太田述正コラム#6905(2014.4.29)
<戦争の意義?(その2)>(2014.8.14公開)
2 戦争の意義
 (1)問題意識
 「文字を持った殆んど全ての社会に共通することだが、5,000年前の最初の文献史料を見ても、戦争は付き物だった。
 仮に、戦争が悪しき観念であるとして、人間条件において戦争はどうしてかくも明らかに恒久的な要素だったのだろうか。」(D)
 (2)狩猟採集時代の殺人率の高さ
 「20世紀末になって、人類学者達は、争い(feuding)と戦争は、現存する石器時代の諸社会において、極めて通常に見られることを知った。
 平均的に、これらの諸社会の約10~20%の人々が暴力的な死を迎えており、考古学者達は、似たような率が、<人類の>先史時代たる石器時代諸社会にもあてはまることを示唆している。」(D)
→「現在の熱帯雨林の狩猟採集民はすべて周辺の農耕民との間の交換や自身の農耕活動によって入手した農作物に食生活のかなりの部分を依存している」というのが通説
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%A9%E7%8C%9F%E6%8E%A1%E9%9B%86%E7%A4%BE%E4%BC%9A
であり、要するに、20世紀に現存していた狩猟採集社会は、農耕社会が存在せず、従って農耕社会と共生関係にはなかったところの、先史時代の狩猟採集社会とは似て非なるものであることから、モリスがここで「現存する石器時代の諸社会」で指しているのは、農耕・定着社会のことである
http://yoshiyuki.fc2web.com/Books/1SekainoSumai6000/Conclusion1/Conclusion1.html
可能性が高い、と思われます。(太田)
 「<そのことを、>我々は、<先史時代の>洞窟人達の、割られ、打ち壊され、怯えた骨々をもとに推測することができる。」(H)
 「石器時代の諸社会の典型的なものは小さかった。
 主として食料を見つけるのが大変であることから、人々は数十人が群れを作り、数百人の村々で生活するか、(稀には、)何千人かの町々で生活した。
 これらの諸コミュニティは、内部組織にさしたるものは必要とせず、よそ者に対する疑念、或いは敵意さえ抱いて生活していた。」(F)
 「そして、20世紀に現存していた石器時代の諸社会に関する人類学的証拠を考慮すれば、・・・石器時代の生活は、「中世欧州の激動の世界よりも10~20倍、20世紀央の欧州よりも300~600倍暴力的だった。」(C)
 「<すなわち、>石器時代には、<人が>殺される率は約20%だった。・・・
 3,000年前にあなたが住んでいたならば、あなたは、暴力的な死を迎える可能性が20%だったということだ。」(H)
→石器時代などという雑駁な概念を使っている点だけを取っても、モリスの論述の信ぴょう性に疑問符を付けざるをえません。
 すなわち、彼が、語っているのが狩猟採集社会である旧石器時代なのか、農業(含牧畜)社会である新石器時代なのか、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%99%A8%E6%99%82%E4%BB%A3
はたまた、新石器時代中の農耕・定着社会なのか
http://riabou.hateblo.jp/entry/20120802/1343915542
を弁別して論述していないのは問題である、ということです。
 文字を持った5,000年前の社会だの、それほど昔でもない3,000年前の社会だのということからすれば、モリスの語っているのは、やはり、新石器時代中の農耕・定着社会らしい、ということになります。(太田)
 「1970年代に、・・・タンザニアの森の中で・・・チンパンジーの一つの群れがもう一つの群れと4年にわたって戦争をし、後者の雄全員を体系的に殺し、雌全員を強姦し誘拐した事実が発見された。
 我々人類はチンパンジーとDNAを98%共有していることから、若干の生物学者達は、両者とも、生来の殺人者であると結論付けたものだ。
 しかし、1990年代以来、コンゴで・・・やはり我々とDNAを98%共有するボノボは決して戦争をしないことが発見された。
 <だから、人類が生来的に殺人/戦争志向であるのかどうかはまだ分かっていない。>」(D)
 「<そもそも、>モリス自身、<石器時代に人類は盛んに殺し合っていたという彼の指摘が>仮のものであって、<その指摘を裏付ける>統計的証拠の性格が恐らくは不正確なものであることを認めている。」(C)
 「<実際、>モリス自身の言によっても、初期社会における暴力を巡る統計的証拠は、直観的(impressionistic)証拠に立脚しており、方法論的諸難点を孕んでいるのだ。」(B)
→明確な統計学的証拠がないという現状においては、私は、「<米国>の文化人類学のファーガソン<の>・・・、<農耕・>定住の暮らしこそが平和をやぶったのだ・・・移住する採集民の集団は、ほかの集団との間がらが危うくなると「敵」からすばやく離れることによって「ほとんど戦争」の緊張状態を解消できる<が、定住すると>この平和な選択を定住は取り去ってしまう」・・・p152「戦争の考古学」・・・
http://riabou.hateblo.jp/entry/20120802/1343915542
という説が最も説得力がある、と思っています。(太田)
(続く)