太田述正コラム#7207(2014.9.28)
<皆さんとディスカッション(続x2399)>
<太田>(ツイッターより)
 「…日本の各種公共施設は、大小、新古にかかわらず、便利で心地やすいサービスを提供している。サービスを受ける人の側に立って、細かな点にまで気が配られたサービスを通して知ることができるのは、日本人が絶えず向上を求め、仕事を忠実に行っているということだ。」へい、仰せの通りでござんす。
http://j.peopledaily.com.cn/n/2014/0926/c94475-8788414.html
 「日本では「職人文化」が崇められ、職業教育が経済の繁栄につながった。戦後、日本では短期大学や専門学校などを主とする、独特の高等職業教育体系が構築された。…そのほか、産学連携も、日本の特徴の1つだ。…」ウーム、こそばゆいである。
http://j.peopledaily.com.cn/n/2014/0925/c94473-8787814.html
 広く日本人一般の啓発のために、この何年かの人民網等に掲載されたところの、中共官民による日本称賛記事からの文選的なものを、とりあえず、太田コラムのバックナンバーにあたって、とりまとめようという人いないかねえ。
 How about you?
<TA>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
≫高い方の数字40%を使うと、その6割の24%がイスラム教徒だということになりますが、こういう議論って、意味感じますか?≪(コラム#7205。QOHev4oY)
 繰り返しますが、英語がわからないため「議論」も「意味を感じ」るもへったくれもありません。
 太田さんの挙げた典拠ではなく論理(論証)を批判されたのはこれが初めてですよね。
 これまであなたはそういった批判をなされなかったため、太田さんの論理(論証)に異論はないものと思っていました。
≫貴方も、怪文書でも見当に値するという立場でしょうか?≪(同上)
 匿名通報云々の例の意味が全く伝わっていないのは残念です。
 さて、旧約聖書あたりは世界一有名な「怪文書」といってよいでしょうかね。
 で、そのうち、ハリウッド映画『十戒』の元ネタの出エジプト記の信憑性はというと、↓
 「・・・文書資料が豊富なエジプト側には一切の記録が無い・・・。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB#.E5.87.BA.E3.82.A8.E3.82.B8.E3.83.97.E3.83.88
ということのようですので、この「怪文書」の少なくともこの章には信憑性はない(歴史的事実として「<検討>に値」しない、の意)という考え方(「立場」)です。
 逆に、エジプト側に何らかの記録が残っていれば、信憑性があると考えるものです。
 世界の神話や伝承といった「怪文書」のうち、地質学的あるいは天文学的(日食など)に事実が裏付けられたものもあるでしょうし、考古学的な発掘調査や文献の発見によってのものもあるでしょう。
 (典拠いります?)
<QOHev4oY>(同上)
>太田さんの挙げた典拠ではなく論理(論証)を批判されたのはこれが初めてですよね。これまであなたはそういった批判をなされなかったため、太田さんの論理(論証)に異論はないものと思っていました。
 そうです。論理(論証)は批判していません。(もう一人の批判されている方とは別人です。)
 TAさんが私に太田さんの論理(論証)をどう思いますか?と聞かれたと思ったので、答えたまでです。
>考古学的な発掘調査や文献の発見によってのものもあるでしょう。
 あの文献はscribdというサイトで発見されたものです。
 考古学で例えるなら、アメリカで発見された縄文土器を研究対象にするようなものです。(あまり上手い例えとは思いませんが。)
 太田さんも罵倒モードに入ったようですし、私はこれにて終了いたします。
⇒コラム#7201の私の「論理(論証)」は批判しない、批判できないということは、アルバニアのイスラム教徒が9%強、という、「怪文書」掲載の数値は正しそうであることを認めたってわけね。
 誰でも投稿できるサイトであっても、投稿された(あの場合は転載されたと見るべきだが)「文書」が捏造文書とは限らんだろう。
 そこまで言うなら、捏造文書であることを、せめて「証明」しようとしなきゃあ。
 そもそも、中身が正しそうな「文書」をわざわざ捏造して投稿したんだとすれば、奇特な人が世の中にはいるもんだねえ。
 ともあれ、散々書き散らした挙句、形勢が悪くなると尻尾巻いて逃げ出しちゃったキミ、お疲れさんでした。(太田)
 ・・・TAさん、私があの文献のQ&Aの文章をそのままに、数字と円グラフを書き換えたファイルをscribdにアップし、それで太田さんに反論できますね? 
 これなら分かっていただけるかと思います。
 これって、リソースの無駄遣いですよね?
