太田述正コラム#6991(2014.6.11)
<米国と支那は似ている?(その1)>(2014.9.26公開)
1 始めに
 昨日、NYタイムスに表記に係る面白いコラム
http://opinionator.blogs.nytimes.com/2014/06/08/from-china-with-pragmatism/?_php=true&_type=blogs&ref=opinion&_r=0
(6月10日アクセス)が載っていたので、予定を変えて、このコラムを取り上げることにしました。
 当然のことながら、米国と支那(中共)の面積や購買力平価でのGDPがほぼ同じ、などといった話ではありません。
2 米国と支那は似ている?
 「多くの米国人達は、紅包(hongbao)<(注1)> のような愛顧(patronage)は本質的な(intrinsic)腐敗(corruption)であると考える。
 (注1)支那人(華僑等を含む)の世界において、休日、旧正月、結婚、生誕、卒業等の際に赤い封筒に入れて渡されるお金。特別のサービスの見返りに獅子舞、宗教家、教師、医師にも渡される。
http://en.wikipedia.org/wiki/Red_envelope (日本語ウィキはない)
 彼らは、出発点は単純かもしれないが、それは、集団の成員の収賄と大金の持ち逃げへと拡大していく、と示唆する。
 他方、支那人は、紅包の交換は、良い諸作法であり、重要な関係(guanxi)<(注2)>を社会的に育むのであって、彼らもまた利己的であるとして非難するところの、不正利得(graft)とは全く異なる、と認識する。
 (注2)庇護被庇護関係により構成される人的ネットワーク。感情(ganqing)、面子(face)と密接な関係を有する言葉。
http://en.wikipedia.org/wiki/Guanxi (日本語ウィキはない)
 欧米人の大部分は支那人のこのプラグマティックな倫理を理解できない。
 あらゆる市民に敬意を払うことに失敗しているがゆえに、いかなる優先的(preferential)システムも非倫理的であると退けられるのだ。
 この亀裂は、米国が生み出した唯一の公的哲学がまさにあの名前、すなわち、プラグマティズム、として通っていることにかんがみれば、とりわけ注目されるべきだ。
 プラグマティズムは、19世紀末から20世紀初において少数の集団の諸観念に中心があった。
 その思想家達には、ジョン・デューイ(John Dewey)<(注3)>, ウィリアム・ジェームズ(William James)<(注4)>、そして、チャールズ・サンダース・パース(Charles Sanders Peirce)<(注5)>・・彼を、ジェームズは、プラグマティズムの哲学的創健者として認めた・・がいた。
 (注3)1859~1952年。バーモント大卒後、高校、小学校の教師をしてからジョンズ・ホプキンス大で博士号取得(「カントの心理学」)。ミシガン大、シカゴ大、コロンビア大で教鞭を執る。「<米>心理学では、・・・ヴント派の構造主義心理学が主流であった。それは内観によって意識や心的経験を研究する科学として心理学を定義していた。これに対してジェイムズやデューイは意識的経験を重視した機能主義をうちだした。・・・ジェイムズは英国哲学、とくに経験論と功利主義の系譜にあるのに対して、デューイはヘーゲルに影響を受け、またジェイムズほど多元主義でも相対主義でもなかった。・・・単線的なアプローチに対して、<パース同様、>間違えることや紆余曲折を積極的に評価するより複合的なアプローチとしての「可謬主義」を唱えた。<また、>社会的、文化的、技術的、哲学的な実験を、真理の仲介者といえると主張した。・・・<更にまた、>「共感」はベンサムの考えるように自然な本能としてとらえるよりも、・・・共感を習慣的なもの・・・<へと>変容させ<べきものとしてとらえた。そして、>・・・彼は人間の自発的な成長を促すための環境を整えるのが教育の役割だとした。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4
 (注4)1842~1910年。シラキュース大卒、ハーヴァード大博士。ハーヴァード大で教鞭を執る。[機能的心理学の祖の一人。急進的経験論者。]「真理には実際に複数の正しい答えがあると考える・・・多元論者でもある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA
http://en.wikipedia.org/wiki/William_James ([]内)
 「我々の諸理論は、超自然的ないし経験彼岸的諸存在(supernatural or transempirical entities)を組み込んではならない。経験主義は、諸観念の形成にあたって、経験、とりわけ感覚的認識(sensory perception)、の役割を強調する一方で、先験的理論(priori reasoning)、直観、ないしは啓示(revelation)を割り引くところの、認識論(theory of knowledge(=epistemology(太田)))だ<としつつ、>ジェームズは、経験彼岸的な諸実体(entities)は存在するかもしれないが、それらについて語ることは不毛であるとする。」
http://en.wikipedia.org/wiki/Radical_empiricism
