太田述正コラム#6873(2014.4.13)
<経済学の罪(その9)>(2014.7.29公開)
 社会的コモンズが、今日、より意味を持つ(relevant)に至っているのは、我々が、協力(collaboration)、普遍的(universal)アクセス、そして包摂(inclusion)・・そのすべてが、社会的資本の創造と共有経済という新しいものの導入・・を最適化するモノのインターネットのインフラを我々が構築しつつあるからだ。
 モノのインターネットは、時代転換的(game-changing)な足場であって、それは、出現しつつある協力的(collaborative)コモンズが、資本主義市場と並行して繁栄することを可能にする。
 この、資本主義的アプローチではなく協力的なアプローチは、私的所有権ではなく共有的(shared)アクセスに係るものなのだ。
 例えば、全球的に、170万人の人々が自動車共有諸サービスの会員になっている。
 最近の調査で、自動車共有に参加している人々が<共同>所有している自動車の数は、このサービスに参加する前に<これらの人々が個人的に>所有していた自動車の数の半分であることが分かった。
 何百万人もの人々が、低い、或はゼロ限界費用で、自動車群だけでなく、家群、衣類群、道具群、玩具群、その他の物品群を共有するために、社会的メディアサイト群、再配布(redistribution)ネットワーク群、レンタル群や生協(cooperative)群を使っている。
 共有経済は、2013年の総計諸収入が35億ドルに達している。・・・
 だから、驚くことではないが、新しい雇用諸機会は、非営利の傾向があって、教育、健康、貧者支援、環境回復、保育、そして介護、諸芸術の推進、余暇といった社会的インフラを強化する諸分野における協力的コモンズに潜んでいる。
 米国では、2001年から2011年にかけて、非営利諸組織の数は、約25%、130万から160万に増えたのに対し、営利諸企業は、わずかに、0.5%しか増えていない。
 米、加、英では、非営利部門での雇用は、現在、就労人口の10%を超えている。
 この強い印象を与える成長にもかかわらず、多くの経済学者達は、非営利部門は自給自足の経済勢力ではなく、政府が与える諸特権や私的慈善に依存する寄生的存在である、と主張している。
 しかし、話はその逆なのだ。
 最近の研究は、34か国の非営利部門の総収入の約50%が諸料金(fee)から得られており、政府による支援は諸収入の36%を占め、私的慈善は14%を占めていることを明らかにした。
 資本主義体制(system)に関しては、未来に向けてずっと我々の所に生き続ける可能性が高い。
 ただし、その役割はより限定され、主としてネットワーク諸サービスと諸ソリューションの集約者(aggregator)として、今後の時代における隙間(niche)選手(player)的に活躍する余地を与えられる。
 いずれにせよ、我々は、<既に、>部分的に諸市場のかなたの世界に入りつつある。
 その<入りつつある>世界において、我々は、どんどん相互依存的になり、協力的になる全球的コモンズの中で、いかに共生するかを学びつつあるのだ。」
http://www.nytimes.com/2014/03/16/opinion/sunday/the-rise-of-anti-capitalism.html?ref=opinion
(3月16日アクセス)
 何と言うことはない、先の大戦の少し前から現在に至る、日本型政治経済体制は、エージェンシー関係の重層構造を主、市場と選挙を従としており、このコラムの執筆者のジェレミー・リフキン(Jeremy Rifkin)<(注11)>が描くところの、全球的な近未来の世界を、日本は、70年近く前に、既に、先取り的に実現していることになりそうです。
 (注11)1945年~。米国の経済・社会理論家、著述家、演説化、政治顧問、活動家。ペンシルヴァニア大卒(経済学)、タフト大フレッチャースクールで修士(国際問題)。
http://en.wikipedia.org/wiki/Jeremy_Rifkin
 江戸時代には既にプロト日本型政治経済体制が成立しており、その核心たるエージェンシー関係の重層構造については、私見では、縄文時代にまで遡れるかどうかはともかく、弥生時代には成立していた可能性が高いわけですが、産業「革命」以降という土俵内に議論をとどめないと、議論が拡散してしまうので、取りあえずは、この話は封印しておこうと思います。
 とにもかくにも、これからは、人間の自然との関わり(『「里山資本主義」のススメを読む』シリーズ参照)についても、人間社会そのものの在り方(今シリーズ)についても、人間主義の時代、すなわち、日本の時代である、と改めてこのコラムを読んで自覚させられ、身の引き締まる思いがした次第です。
(完)