太田述正コラム#7098(2014.8.4)
<ロシア亜文明について(その6)>(2014.11.19公開)
3 終わりに
 ここで、もう一つ、私の首を傾げさせた、米国人によるコラムからの記述をご紹介しましょう。
 「クレムリンから発せられる、敵意に満ちた反米、反西側修辞はロシア政府のウクライナ紛争への支援の主要駆動物群の一つであり続けてきた。
 この反感(antipathy)はそのルーツを1991年のソ連の崩壊(fall)、及び、それに続いたところの、富と権力を求めての節操のない争い(unprincipled scramble)を煽った失われた諸希望と幻滅に持つ。
 結果として続いた何十年を通して、ロシアの権力階級(establishment)の指導者達は、欧米の経済的かつ政治的諸制度に対して猜疑心を募らせ強烈に敵対的になってきた。
 この反感の源泉は、・・・いくつかの外国の諸範例(models)に従って自分達の国を近代化することに失敗したことについての、選良のフラストレーションなのだ。」
http://www.nytimes.com/2014/07/21/opinion/russias-anti-west-isolationism.html?ref=opinion&_r=0
(7月21日アクセス)
 冒頭でご紹介したフォーリン・ポリシーのコラムは、ロシアの対外的言動について、超時代的に、その権力者が権力維持目的で外国からの脅威をプレイアップしてきたものであるとし、他方、すぐ上でご紹介したNYタイムスのコラムは、ロシアの対外的言動について、ソ連崩壊後の挫折感が、スケープゴートへの反感に姿を変えた結果であるとしていますが、どちらも正鵠を射ていないことがお分かりになったことと思います。
 要するに、私見では、ロシア人の大多数には、プロト欧州文明を継受していた期間、せいぜいそれに加えて欧州文明の過渡期を部分的に継受していた期間、がロシアの黄金時代であったという認識があるのです。
 その前のロシア創世記は、タタールの軛をもたらしたし、1861年の農奴解放令以降の本格的な欧州文明継受(注16)は、帝政ロシア時代のナショナリズムも赤露時代の共産主義/スターリニズムも、新生ロシア時代の市場原理主義も、それぞれ最終的には挫折に終わり、しかも、現在のロシアの欧州内の国境線は、実にモンゴル襲来前の1200年時点のもの
http://i.gzn.jp/img/2013/09/21/chiliad-european-history/01.png
とほぼ同じ位置にまで後退してしまっています。
 (注16)「ニコライ2世の治世ではヴィッテ財務大臣によるフランス外資の導入による、重工業化が行われた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2
 「シベリア鉄道<は、>・・・1891年に建設を開始し、露仏同盟を結んでいたフランス資本からの資金援助を受けながら難工事を進めた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A2%E9%89%84%E9%81%93
 「三国干渉・・・は、1895年・・・にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国<は>日本に対して勧告<を行い、>日本と清の間で結ばれた下関条約に基づき日本に割譲された遼東半島を清に返還することを求め<、これを日本に飲ませた。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%9B%BD%E5%B9%B2%E6%B8%89
 以上は、欧州文明継受国となっていたロシアが、欧州文明の両本家たる仏独と、文明的に生来的な同盟関係を構築するに至っていたことを示すいくつかの事例だ。
 ラパッロ条約から始まる、第一次世界大戦後の露独協力も、第二次世界大戦後の、赤露の東欧「占領」と呼応するかのような仏伊での共産党の勢力伸長も、現在の、露と欧州の足並みを揃えてのプロト欧州文明化の動きもまた、そうだ。
 
 要するに、ロシア人達は、欧州がアングロサクソン文明を模倣し、追い越そうとした時期の欧州文明を自分達が継受したことは大失敗だったと唇を噛んでいるです。
 とにかく、ロシアのこんな現在の状態では、アジアにおける、モンゴルの後継者たる、イスラム系勢力や支那からの脅威に到底対処できない、という安全保障上の根源的危機意識の下、ロシア人達、ひいてはプーチンは対外的言動を必死の思いで展開してきている、と私は見ているのです。
 彼らにしてみれば、幸いなことに、最初のプロト欧州文明(継受)期と違って、現在は、農業のほか、赤露時代に培った軍事産業に加えて、石油・天然ガス資源が安全保障の原資になる、という気持ちなのでしょう。
 
 しかし、このような思い込みに基づく戦略は致命的な誤りである、と言わなければなりません。
 前にも記したことがありますが、ロシア人達は、モンゴルの軛のトラウマを、遅ればせながら、今こそ克服し、むしろ、自分達が、人種的にもモンゴルを始めとするアジア人との混血であるとの意識を持って、ユーラシア志向を打ち出し、トウ小平以後の支那の顰に倣って、(モンゴルのかなたのアジアの)日本文明に着目し、創世記のロシアの自由の文化を想起しつつ、自分達の人間主義化を図るべきであり、プロト欧州文明回帰など愚の骨頂である、というのが私の見解です。
 しかし、残念ながら、ロシアは、ソ連崩壊後、日本よりも遙かに速いペースで人口減少が進んでおり、また、自傷行為的な対欧米政策を追求することで経済苦境を今後も招き続けると思われ、その軌道修正はできない、と予想せざるをえません
(完)