太田述正コラム#6771(2014.2.21)
<資本主義と不平等(その6)>(2014.6.8公開)
 (4)総括
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<脚注:記号の定義>
β:資本と年間総所得フローの比率(the ratio between thus defined capital and the annual total income flow. )
r :資本の収益率(the rate of return on capital)
g :経済成長率(the rate of growth of the economy)
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 「ピケティのアプローチが生き残るか破綻するかは、r>gであることについての証拠が十分に強固であるかどうかにかかっている。・・・
 βは、先進諸国では、1700年前後から第一次世界大戦までの間、上昇し続けた。・・・
 ジェーン・オースティン(Jane Austen)<(注11)コラム#475、508、2502、3135、4539)>からオノレ・ド・バルザック(Honore de Balzac)<(注12)(コラム#1777、4789)>に至る文学上の諸事例を極めて効果的に用いて、ピケティは、当時の欧州がそうであったような、高い資本の収益率を持った資本に富んだ諸社会においては、しばしば、働くよりも、<資本を>集中させたり、金持ちの配偶者を見つけたり、さもなければ財産を相続したりする方が賢明だったと指摘する。
 (注11)1775~1817年。イギリスの女性小説家。「オースティンの長編6作品は、全て平凡な田舎の出来事を描いたものである。求めた題材の範囲は非常に狭く、6作とも登場人物は名家の娘と、牧師や軍人などの紳士で、この男女が紆余曲折を経てめでたく結婚して終わる。・・・オースティンが生れた翌年の1776年にアメリカ独立宣言がなされ、20代前半にはフランス革命が起こっている。だがオースティンの作品にはそういった出来事は完全に排除されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3
 (注12)1799~1850年。「19世紀フランスを代表する小説家。・・・の小説の特性は、社会全体を俯瞰する巨大な視点と同時に、人間の精神の内部を精密に描き、その双方を鮮烈な形で対応させていくというところにある。そうした社会と個人の関係の他に、芸術と人生、欲望と理性、男と女、聖と俗、霊肉といった様々な二元論をもとに、時に諧謔的に、時に幻想的に、時にサスペンスフルにと、様々な種類の人間を描くにあたって豊かな趣向を凝らして書かれた諸作品は、深刻で根源的なテーマを扱いながらもすぐれて娯楽的でもある。高潔な善人が物語に登場することも少なくなく、かれらは偽善的な社会のなかで生きることに苦しみながら、ほぼ例外なく苦悩のうちに死んでいく(『ゴリオ爺さん』、『谷間のゆり』など)。・・・事業の失敗や贅沢な生活のためにバルザックがつくった莫大な借金は、ついに彼自身によって清算されることはなく、晩年に結婚したポーランド貴族の未亡人ハンスカ伯爵夫人の巨額の財産がその損失補填にあてられた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%AB%E3%82%B6%E3%83%83%E3%82%AF
 勉学と仕事に立脚した素晴らしいキャリアと、ある者が金持ちの女子相続人と結婚したならば可能となるところの、それよりもはるかに豪勢なライフスタイル、というトレードオフについて、比類なき明確さと暴虐さでもって、バルザックの『ゴリオ爺さん(Le pere Goriot)』<(注13)>の中で世間通のヴォートラン(Vautrin)が若きラスティニャック(Rastignac)に開示している。
 (注13)「1835年に発表された長編小説で代表作。・・・1819年のパリを舞台に、子煩悩な年寄りゴリオ、謎のお尋ね者ヴォートラン、うぶな学生ウージェーヌ・ラスティニャックの3人の生き様の絡み合いを追う。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B4%E3%83%AA%E3%82%AA%E7%88%BA%E3%81%95%E3%82%93
 この(いい結婚をすることで<財産の>相続ができる時に、一生懸命に働いたって無駄ではないのか、という)トレードオフは、ピケティによってラスティニャックのジレンマと呼ばれているのだが、それは、19世紀のイギリス及びフランスの諸文学の読者達には、全て、余りにもよく知られていることだ。
 <もっとも、>その答えは余りにも明白だったので、ラスティニャックのジレンマは、大部分の場合、提起(pose)されることさえない。
 ジェーン・オースティン<の諸小説>を読んだ者で、(我々はここでは人的資本とは似ても似つかない存在であるわけだが、)教育が、若き淑女達と紳士達の結婚に対する諸展望を増進させるために最も多くの場合有用であるところの心地よい活動であること、(登場人物達が本当に深刻なトラブルに遭遇でもしない限り)仕事には決してついてはならないこと、そして、あらゆる人の社会的地位は(大部分男性であるところの)人が自由にできる年次レント(rent)で計られること、について、なお、疑問を抱く者などはいない。
 先進資本主義諸経済が向かっている(trending)のは、最も最近の諸見解によれば、再び巡ってきた<ところの、かつての>タイプの社会への回帰なのだ、とピケティは主張する。
 これらの諸経済が向かいつつある(moving toward)のは、ラスティニャックのジレンマが再び意味を持つよう(relevant)になるところの、所得諸関係なのだ。
 しかし、欧州大陸、英国、及び日本において、(そして米国においてはより少なく)ベル・エポック(Belle Epoque)<(注14)>の時期の後、βがまっさかさまに下落したのはどうしてだったのだろうか。
(注14)良き時代。「主に19世紀末から第一次世界大戦勃発(1914年)までのパリが繁栄した華やかな時代、及びその文化を回顧して用いられる言葉である。19世紀中頃のフランスは普仏戦争に敗れ、パリ・コミューン成立などの混乱が続き、第三共和制も不安定な政治体制であったが、19世紀末までには産業革命も進み、ボン・マルシェ百貨店などに象徴される都市の消費文化が栄えるようになった。1900年の第5回パリ万国博覧会はその一つの頂点であった。単にフランス国内の現象としてではなく、同時代のヨーロッパ文化の総体と合わせて論じられることも多い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%9D%E3%83%83%E3%82%AF
 それは、二つの世界大戦の異常なる時期の間の資本の物理的破壊、相続への高い課税、そして、「没収的な(confiscatory)」<高い>所得諸税・・そのどちらも、戦争努力を維持するための必要性と密接にリンクしていたわけだ・・、そして、債権者に比べて債務者を利した高いインフレ率、更に、最後には、第二次世界大戦後の、より労働者に優しい政治的雰囲気、のせいである、とピケティは主張する。
 これら全ての諸要素が、資本の集積を阻害し、βを減少させたというのだ。・・・
 しかし、1970年代末のサッチャー–レーガン諸革命とともに、この黄金時代は<背景に>退き、資本主義は、19世紀末において持っていた形態へと復帰(revert)したのだ、と。」(C)
 (続く)