太田述正コラム#6863(2014.4.8)
<米国の分裂をどう克服するか(その2)>(2014.7.24公開)
 (3)分裂へ
 「しかし、すぐに世俗的な知識人達と叛乱的な若者達は、この関係の中からキリスト教を投げ捨ててしまった。
 役に立てばいいじゃないの(working-just-fine-thank-you)的暫定協定(modus vivendi)が、1960年代と70年代の激動の中で死滅し、米国における公的生活は、その「第一諸原理」を失った。
 共通の道徳的・知的土壌から引っこ抜かれ、爾来、我々は、文化諸戦争、分極化、そして矮小化された国家目標によって悩まされ(beset)、分裂し、漂流を続けてきた。」(A)
 「ジョージ・マースデンにとって、リップマンは、リベラルな世界観の致命的パラドックス・・近代的ポスト・キリスト教的リベラリズムの大志と<米国の>伝統的な(tradition’s)第一諸原理との間の次第に拡大する距離・・を把握していた、数少ない20世紀のリベラルの一人だった。
 マースデンの言上(telling)では、1950年代のリベラル知識人達は、自分達は人間の自由の擁護者達である・・すなわち、<自分達は、>当世の全体主義に対する論争に18世紀の啓蒙主義の大義を持ち込ん(bear the cause of)でいる・・、と見ていた。
 ところが、リップマンによる、道徳法則とより強い行政権(executive authority)への呼びかけを批判するにあたって、<当時の>彼のリベラルな同僚達は、これらの諸安全措置抜きでは、自分達の理性と自由への信条は流砂(shifting sands)の上に置かれてしまうことに気付かなかった、というのだ。
 マースデンは、<この本>の中で、<彼らは、>「米国的啓蒙主義の諸目的を、ただし、あの啓蒙主義の知的(intellectual)な、すなわち、キリスト教的、ないしは少なくとも一神教的(theistic)な、諸手段(means)抜きで、維持しようと」試みた、と書いている。・・・
 彼は、今日の米国の政治の、分極化し、麻痺した状況は、歓迎されざる変化に対する保守派の過激な反発(backlash)のせいだけではなく、リベラリズムの<、以下のような、>首尾一貫しない道徳哲学のせいでもある、と一般読者達を説得することを狙っている。・・・
 マースデンの説明では、彼らの問題は、聖なる諸基盤(sacred foundations)の放棄だけでなく、神の場所に代わったところの、科学と個人的なものであるところの自分への権限移譲(individual self-empowerment)、という双子のアイドル相互の根本的矛盾だったのだ。
 実験室における容赦なき普遍主義者的諸結論と個々の人間の個人的諸見解や諸夢、のどちらが至上の支配者なのだろうか。
 これらが衝突した場合はどうなるのだろうか。
 世俗的知識人達は、「一つは客観的でもう一つは主観的であるところの、この二つの偉大なる諸権威、が本当に両立可能であるのかどうか、という潜在的疑問」を無視してきた、というのだ。
 18世紀における欧米世界の大きな希望は、両立可能である、啓蒙科学が個人的自由の諸原理を確立するだろう、というものだったのだが・・。」(D)
→欧州人の大部分よりも、少なくとも150年ほど遅れて、米国人が、いや、正しくは米国人の一部たるリベラルが、神を殺してしまった結果、米国は分裂してしまった、ということを、かくも持って回った表現で、ひたすらマースデンは愚痴っているわけです。
 しかし、社会全体が「世俗化」した結果、キリスト教の代替物たる、ナショナリズム、共産主義、ファシズム、といった民主主義独裁イデオロギーといった、恐るべき、かつ著しくはた迷惑な代物の捕囚になるという轍を踏むことを免れているのですから、米国が、私が言うところのリベラル・キリスト教徒一色にならなかったことはまだ幸いであった、と言うべきでしょう。
 もとより、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラである米文明であるだけに、キリスト教の代替物たるリベラル・キリスト教は民主主義独裁イデオロギーでこそありませんが、極端から極端へぶれるという厄介な特性を持つリベラル・キリスト教が米国社会全体を覆ってしまっていたとすれば、戦後覇権国たる米国は、このぶれを、そのまま、米国内の少数派はもとより、直接的には軍事介入によって、間接的にはハリウッド映画等を通じて、世界中に一層強力に押し付けようとしていたことでしょうから、米国内の少数派も米国人以外も、たまったものではなかったはずです。(太田)
 
(続く)