⇒この直前の「⇒」的なことを書いて終わりにするつもりだったが、前言を翻して再度投稿した、キミのひどい妄想状態を見るに見かねて、キミのために、少し、自分で事実の検証をしてみることにした。
 (私自身は、イスラム教徒の割合等については、少しでもイスラム教事情に通じている者なら誰でも私と同じ結論に達するだろうと考えているので、別段、特定のペーパーの信憑性を検証する必要はないんだぜ。)
 この検証を、こんだけ拘ってるキミ自身が、「リソースの無駄遣い」とか言ってやろうとしないってことは、キミが、マジ、ビョーキである可能性が高いってことだ。
 さて、
http://ja.scribd.com/doc/15738681/Feja-ne-Shqiperi1
に転載されたペーパーには、Albanian WB Data & Statsticsクレジットらしきものが入っている。(キミが言及した二つの大学は、サブだよ。)
 WBはWorld Bank、つまり世銀だ。
 そこで、世銀のアルバニア事務所のサイト
http://www.worldbank.org/en/country/albania
に載ってたメルアドに、
http://ja.scribd.com/doc/15738681/Feja-ne-Shqiperi1
転載の2008年ペーパーが世銀の現地事務所でつくられたものかどうか、昨夜、メールで問い合わせておいた。
 返事をくれるとしても、現地時間の月曜の勤務時間以降だがな。
 また、返事が来ないようなら、在日アルバニア大使館にも問い合わせてみようかと思ってる。
 センシティヴな話だから、大使館からは回答を事実上拒否される可能性があるけどね。
<f9ib19hY>(同上)
≫アナトリア半島じゃなく、アルバニアの話をしてんだぞ。≪(コラム#7205。太田)
 だからこれは、(アナトリアとバルカンでキリスト教からイスラム教への改宗で重要な役割を果たした)スーフィーについてのことを言ってるんであって、誰も、アナトリア半島についてとか(元からイスラムの)オスマン・トルコやトルコのことを言っているんじゃないの。
 いい?
⇒????(太田)
≫上掲に出てくる表現をちょっとだけエゲツなく変えただけだぜ。≪(同上)
 ここで<太田さんが>「アルバニアがオボテュニスト」だとする根拠にしているのが下記で、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%81%AE%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E6%95%99
更にその中の「オスマン帝国統治時代にはベクタシュ教団の教えに従い、交易網や官僚、軍隊で優位に立つため、アルバニア人が徐々にイスラム教へ改宗。」の箇所でしょ。
でもスーフィーというのは、『イスラームの歴史2 拡大する帝国』から引用したように、地道で真面目な活動もしてたのよ。
 つまり現実的な利益で改宗を勧めるという側面もあれば、地道で真面目な活動をしていたという面もあった。
 その両面からの影響による改宗のはずが、アルバニアの改宗に関しては、実利的な動機のことしか書かれていない。
 アナトリアと(アルバニア以外の)バルカンの、キリスト教からイスラム教に改宗した国・民族だって、改宗のきっかけは、その両面によるものなのに、これはアンフェアでしょ、ということ。
⇒そんなに不満なら、キミがそのウィキペディア、書き換えたら?
 ま、すぐ元に戻されるだろがね。(太田)
 特に一側面だけで、動機が不純!オボテュニスト!とか言われた日にはね。
 「アナトリア半島の先住民であるキリスト教徒の中には利益、あるいは安全の確保を求めてイスラームに改宗する者もいたが[137][138]、他方で神秘主義(スーフィズム)と民衆的なイスラームの教えに感化されて改宗した者もいた[137]。13世紀末には、アナトリア半島の人口のおよそ80パーセントをイスラム教徒が占めると推定する声もある[137]。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF%E6%9C%9D
⇒だから、それ、アナトリア半島での話だろ。(太田)
 で、改めて聞くけど、イスラム教へ改宗したアルバニアが「自称イスラム教徒のオボテュニスト」だというのなら、同じくスーフィーの活動の影響でキリスト教からイスラム教に改宗したアナトリアとバルカンの他の国・民族もすべて「自称イスラム教徒のオボテュニスト」だということなの?
