太田述正コラム#7049(2014.7.10)
<キリスト教と資本主義の両立可能性(その4)>(2014.10.25公開)
3 終わりに代えて
 このシリーズは、実は、私のセンチメンタルジャーニーでもあるのです。
 かつて、私は、拙著『防衛庁再生宣言』の中で、以下のように記しています。
 「ある午後、<スタンフォード・>ビジネススクールの一教室で集会が行われていたので、中に入ってみた。すると、ビジネススクール出身の初老の一企業家が暗い顔をして何かしゃべっているではないか。あたりを見回すと、同僚の学生達が多数、これもまた青い顔をしてうなずきながら話を聞いていた。改めてその企業家の話に聞き耳を立ててみると、彼は、ビジネススクールで学んだことを活かし、社会で企業家として成功を収めたのだが、それは神の教えに反することではないかと何度も悩んだと語っており、私は思わず自分の耳を疑った。そして、その瞬間、『プロテスタンティズムの<倫理>と資本主義の精神』の中でマックス・ヴェーバーが提起した問題–「非世俗的、禁欲的で(キリスト教)信仰に熱心であるという事と、資本主義的営利生活に携わるという事…この両者は一見対立する。…(しかし、両者は)相互に内面的な親縁関係が存する」というくだりが鮮明によみがえった。」(169~170頁)
 ヴェーバーを引用した点に端的に現れているように、当時は、まだ、私の米国に対する見方が甘かったこともあり、次のような好意的なコメントを付しています。
 「金もうけを追求することは本来いけないことだからこそ、誰に対しても申し開きできる正当な方法で金もうけを追求すること、すなわち、アカウンタビリティが求められるし、もうけた結果は、チャリティ活動等で相当程度散じなければならないし、平素から、金もうけ以外の活動、すなわちボランティア活動やコミュニティ活動に携わらなければならないということになる。そして、その意図せざる結果として、社会全体の経済的繁栄がもたらされ、資本主義が永続するというわけである。」(170頁)
 しかし、今なら、こう言います。
 両立するわけがないさ、二者択一だよ、と。
 「両立」させようとすると、その当人は双極性障害的になってしまい、また、その資本主義は市場原理主義的なものに堕してしまうよ、と。
 そして、これに付け加えて、キリスト教を捨てるか習俗化させた上で、せめて、イギリスのように、資本主義を人間主義によって補完しなさい、但し、一番いいのは、日本型政治経済体制を継受することだよ、と。
4 付け足し
 イギリスにおける、資本主義のメカニズムを『諸国民の富』において、そして、それを補完する(私の言葉に置き換えれば)人間主義的なメカニズムを『道徳感情論』において、イギリスの直近の外側から解明したのは、スコットランド人のアダム・スミス(Adam Smith。1723~90年)(コラム#4174、4176、4736、4745、4873、5124、5815、6190、6200、6224、6445、6451、6453、6463、6577、6599、6648、6679、6711、6759、6773、6813、6881、6959、7041)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B9
でしたが、資本主義の担い手である側面に着目した個々のイギリス人の価値基準を、イギリスの内側から解明したのが、その1世代後のイギリス人のジェレミ・ベンサム(Jeremy Bentham。1748~1832年)(コラム#798、1707、3663、3875、6681、6855)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%AC%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%A0
でした。
 そのベンサムには、この資本主義の価値基準が、キリスト教とは相容れないものであることが、はっきり分かっていたのです。
 以下は、
http://www.theguardian.com/books/2014/jun/26/sexual-irregularities-morality-jeremy-bentham-review
(6月27日アクセス)からの引用です。
 「<ベンサム>は、功利主義(utilitarianism)<(注11)>の発明者であり、法実証主義(legal positivism)<(注12)>の創建理論家であり、費用便益分析(cost-benefit analysis)<(注13)>の最初の唱道者だった。・・・
 (注11)「ベンサムの功利主義は、古典的功利主義とも呼ばれ、個人の効用を総て足し合わせたものを最大化することを重視するものであ<る。>・・・幸福を快楽と苦痛との差し引きの総計とするか選好の充足とするかで、次の二つに分けられる。快楽主義型(幸福主義型<ないし古典的>)功利主義<と>選好充足型功利主義(選好功利主義)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%9F%E5%88%A9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 選好(preference)「とはミクロ経済学の一部をなす消費者行動理論において、個々の消費者の嗜好(好み)は複数の選択肢間の順序関係として定式化され<るものを指す。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E5%A5%BD
 (注12)法実証主義は「経験的に検証可能な社会的事実として存在する限りにおいての実定法のみを法学の対象と考え・・・正義・道徳といった形而上的な要素と法の必然的連関を否定し、規範と事実の分離を法の探求における前提とする<。>・・・<これは、>功利主義の立場から自然法思想及びコモン・ローを批判した<もの。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 (注13)費用便益分析については、「功利主義的観点から厚生(welfare)を増大する諸選択を同定すること」という説明がなされるも、その祖をフランスの経済学者のジュール・デュピュイ(Jules Dupuit。1804~66年))とするのが通例である。
http://en.wikipedia.org/wiki/Cost%E2%80%93benefit_analysis
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%94%E3%83%A5%E3%82%A4
 なお、日本語ウィキペディアには、功利主義への言及はない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%BB%E7%94%A8%E4%BE%BF%E7%9B%8A%E5%88%86%E6%9E%90
(続く)