太田述正コラム#7118(2014.8.14)
<英米性革命(その5)>(2014.11.29公開)
 物言わぬ多数派(Silent Majority)の道徳的後見人たる、品位兵団(Legion of Decency)<(注27)>、映倫規定(Motion Picture Production Code)、米猥褻諸法、英映倫(British film censor)等々の存在にもかかわらず、ホフラー氏言うところの痙攣的な1960年代と70年代において、<性に係る>諸バリケードは驚くほど速く瓦解したように見える。
 (注27)National Legion of Decency。米国で1933年に設立されたカトリック系の団体で米映画産業に大きな影響力を行使した。
http://en.wikipedia.org/wiki/National_Legion_of_Decency
 例えば、1969年には、カルト収集者の<収集対象>アイテムたる『人形達の谷を超えて(Beyond the Valley of the Dolls)』<(注28)>・・映画『人形達の谷(The Valley of the Dolls)』の続篇・・<の脚本>が、ロジャー・イーバート(Roger Ebert)<(注29)>という、まるまる太った若き映画評論家によって書かれたが、彼が、文化的革命家というよりは、機知に富んだオポチュニストであったことが我々に衝撃を与える。
 (注28)「芸能界の裏側を描いた1970年公開の<米>映画。・・・監督ラス・メイヤー、脚本はメイヤーとロジャー・イーバートの共同執筆。当初、この映画は1967年の映画『哀愁の花びら Valley of the Dolls 』の続編として企画されたが、20世紀フォックスが同名の原作小説の作者、ジャクリーン・スーザンに脚本草案が拒絶されたため、オリジナルのパロディーに方向修正がなされた。その結果、映画の冒頭に2つの映画に関連がない事を知らせる断り書きが置かれた。公開と同時に、映画は・・・成人指定(Rated X)を受けた。(1990年に、17歳未満禁止(NC-17)に改められた。)」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
 (注29)1942~2013年。「<米>国の映画評論家、テレビ司会者、作家。新聞、テレビ番組、著作、講演活動や教授職、自身のウェブサイトを通じて多くの人々に映画の観方や受容の仕方を紹介したり知られざる名作を紹介したりするなど、<米国>で最も有名で、信頼される映画評論家<であった>。かつ、新作映画評での手厳しさから、映画関係者には非常に恐れられてい<た>。」イリノイ大学卒、奨学金でケープタウン大学大学院に学び、シカゴ大博士課程に在籍。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88
 「それは、性利用(sexploitation)恐怖ミュージカルであって、4者間の儀式殺人と3者間の結婚で終わる」と彼は、タイム誌に情報提供したものだ。
 イギリスでは、1971年に、女王の妹のマーガレット王女と彼女の夫のスノードン(Snowdon)卿が、ジョン・シュレシンジャー(John Schlesinger)<(注30)監督>の(映画では初であって検閲を辛うじて潜り抜けたところの、二人の男性達の間でのキスで名高い)『日曜日血の日曜日』<(前出)>のロンドンでの特別封切に出席した。
 (注30)1926~2003年。「イギリスの映画監督。・・・ロンドン出身。ユダヤ系の家庭に生まれる。オックスフォード大学・・・在学中から写真や映画に興味を持ち、短編映画を製作。卒業後、BBCでドキュメンタリー番組を手がけるようになる。
 1960年に制作したドキュメンタリー『Terminus』で・・・ヴェネツィア国際映画祭金獅子賞を受賞。1962年の恋愛映画『或る種の愛情 <A Kind of Loving>』ではベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。1964年の『ダーリング』ではジュリー・クリスティにオスカーをもたらした。1969年の『真夜中のカーボーイ』ではアカデミー監督賞を受賞。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC
 マーガレット王女は、鑑賞後、怒って、「身の毛がよだったわ」を苦情を述べたのに対し、彼女の夫は、「マーガレットよ黙んなさい」と制した。
 1972年には、誰あろう、バート・レイノルズ(Burt Reynolds)<(注31)>が、センセーショナルに、コスモポリタン(Cosmopolitan)誌の見開き頁において初の男性ヌードを披露した。
 (注31)1936年~。米国の俳優。「アイルランドとチェロキー族の血を引く父と、イギリス人の母の子として生まれ、フロリダ州立大学時代はアメリカンフットボールの選手として活躍した(同校は全米屈指のフットボールの強豪のひとつである)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%8E%E3%83%AB%E3%82%BA
 こうして、世界は進行を続けたのだった。
 「性利用」と言えば、1950年代末における、D・H・ロレンス(Lawrence)の『チャタレイ夫人の恋人(Lady Chatterley’s Lover)』<(注32)>、ヘンリー・ミラー(Henry Miller)の『北回帰線(Tropic of Cancer)』<(注33)>、そして、ウィリアム・S・バロウズ(William S. Burroughs)<(注34)の『裸のランチ(Naked Lunch)』<(注35)>が、依然、諸法廷で争われていた・・最後は成功する・・ことを思い起こさせる。
 (注32)「1928年に発表された。ただし当初は検閲により一部の描写が削除され、無修正版の刊行は1960年となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%BF%E3%83%AC%E3%82%A4%E5%A4%AB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%81%8B%E4%BA%BA
 (注33)「1934年にパリで発表された。ミラーの処女作であり、自伝的小説でもある。1930年代のフランス(主にパリ)の日常を、過去と現在の視点で描いたもの。1961年にアメリカでも刊行されたが、作品内の性表現が法律に触れ、発禁になった(1964年に連邦最高裁で「わいせつ文書ではない」とする判決があった)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%9B%9E%E5%B8%B0%E7%B7%9A_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC)
 余談だが、ミラーは、「女性遍歴が豊富なことでも知られている。結婚は5回している。最後の妻だったホキ徳田は、本人からは8人目の妻と聞いていたという。・・・ホキ徳田との結婚は、ミラーが75歳の1967年で、50歳近い年齢差があったことから、遺産目当てと目されて欧米では批判的な記事が踊った。あるパーティで徳田を見染めたミラーは、ロスの日本料理店でピアノを弾いていた徳田のもとに通い詰めた。膨大な数の熱烈なラブレターを徳田に送り続けたが、・・・徳田の滞在ビザが切れそうになったのをきっかけに、寝室は別にすることと友人の同居を条件に、徳田が結婚を承諾。3年で別居したが、離婚したのは1978年である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%BC
 (注34)1914~97年。米国の小説家、随筆家、画家、言語のみ劇俳優。ハーヴァード大卒。ウィーンの医学校でも学ぶ。
http://en.wikipedia.org/wiki/William_S._Burroughs
 (注35)米猥褻諸法を避けるために1959年にパリで出版。完全米国版は1962年。
http://en.wikipedia.org/wiki/Naked_Lunch
(続く)