⇒スーフィーの活動の影響でキリスト教から改宗した人は、基本スーフィーになるのであってイスラム教徒になるわけじゃないし、そもそも、アルバニアでもスーフィーが宣教活動をしたってどこに書いてあんの?(太田)
≫なお、スーフィーもベクターシも混淆宗教であってイスラム教徒は別物と考えた方がエエで。≪(同上)
 イスラム法学厳格化の改革運動が起こるのは18世紀以降のことで、当時、「イスラームへの改宗で重要な役割を果たしたのはスーフィーだった。」という事実に変わりはないの。
⇒定義の問題だよ。スーフィーをイスラム教に入れるなって私は言ってるの。(太田)
 「ワッハーブは、18世紀半ばに、コーランとムハンマドのスンナに戻り、イスラム教を純化することを説き、当時ナジュドで流行していた聖者崇拝、スーフィズムを激しく排撃した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%83%83%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%96%E6%B4%BE
⇒スーフィーがイスラム教じゃないからこそ、イスラム教から攻撃された、ということさ。(太田)
≫一つでいいから、僕の推論を否定できる典拠を探し出してみな。≪(同上)
 やっぱり推論じゃん。
 しかも一つ目はすでに示した典拠の中にあるのに。
⇒想定に基づく推論をしてどこが悪い。
 その想定が間違ってると思う方が、典拠を出すべきだろ。
 「しかも・・・」は意味不明。(太田)
≫これで、壊されたモスクは、・・壊されたキリスト教会は2000だった(コラム#7203)ってんだから、・・最大限169しかないことが分かったし、「イスラムの聖職者」で処刑されたことがはっきりしている者は1人もいなさそうなことも分かったな。(同上)
 イスラム教徒が弾圧されたってことは認めたんだね。
⇒一番教徒が多いはず・・人口の過半を占めていたはず・・に対して質量ともイスラム教以外の宗派に比べて圧倒的に軽い弾圧しかしてこなかったことこそ、私の結論を裏付ける決定的事実だと思わないのかねえ。(太田)
<g2Q.upgU>(同上)
 ガゼル論争の再来やな。
 というかアルバニアに関する資料が少ないし、いい加減な国だし、ある程度の推論は仕方ないでしょ。
<TA>
>私があの文献のQ&Aの文章をそのままに、数字と円グラフを書き換えたファイルをscribdにアップし、それで太田さんに反論できますね?・・・これなら分かっていただけるかと思います。<(QOHev4oY)
 『出エジプト記』という「怪文書」を基にしたハリウッド映画『十戒』が「怪文書」にしかならないように、「怪文書」で作った典拠もどきも「怪文書」ですよ?
 なお、あなたがおっしゃりたいことは100%伝わっています。
 私が言っていることがあなたに1%たりとも伝わっていないのです。
>太田さんも罵倒モードに入ったようですし、私はこれにて終了いたします。<(同上)
 あなたが太田さんを心配されたように、太田さんもあなたを心配なさっているのですよ。
<QOHev4oY>(同上)
>「怪文書」で作った典拠もどきも「怪文書」ですよ?
 そうです。反語を使ったつもりでしたが上手く伝わらなかったようです。
 「このレポートが肝なんだから、探す努力をしないと」書いたような単純な話だと思うんですが、噛み合いませんね。
⇒法王訪アルバニア記事に出てきたイスラム教徒の割合の数字がおかしい、という私の直観が出発点であり、日本語ウィキペディアでチェックしたら、その直観を裏付ける数字が載ってたってだけのこと。
 この私の直観は英語ウィキペディアでも(若干の想定を交えつつも)裏付けられたんだから、日本語ウィキペディアの典拠のリンク間違いや、正しいリンク先の信憑性など、私からすれば、どうでもいいのさ。
 それよか、典拠のリンク間違いを指摘しておいて、正しいリンク先の信憑性を調べる(上述したような)「単純」な努力さえしないキミの方がどーかしてるんで、心配しとんのよ。(太田)
>あなたが太田さんを心配されたように、太田さんもあなたを心配なさっているのですよ。
 そうでしたか。それはありがとうございます。
<fvRSOTwI>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 ロックが駄目ならヘビメタも駄目っぽいね。
 クラシックと演歌が好きなヘビメタギタリストとかいるけど。
http://ja.wikipedia.org/wiki/メガデス_(バンド)
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/マーティ・フリードマン#.E9.9F.B3.E6.A5.BD.E6.80.A7.EF.BC.9A.E5.B9.85.E5.BA.83.E3.81.84.E8.B6.A3.E5.91.B3
<0.YEz5co>(同上)
 ヘビメタといえばBABYMETALが旬だよね。
 BABYMETALが米ビルボード“World Albums”チャートで首位獲得の快挙、来年1月に初のたまアリ決定。
http://www.musicman-net.com/artist/39470.html
http://www.youtube.com/watch?v=WIKqgE4BwAY
http://www.youtube.com/watch?v=PeARpcDimx4
⇒これ、カワイイ踊りあるね。音/声は伴奏。ま、盆踊りのcute/現代版だな。気にいったでー。(太田)
<iDUrDGxQ>(同上)
 たとえクラシック色が混ざってなくても昭和歌謡は好物のようだし、人間の好みはまだ頭が柔らかい時期に親しんだものが生涯続くということだしょう。
<太田>
 おいおい、そのことから、今回の論議の全ては始まってんだぞー。
 「人間の好み」は人それぞれだし、そうであって当然なんだが、戦後日本人の大部分に関して、「まだ頭が柔らかい時期に親しんだ」広義のロック音楽的な「好み・・・が生涯続く」結果、彼らの大部分に親米意識が刷り込まれちゃってるんじゃないかって僕は言ってるの!
