太田述正コラム#6903(2014.4.28)
<2014.4.46東京オフ会次第(続々)>(2014.8.13公開)
 (前回から続く。)
shihouen:(遠隔地からのタイムラグを伴ったオフ会参加、と受け止め、転載させていただきました。(太田))
≫市民講座ではどんな話題を出せば盛り上がるだろうか。≪(コラム#6899。太田)
 ご当地ネタ・・・。
※ 「石清水八幡宮」関連
http://www.iwashimizu.or.jp/top.php_
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E6%B8%85%E6%B0%B4%E5%85%AB%E5%B9%A1%E5%AE%AE
http://ja.wikipedia.org/wiki/%1B%24B%40P%406%3FeH%2CH%285%5C%1B%28B_
http://homepage2.nifty.com/bu-ra-ri/otokoyama.htm_
http://www.asahi.com/and_M/information/OSK201304190042.html_
http://www.asahi.com/articles/DA3S11102475.html?ref=reca_
※ 鵜殿のヨシ原(うどののよしはら)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E6%AE%BF%E3%81%AE%E3%83%A8%E3%82%B7%E5%8E%9F
http://ja.wikipedia.org/wiki/%1B%24B1-EB%24N%25h%25786%1B%28B
 新名神高速道路
http://ja.wikipedia.org/wiki/%1B%24B%3F7L%3E%3F%409bB.F%3BO%29%1B%28B
の京都府八幡市-大阪府高槻市間約10kmのルートがこのヨシ原の上を通る形で計画されている」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%1B%24B1-EB%24N%25h%25786%1B%28B#cite_note-2
※「暴力団」関連
http://www.city.yawata.kyoto.jp/0000000652.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%87%8E%E4%BC%9A%E4%BC%9A%E9%95%B7%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6
http://ja.wikipedia.org/wiki/%1B%24BCfLn2q2qD9%3D17b%3Bv7o%1B%28B
http://kohada.2ch.net/test/read.cgi/4649/1362897614/
http://yakuzazimusyo.seesaa.net/article/379388887.html
    
 キーワード「松花堂弁当」・「エジソン」・「おけら火」wikiにもあり。
O:ところで、日本の戦前=オウム真理教国家観と言えば、欧米の人々は今でもそう思っているのではないか。
 天皇に人間宣言をさせたのは、当時、彼らがそう思い込んでいたからだが・・。
 (何せ、人間が死ねば全員カミになるお国柄だから、中には、生きているうちにカミとして奉られる人がいたって何の不思議もないワケ。
 靖国に祀られている人々だって、そもそも、無条件にカミガミなわけだけど、そんなこと、欧米の連中には到底理解不可能だろうな。)
L:いささか事情が異なっていたのが、自力救済に頼らざるをえなかった、第一次弥生モードの時代ということか。
O:その通り。
 鎌倉仏教の隆盛から始まり一向一揆と島原の乱で終わった第一次弥生モードの時代は、日本史の中で極めて特異な時代だった。
 ただし、島原の乱は、これまた、日本史上珍しい悪政への怒りが主たる原因であって、だからこそ、乱後、領主は改易となった。(注)
(注)「島原の乱は、松倉勝家が領する島原藩のある肥前島原半島と、寺沢堅高が領する唐津藩の飛地・肥後天草諸島の領民が<起こしたものであり、>・・・松倉勝家は、・・・改易処分となり、後に斬首となった・・・。江戸時代に大名が切腹ではなく斬首とされるのは、この1件のみである。同様に・・・寺沢堅高も責任を問われ、天草の領地を没収された。後に寺沢堅高は精神異常をきたして自害し、寺沢家は断絶となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%B6%E5%8E%9F%E3%81%AE%E4%B9%B1
M:私はエンジニアだが、自分達の職場においても、太田さんの職場は遊びの場でもある、という指摘は完全にあてはまる。
E:太田さんの防衛庁時代にはソ連/ロシアが最大の潜在敵国だったのだから、太田さんはロシア専門家と言ってもよいのでは?
O:確かに、ロシアについての勉強はそれなりにしたし、御多分に漏れず、ロシア文学にはそれなりに親しんだけれど、モスクワの空港に乗り継ぎで2時間ほど滞在したことしかなく、ロシアに土地勘がゼロなので、専門家とは言えない。
L:安倍政権は高支持率が続いているが・・。
O:閣僚や補佐官等から随分きわどい発言が飛び出してきているが、殆んど響いていない。
 とにかく、安倍首相、ついてるな、という印象だ。
 いつまで、このツキが続くのかは知らないが・・。
N:太田さんの日本の裁判観も面白い。
O:幸か不幸か、たくさんの裁判に直接的間接的に携わり、ずっと、日本の裁判制度は機能していないと思っていたのだが、比較的最近、実はそうではなく、一般には機能しているのだけれど、私が関わった裁判では、テキが人間主義者ではない人ばかりだったから、例外的に機能しなかったのだ、と思うようになった。
N:旧軍は、日中戦争が始まった頃に比べると、太平洋戦争の頃、とりわけその初期、には同じ軍隊とは思えないくらい精強になった、という印象がある。
O:徴兵される市民兵にも次第に有事意識が浸透しただろうし、旧軍は戦闘を重ねることで鍛えられていったということだろう。
 思い出して欲しいのだが、大正時代に何度も軍縮がなされたところ、その頃は、一般市民から軍人が白眼視され、軍人は制服を着て外出することさえままならない、という現在の日本とそっくりだった。
 その時代の余韻冷めやらぬ市民を徴兵したのだから、日中戦争初期の旧軍が規律を含めた練度において問題があったのは当然だろう。
 ただし、それにしても、日中戦争を通じての、旧軍兵士の支那でのご乱行は目に余るものがあった。
 一体それはどうしてか、という問題意識をもっと多くの人が持って欲しいものだ。
 日本が支那をむしろ助けたいと思っていたのに、当時の支那における反日は凄まじく、日本製品のボイコットだけでなく、在留日本人に危害が加えられる虐殺事件が頻発したのだから、日本人の間に支那人に対する軽蔑、怒りの念が蟠っていたことは確かだが、それだけでは、基本的に人間主義者である旧軍の兵士の行動は説明がつかない。
 (特定の読者に特定のアルファベットを割り当てたわけでは必ずしもないことをご承知おきください。)