太田述正コラム#6981(2014.6.6)
<長い19世紀(その5)>(2014.9.21公開)
 (3)ナショナリズム
 「この著者による、全球的アプローチを通じての、標準的絵柄の修正は、彼の政府と政治についての説明にも現れている。
 その説明において、通常19世紀で嫌疑がかけられるのはナショナリズムと民主主義であるにもかかわらず、著者は、それらに短い告解の機会(shrift)しか与えない。
 19世紀を全球的なナショナリズムの時代とする観念は、仏独歴史学者達の強迫観念(obsession)である、と描写される。
 1910年時点においてすら、オステルハンメルは、仏独日という3か国しか、完全に形成された国民国家群を感知していない。
 彼に言わせれば、国民国家の時代は、第一次世界大戦後の20世紀に見出されるのであって、19世紀は帝国の時代なのだ。
→オステルハンメルが何を言っているのか、私にはさっぱり理解できません。
 例えば、英国のアフリカ大陸縦貫政策とフランスのアフリカ大陸横貫政策が衝突したファショダ事件が、既に1898年に起こっており、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%80%E4%BA%8B%E4%BB%B6
ドイツはドイツで、1910年時点で、今日のパプアニューギニア、モザンビーク、ナミビア、カメルーン等を領有していた、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%A4%8D%E6%B0%91%E5%9C%B0%E5%B8%9D%E5%9B%BD
というのに、1910年時点でフランスやドイツが帝国ではなかった、などということを、彼は、いかなる料簡で言えるのでしょうか。(太田)
 (4)帝国
 「19世紀においては、諸帝国と諸国民国家が、人類が共有的に実存を送ったところの、最大の政治的諸単位だった。
 1900年には、それらが、世界で唯一、真の重みを有した存在でもあった。
 というのも、<人類の>殆んど全員がそのどれかの統治の下で生きていたからだ。
 世界政府や超国民国家的(supranational)な規制諸機関が<出現する>兆候は<現在においてすら、>いまだにない<ことを想起して欲しい>。
 諸熱帯雨林、諸ステップ、諸極地地域の奥地においてのみ、より高次の当局に貢物を払うことなく、小さな民族諸集団が生きていた<にとどまる>。」(D)
 「帝国の発展とその諸形態、及び、その諸結果についての議論が、この著作の極めて大きな部分を占めている。
 著者が、大部分の中欧の知識人達とはいささか違って、大英帝国に相当の敬意を抱いていることは実にはっきりしている。
 彼は、それを、慈悲深い全球的覇権国であって、全球的市場創造の枢要な組織化力であって、国際関係の概ね平和的なシステムであった、と見ている。・・・
 
→大「知識人」であったヒットラーを始めとして、大英帝国ファンたる中欧人は、昔から数多いというのに、この書評子は、何を馬鹿なこと言っているのでしょう。(太田)
 オステルハンメルは、最近の東アジアの興隆の起源を、欧州の帝国的諸大国によって脅かされることがなかったどころか、ある意味、これら諸大国によって促進されたところの、19世紀における支那人の商業的(mercantile)ネットワーク群に感知する。・・・
→オステルハンメルの言葉なのか、この書評子の言葉なのか判然としませんが、「東アジア」は「支那」と限定的に言ってもらわないと、文章として成り立ちません。(太田)
 オステルハンメルが大英帝国を高く評価するもう一つの要素は、その米国との全球的覇権国としての癪に障る比較からうかがうことができる。
 英国は、<米国のような>「世界の警察官(policeman)」と言うよりは、むしろ、「諸海の憲兵(gendarme of the seas)」だった、というのだ。
→アングロサクソン文明諸国における憲兵(military police)ではなく、欧州文明諸国における憲兵(gendarme)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E5%85%B5
を持ち出している以上、武装警察官という意味なのでしょうが、そうなると、それは、単なる警察官よりも物騒な感じになってしまいます。
 ここも、オステルハンメルの言葉なのか、この書評子の言葉なのか判然としませんが、文章として成り立ちません。(太田)
 対峙状況において、初期の段階で大きな軍事力を用いる米国の傾向とは全く異なり、英国人達は、その軍事力の使用において、抑制的かつ計測的だった、と。」(C)
 「帝国は、この本を一種の絨毯のように走り続けているように見える。
 でしゃばりはしないけれど、いつもそこにいるのだ。
 オステルハンメルが自認するように、植民地主義と帝国主義は、19世紀において極めて本質的であるがゆえに、<彼は、>この二つの主義のインパクトを、それぞれ単一の章へと矮小化する(relegate)ことを避けた。
 一体、全般的な帝国的諸関係、すなわち、権力、資本、及び、諸表現の文化的かつ宗教的諸形態の再チャネリングの分配と認知(recognition)に係る根本的に不平等な諸階統制、は、長い19世紀の全球的変態(metamorphosis)を促進したのだろうか、それとも阻害したのだろうか。
 この全般的な帝国的諸関係は、極めて広く普及しかつ共有された様相を持つ現代世界の特徴であるところの、次第に募る、全球的な複雑性の束(bundle)とは関係がない(stand apart)のか、それともその背後にあったのだろうか。
 一体、いかなる形群でもって、諸帝国は、(それらが全球的変化に影響を与えたとするならば、)その影響を与えたのだろうか、そして、その見返りにいかなる影響を受けたのだろうか。
 <この本には、その明確な回答は示されていない。>」(F)
(続く)