<MH>
 コラム#7205<での感想、>どうもありがとうございます。
 さて次に紹介するのは、ドイツ出身のスコーピオンズのオケとの共演ライブ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%94%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA
 彼らはナマで見に行きましたが、とにかく上手いプレーで、「リハーサルやCD通りに本番プレー出来るのは後にも先にもスコーピオンズしかない」とツアーブッカーに言わせるほど。
Scorpions
 Wind Of Change (Moment Of Glory)
http://www.youtube.com/watch?v=rMUX_4B-Hr4
 Still Loving You
http://www.youtube.com/watch?v=fPBRrl6eSw0
 Rock You Like a Hurricane
http://www.youtube.com/watch?v=jJVJ140CdHQ
 北欧フィンランドのメタルバンドのNightwish
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%88%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A
5
http://www.youtube.com/watch?v=LZAAzWnCwBU
 英国は市場自体が全然ダメですが、最近は北欧~東欧にメタルマーケットが広がってきましたのが過去と異なることですね。
<太田>
 スコーピオンの最初のと次の曲はヨカッター。
 ナイトウィッシュのは、Tarja Turunenの歌唱力がすばらしく、このままでミュージカルに仕立て上げられるような、圧巻の興行でした。
 そもそも、オペラ座の怪人の曲が途中で演奏されてましたね。
 クラシック音楽のロック的編曲、実は、私自身、結構聴いていたって気付かされました。
<melody>
 コラム#7205を聴かせてもらいました。和音の重要さが分りますね。「幻想曲さくらさくら」すばらしいです。
 音楽の美しさをいろいろ考えたのですが、メロディは数学的、機械的な美しさで、和音は感情、情緒的な美しさだと個人的に思いました。
 単純な記号で表記される世界言語の代表は数学・音楽なのでそう感じるのでしょうね。
 「五木の子守唄」もいいメロディですが、さくらさくらのメロディは日本民族文化を越えて普遍的な美しさがあると思います。
 西洋人が「幻想曲さくらさくら」を聴いてもそんなに違和感無く耳に入るのではないでしょうか。
 そこで気に掛かったのですが、さくらさくらは江戸時代末期作曲なのですね。
 もっと昔、平安時代ぐらいに作られたのだ思っていました。
 さくらさくらが作曲できた(そして受け入れられた)土壌に江戸時代の数学、和算の発達、浸透があったからではないかと思います。
 和算の発達以前にも日本を越えた普遍的な美しい曲があるのかもしれませんけど。調べたのですが分りませんでした。
 本場のクラシックですが、私がメロディ単独でも美しいと個人的に思う古い曲ですが、パッヘルベルのカノンですが、バッハよりも昔ですから古いですよね。
 もっと古い曲があるかもしれませんが、検索しましたが分りません。
 パッヘルベル1653年~、ニュートン1643年~、関孝和1642年~と同世代ですから音楽、メロディに数学(特に微積分の概念に到達)が影響しているのでは考えています。
 これにコラム#7203の太田様の見解を加味できればいいのですが、私には無理です。
<太田>
>音楽の美しさをいろいろ考えたのですが、メロディは数学的、機械的な美しさで、和音は感情、情緒的な美しさだと個人的に思いました。
 事実はその逆です。
 メロディは感情、情緒の表現だからこそ、世界のどこの音楽にもあったけれど、数学的、機械的な「和音と和音との連結によって・・・創<られた>・・・音楽」を生み出したのは欧州だけであり、そういう音楽であることがクラシック音楽の必要条件だからです。
 残念ながら、その祖とも言えるラモーは法学徒(参考参照)であって数学者ではありませんが、大陸法学は合理論的な営みですし、和音重視は平均律音階の音楽環境がもたらしたというのが私見であって、欧州で平均律音階を「発見」したのは、オランダ人たる数学者・物理学者のシモン・ステヴィン(1548~1620年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%B3
です。
 (なお、例えば、日本でも「和算家の中根元圭が・・・1692年・・・<に>オクターヴを12乗根に開き平均律を作る方法を発表し」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%9D%87%E5%BE%8B
ていますが、平均律音階に基づく音楽が定着したのは、当初、欧州においてのみでした。)
——————————————————————————-
(参考)
