銭発行が停止された、ということのようですね。
 譬えとして適切であるかどうか分かりませんが、銅銭は、定価の書いてある耐久性のある恩賜の煙草みたいなものであって、皇室が皇居の手入れに関心をなくしたために国民に勤労奉仕をしてもらう必要がなくなり、更には、煙草専売制が瓦解し、煙草生産自体が減少したこともあって、恩賜の煙草が出回らなくなった、といったところでしょうか。
 蛇足ながら、鉛は、毒性があり、柔らかく、融点が低い、等
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%9B
貨幣には余り向いていないと思われますし、「銀銭は和銅元年(708)5月に発行が開始されたが、翌年8月には使用を廃止しており、きわめて短期間のものであった 」ところ、「飛鳥時代までの日本は銀を産出せず、674年の対馬銀山の発見が始まりである。平安時代はほぼ対馬のみの産出であった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8A%80
ことから、それぞれ、銭には基本的に用いられなかったのでしょう。
 ただし、鉛については、銅銭の成分に含有されていたわけですし、銀については、「平安時代になると『延喜式』で対馬の調は銀と定められ、大宰府に毎年調銀890両を納めるよう命じられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E9%A6%AC%E9%8A%80%E5%B1%B1
とあり、これ、産出量としてどの程度のものなのか、よく分かりませんが・・。
 (金については調べませんでした。)
 とまれ、ここでのキモは、銅銭生産が、そもそも、支那のありとあらゆる制度を模倣した律令体制の下で、その一環として、支那的な都等の造成と支那的な貨幣の導入のために行われたものであって、銅銭を交易のために用いることを最大の目的として行われたものではない、と言えそうなことです。
 ですから、造成が概成し、造成意欲そのものも減衰するとともに、交易ニーズに必ずしも立脚していなかったところの、銅銭生産は、(国の銅調達力の減衰と銅産出量そのものの減少もあずかり、)銭の原料を他の金属に切り替える等の試みなどなされないまま、終焉を迎えた、ということだと私は思うのです。
 
 ところで、私は、平安時代末~鎌倉時代初に交易が盛んになった、ということ自体を疑っている(、よって、当時における宋銭の流通理由はそこにはないと考えている)わけですが、この点を、この際、ついでに検証をしていただけるとありがたいな。
      
<きよきよ>
 ・・・中共の日本に対するホンネは、まさに太田さんの読み通りのようですね。
 ますますのご活躍祈念しております。
<太田>
 そう言ってくれるのは、太田コラムの熱心な読者だけ、という日本の不思議さよ。
 それでは、その他の記事の紹介です。
 早稲田大は終わってることが再確認できるな。↓
 「・・・小保方氏の論文を検証するブログでは、早大で小保方氏が所属していた研究室などで、他の学生の博士論文にも、海外の他論文からのコピーアンドペースト(いわゆるコピペ)があるとする指摘が上がって・・・」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/140320/wlf14032004340003-n1.htm
 笹井サンの怪しげさも再確認できるな。↓
 「・・・若山・・・照彦・山梨大教授・・・によると、最終稿が理研発生・再生科学総合研究センターの笹井芳樹・副センター長(52)らから届いたのは、英科学誌「ネイチャー」で掲載が決まってから1か月後の今年1月。すでに大幅な修正ができない時期で、若山教授は自分の研究部分以外はチェックしなかった。・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20140323-OYT1T00086.htm?from=ylist
 落語みたいなハナシだねー。↓
 「「新事実出れば新談話を」自民・萩生田特別補佐・・・」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20140324-OYT1T00148.htm?from=y10
 「・・・韓国外交部「容認できない」・・・」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140324-00000670-chosun-kr
 安倍首相のアンネ・フランク博物館訪問、こんな大ニュース扱いに値する話かねえ。↓
http://www.bbc.com/news/world-asia-26710575
 そりゃそうだわな。↓
 「『ブルータス』愛読の韓国人デザイナー「日本には敵わない」・・・」
http://news.infoseek.co.jp/article/postseven_246081
 ジャパンタイムズのこの記事、フォーリンポリシー紙に転載されてたが、インドネシアでの慰安所については、まだ分かってない部分も多い
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6#.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.89.E3.83.8D.E3.82.B7.E3.82.A2.E3.80.81.E3.83.95.E3.82.A3.E3.83.AA.E3.83.94.E3.83.B3.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E6.85.B0.E5.AE.89.E5.A9.A6.E3.81.AE.E5.BC.B7.E5.88.B6.E9.80.A3.E8.A1.8C
以上、ジャパンタイムズは、留保を付けずにこんな記事を掲載・配信しちゃダメじゃん。↓
 ・・・A Japanese chief warrant officer stationed on the Indonesian island during the war told a Justice Ministry investigation in August 1962 that he brought about 70 women to the military brothels.