 (注5)1839~1914年。ハーヴァード大学士、修士。離婚問題等から、ジョンズ・ホプキンス大講師の5年間を除き、大学とは無縁の一生を送った。「パースは自分をまず論理学者とみなし、さらに論理学を記号論(semiotics)の一分野とみなした。1886年、彼は論理演算は電子的スイッチング回路によって実行されうると考えたが、この考えは数十年後、デジタル・コンピュータを製造するために使われた。」哲学は、まずカント、それからミル、論理学はとりわけドゥンス・スコトゥス、を自習した。「パースは、哲学の古典を実験化学者の目をもって読み、何かの経験に還元できない主張を意味のないものとして斥けた。・・・パースはプラグマティズムとして知られる哲学的風潮をのちに創始し、友人ウィリアム・ジェームズがプラグマティズムを流行させた。パースは、どの真理も暫定的である、どの命題が真であることも確実ではありえず、蓋然的でしかありえないと考えた。彼はこう考える立場を「可謬主義」と名づけた。可謬主義とプラグマティズムは、それぞれほかの哲学者たちの著書における懐疑主義と実証主義に似た役割を彼の著作の中で果たしていると考えることができる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%B9
→米国のプラグマティズムは、イギリス経験論をドイツ観念論哲学の諸概念を参考にして再構成し、「哲学」へと仕立て上げた、という、まさにアングロサクソンと欧州文明のキメラたる米国的な産物であり、殆んど何の価値もない、というのが私の考えです。
 そんなブラグマティズムが、米国が生み出した唯一の哲学だというのですから、私に言わせれば、米国には、哲学・・思想と言い換えてもいいでしょう・・の名に値するものは存在しない、ということです。(太田)
 米国のプラグマティズムが、<米国の>学問生活や知的生活に与えた影響には顕著なものがあったが、それは長くは続かなかった。
 分析哲学(analytic philosophy)<(注6)>が米国の大学界に橋頭保を得るや、プラグマティズムの影響は衰えた。
 (注6)ゴットロープ・フレーゲ(Friedrich Ludwig Gottlob Frege。1848~1925年)、バートランド・ラッセル(Bertrand Arthur William Russell, 3rd Earl Russell。1872~1970年)、ジョージ・エドワード・ムーア(George Edward Moore、G.E. Moore。1873~1958年)、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(Ludwig Josef Johann Wittgenstein。1889~1951年)らによって礎が築かれた。
 このうち、フレーゲこそドイツ人だが、ラッセルとムーアはイギリス人であり、ウィトゲンシュタインも、オーストリア人だがケンブリッジ大卒で、イギリスで活躍した
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%82%A8%E3%83%89%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%BC%E3%82%A2 等
のでイギリス人とみなすことができることから、分析哲学はイギリスの哲学である、と言ってよかろう。
 その分析哲学は、「概ね次のように特徴付けることができるだろう。
一つ目は、厳密には解明されるべき真理は存在せず、哲学の目的はただ思考の論理的明晰化をはかることであるという、実証主義の伝統である。この考えは、アリストテレス以来の伝統的な哲学の基礎付け主義と対照的である。基礎付け主義という伝統的な考え方は、哲学を諸学の中で特権的な位置つまり最も優越する位置におき、哲学が諸科学を含む学さえもすべて含め、あらゆるものの原理を研究するというものだった。反対に、分析哲学者は自分たちの研究を、自然科学とつながるもの、あるいは自然科学に従属するものとさえ考えるのが普通である。
二つ目は、論理的言語分析の方法を用いて諸命題を明晰化することが、諸命題の論理形式の分析で達成できるほとんど唯一のことであるという考えである。命題の論理形式は、同じ体裁の他すべての命題との類似を示すために用いられる、命題を表現する方法の一つである。これには、しばしば現代記号論理学の形式化された文法と記号が用いられる。ただし、日常言語をどのように論理的に分析するのかの、分析哲学者の間での見解の一致はない。
三つ目は、世間で言う「哲学的な」言辞と旧態依然とした曖昧で不明瞭な哲学(言うなれば、疑似哲学)を棄却することである。この「大理論」の拒絶は、(全てではないが)分析哲学者が、形而上学的なうぬぼれに対して、日常言語や常識を擁護するという姿となって現れる。特に日本では、晦渋な翻訳の問題の是正に貢献している面もある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E6%9E%90%E5%93%B2%E5%AD%A6
というのだが、私に言わせれば、分析哲学とは、(ギリシャ→スコラ→欧州、という系譜の)合理論哲学批判なのであり、イギリスの経験論は哲学ではないと割り切れば、経験論に基づく哲学の否定なのだ。
 換言すれば、そういう意味において、分析哲学は、最後の哲学・・「哲学」と言うべきか・・なのだ。
→それを生み出した米国においてすら、影響力が長続きしなかったのですから、何をかいわんやです。(太田)
 ただし、それは、ポスト冷戦時代において、とりわけリチャード・ローティ(Richard Rorty)<(注7)>に代表される、哲学者達によって、再生され修正された。
 (注7)1931~2007年。「デカルトに始まりカントによって体系化された・・・近代<(私見では欧州)・・・哲学における認識論の伝統・・・<を批判し、>「哲学の終焉」を主張<した。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3
→別段、プラグマティズムの系譜につながるらしいローティに言ってもらうまでもなく、私が指摘したように、既に、分析「哲学」の「哲学否定」によって「哲学の終焉」はもたらされていたのです。(太田)
(続く)