太田述正コラム#0246(2004.2.1)
<自民党議員・元議員の自衛隊イラク派遣反対(続)>

 (2) 亀井静香氏について
 非論理的なことや、わけの分からないことを、百も承知の上で口にして吉田ドクトリンを墨守しようとする・・米国に日本の外交・防衛を丸投げし、米国だけに血と汗を流させ、対米上必要最小限度の見掛けだけの自衛隊を維持し、決してその自衛隊は使わず、ひたすら経済的利益だけを追求する・・加藤氏や古賀氏とは違って、亀井氏の自衛隊イラク派遣反対意見は、イラク派遣自衛隊員のことを心配した、論理的で筋が通った意見のようにも見えます。
 私自身、集団的自衛権行使を禁じつつ、自衛隊を戦時のイラクに派遣するのは、派遣隊員の安全上の見地からも無責任極まりないと主張してきたところです。
 しかし、本当に亀井氏は集団的自衛権行使を禁止する政府憲法解釈変更論者なのでしょうか。
 前回の自民党総裁選挙には亀井氏も立候補の動きを見せ、当時政見も明らかにしていますが、その中にこのような主張が入っていたという記憶はありません。
 亀井氏は自民党の三番目の大派閥の長であり、加藤、古賀両氏同様、総理や自民党執行部を恐れる必要のない立場です。
してみると彼の本会議欠席は、自衛隊のイラク派遣部隊から犠牲者が出て小泉内閣が退陣に追い込まれる場合を想定し、・・期待しているとまでは言わないことにしましょう・・その後をねらって布石を打った、純粋に政局がらみの動きでしょう。
(私は、吉田ドクトリン原理主義者たる加藤「タリバン」とは異なり、古賀氏は、阿吽の呼吸で亀井氏と連携して動いているのではないか、と勘ぐっています。その更に背後には、「今のところ」民主党の小沢一郎氏の姿が見え隠れしています。)
 自民党の中で「まとも」な安全保障論を唱える議員に対しては、彼らがウラで吉田ドクトリン墨守勢力と野合しているのではないか、と常に疑ってかからなければならないのです。

<参考:自民党の派閥の系譜と現状>
?? 池田派から堀内派(47人)    :池田勇人→前尾繁三郎→大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一→加藤紘一(宏池会)(河野洋平が離脱し河野グループを結成)→(2000年11月の「加藤の乱」で)堀内派と加藤派(加藤氏議員辞職に伴い「小里グループ」)に分裂
?? 佐藤派から橋本派(89人)     :佐藤栄作→田中角栄→竹下登→小渕恵三→橋本龍太郎
?? 岸派から森派(61人)       :岸信介→福田赳夫→安部晋太郎(岸の娘婿)→三塚博(三塚博と加藤六月が跡目を争う「三六戦争」。後に加藤六月は離党)→森喜朗派と亀井静香派(後に亀井は中曽根派の一部と「江藤・亀井派」を結成)に分裂
?? 三木・松村派から高村派(16人)  :三木武夫・松村謙三→三木武夫→河本敏夫→高村正彦 
?? 河野派から山崎派(28人)     :河野一郎→河野謙三→中曽根康弘→渡辺美智雄→山崎拓派と長老組とに分裂、長老組は亀井静香派に合流(後、「江藤・亀井」派)。
?? 江藤・亀井派から亀井派(46人)  :江藤隆美・亀井静香→亀井静香

 このほか、小里(貞利)グループ(既に言及)16人、河野(洋平)グループ9人及び二階(俊博)グループ7人、無所属40人。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/yougokaisetu-seiji.htmhttp://www.geocities.com/jiminlist/JHABATU.HTM(2月1日アクセス)から作成。人数は所属の衆議院議員と参議院議員の合計です。)

 (3) 箕輪登氏について
 箕輪氏は、1999年にも、日本周辺有事を念頭に置いた新しい日米防衛協力ための指針(ガイドライン)の関連法が国会で成立した際、これは「戦争を支援する正真正銘の法案であり、憲法に違反するものである」と述べて話題を呼んだことがあります(http://fpj.peopledaily.com.cn/1999/05/26/newfiles/a1210.html。1月30日アクセス)。

 どうやら箕輪氏は本当に「専守防衛」論を信じておられるようです。
だとしたら、彼こそ在職中の職務怠慢について、訴えられてしかるべきです。
 「専守防衛」論は、日本の周辺はもとより、世界で何が起こっていようと気にせず、日本に対する武力攻撃以下にだけ対処しようという政策です。
しかし、日本に対する武力攻撃以下にだけ対処するのであれば、日米安保条約があり、朝鮮半島に米軍が前方展開している以上は、「平時」に日本に米軍が駐留している必要もなく、かつまた自衛隊の規模も大幅に縮小しても差し支えありませんでした(コラム#30、58、159、160)。
そんなことは、政府・与党において、少しでも安全保障問題に携わっておれば、すぐ分かったはずです。(吉田ドクトリン墨守自民党議員の大部分は、このことを分かっていると思います。)
ですから、箕輪氏は、防衛政務次官当時、或いは衆議院安全保障特別委員会委員長当時、はたまた自民党国防部会副部会長当時、その所掌柄、在日米軍の撤退、駐留経費の削減、そして自衛隊の大幅削減に向けて尽力されなければならなかったはずです。
 ところが、箕輪氏は当時、全く逆のことをされていた記憶があります。
 防衛族の有力メンバーの一人として、毎年防衛費の増額等に向けて努力を傾注されていたのです。
 百歩譲って箕輪氏が、政治家的嗅覚が乏しく、本当に「専守防衛」のためにも、駐留米軍や大規模な自衛隊が必要だと「誤解」されておられたとしてみましょう。
 それなら、日本に対する武力攻撃に自衛隊や米軍が円滑に対処するための、(米軍との連携のための法整備を含む)有事法制の整備等が全くなされていなかった実情に慄然とされ、当時その改善に向けて全力を傾注されてしかるべきところ、そんな記憶も全くありません。

 1990年に議員を辞められて悠々自適の引退生活を送っておられる方を批判するのはしのびないのですが、かって公人であったお立場をわきまえられて、ためにする勢力にかつがれて世間を惑わされるのは、やめていただきたいものです。

(完)