 According to the document, about 200 more women were also taken to the brothels.
 <隠蔽のために、日本軍は現地住民達の口封じにカネを配った、と。↓>
 He also said he was given about \700,000 to use to appease local residents. The officer said using money worked really well and there was not one complaint related to sex slavery.
 The former Imperial Japanese Navy officer also said that what he feared most was the existence of these wartime brothels becoming known・・・
http://www.japantimes.co.jp/news/2014/03/23/national/imperial-army-paid-to-hush-up-sex-slaves/
 今回のロシアによるクリミア併合に類することは、戦後の世界でごくありふれた話である、と指摘するコラムだ。↓
 <トルコのキプロス北部の「併合」。↓>
 ・・・In 1974, Turkey invaded northern Cyprus, and continues to occupy the northern third of the island under an unrecognized puppet regime.・・・
 <モロッコによる西サハラの併合。↓>
 As Turkey was grabbing Cyprus, Morocco snatched the massive and resource-rich Western Sahara — like Russia’s Crimea move, in a swift action that did not result in the firing of a shot.・・・
 <北ベトナムによる南ベトナムの併合、インドネシアによる東チムールの併合(後にインドネシアがドジったために分離独立)。↓>
 Perhaps the most egregious examples are the bloody conquests of entire countries. It seems 1975 was the year for such things, with North Vietnam wiping South Vietnam off the map and Indonesia seizing East Timor. ・・・
 <アルメニアによるアゼルバイジャンの一部の併合、ロシアによるグルジアの一部の「併合」。↓>
 More recently, Armenia successfully conquered parts of Azerbaijan in the 1990s, a move condemned by the EU but that seems unlikely to be reversed. And, of course, Russia snagged parts of Georgia just five years ago — and, after a series of Western threats, was punished with an Olympic Games.・・・
 <以上は全て、殆んどお咎めがなかったケース。例外的にお咎めがあったのは、サダム・フセインによるクウェート占領と1967年の6日戦争でのイスラエルのパレスティナ領占領、くらい。↓>
 Saddam Hussein’s invasion of Kuwait, which led to an international effort to eject him, is not the paradigm but rather the exception.・・・
Israel’s 1967 Six-Day War successes are the exception that prove the rule・・・
http://www.latimes.com/opinion/commentary/la-oe-kontorovich-crimea-modern-conquests–20140324,0,1528937.story#axzz2wquaYjX0
 昨日掲載したきゃりぱみゅ記事関連記事だ。↓
 「きゃりぱみゅ人気“赤道”越えた!初のシドニー公演で21曲熱唱・・・」
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20140324-OHT1T00031.htm?from=yol
 太田コラムで取り上げられたところの、イギリス人の子供への冷たさについて、私がコラム#89で紹介したヴェネティア大使の報告書を引用しつつ、中世にゃ、イギリスを含むところの、地理的意味での北欧では、どこでも同じようなもんであったかのようにゴマかしたコラムをBBCが載せるとはねえ。↓
 What medieval Europe did with its teenagers・・・
http://www.bbc.com/news/magazine-26289459
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太田述正コラム#6833(2014.3.24)
<網野史観と第一次弥生モード(その9)>
→非公開