 「ルネサンス期(15世紀 – 16世紀)になると、和音が意識されるようになった。対位法で複数の旋律が奏でられるとき、ある部分を縦に切り取ってみると、音の積み重ねとしての和音が存在する。対位法でたまたま生じた現象として和音を捉えるのではなく、和音と和音との連結によって音楽を創るという発想が支配的となった。
 その後、和音同士をいかに連結すべきかという法則が模索され、ラモー<(注)>によりカデンツの法則が提唱された・・・
 古典派(18世紀後半から19世紀初頭)の時代になると、カデンツ<(cadence)>の法則にのっとった和音の連結が至上のものとされるようになった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E5%A3%B0
 「カデンツとは、和音(ドミソやファラド)同士の連結において模索された法則です。
 曲の終止に向かう和音進行を最も簡単な進行としたもので・・・す。・・・
T(Tonic tried、Ⅰ)・・・調を代表する安定した音。始まりや終止の和音(Ⅰ)。
D(Dominant tried、Ⅴ)・・・構成に属音と導音を含んでいるため、Tへ向かおうとする。(Ⅴ)[緊張]
S(Subdominant tried、Ⅳ)・・・和音に広がりを持たせる(Ⅳ)。・・・
○カデンツの基本的な形
・T→D→T
・T→S→D→T
・T→S→T
等」
http://akiron300.ehoh.net/note/kadenz.html
(注)「ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau, 1683年9月25日 – 1764年9月12日)は、フランス・バロック音楽の作曲家・音楽理論家。・・・父親が・・・聖堂のオルガニストだった<けれど、>・・・もともとは法学を学<ぶ。>・・・根音や転回形といった概念を用いて機能和声法と調性を体系的に理論化した最初の音楽理論家としても有名」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%A2%E3%83%BC
——————————————————————————-
 私は、これに加えて、「それ単独で興行されることを目指すもの」、をクラシック音楽の定義に加えているところです。
 (この定義の末尾に、「で原則として原譜通りに興行されるもの」を付け加えた方がいいかもしれませんね。)
 このことにより、ジャズは、独特の技法によって演奏される
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%BA%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E
ところ、「和声・・・的にはケーデンスの法則(カデンツの法則)を重視した和音連結が行われ<る>」
http://sound.jp/dic_test/mobile/jazz.html
点でクラシック音楽と同様であるものの、通常、飲食とともに興行され(、アドリブが付き物であ)ることから、それは、クラシック音楽にはあてはまらないことになるのがミソです。
<太田>
 それでは、その他の記事の紹介です。
 朝鮮日報のこの女性記者は、日本が実は、韓国とは対蹠的な女性優位社会であることなど、想像を絶してるだろうな。
 とまれ、概ね正しい・・韓国のコンセンサスとは真っ向から背馳する・・慰安婦像を提示した塩野が韓国でもベストセラー作家であることに、この記者が我慢がならないのはよく分かるけれど、一体、塩野は、強い男に屈する弱い(平凡な)女性なのか、弱い(平凡な)女性たちを嫌悪している強い女なのか、どっちなのよ?↓
 「・・・長年にわたり女性を性的な道具と考えてきた家父長社会で、女性嫌悪は代々受け継がれてきた。・・・」
 「原罪」のように与えられた<この>女性嫌悪に縛られない女性もいる。自分を「例外的な女」と認識しているケースだ。社会的に成功している女性に多い。彼女たちは「自分は女性だと思って暮らしたことが一度もない」という言葉を自慢げに口にする。女性である自分自身を嫌悪する代わりに、自分以外の平凡な女性たちを嫌悪しているのだ。
 『ローマ人の物語』『十字軍物語』といった歴史物で韓国でもミリオンセラーを出している日本人作家・塩野七生氏もそうしたタイプだ。・・・
 シーザーのような男に屈することに喜びを感じる塩野氏のマゾヒズム的恋愛観をとがめるつもりはない。慰安婦問題の本質は、女性の人権蹂躙だという事実は無視したまま、祖国の体面に傷が付かないかどうかだけを心配する老醜がやるせないだけだ。少なくとも、塩野氏の本を必読書として愛蔵してきた韓国人読者たちに対する礼儀ではない。」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2014/09/27/2014092701064.html
——————————————————————————————————————————————-
太田述正コラム#7208(2014.9.28)
<中東イスラム文明の成立(その12)>
→非公開