太田述正コラム#7196(2014.9.22)
<中東イスラム文明の成立(その6)>(2015.1.7公開)
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<脚注:Isisのことが本当に分かっていない米英?(続々)>
 ブレア英元首相は、次のように言っている。
 「本当のことを言えば、イスラム主義(Islamism)<(注4)>は、抜本的に改革されない限り、近代諸経済と偏見のない、宗教的に多元主義的な諸社会とは相いれない。
 (注4)「シャリーア(イスラーム法)を規範として統治される政体(イスラーム国家)の実現を企図する政治的・社会的諸運動や思想潮流などを指す用語」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 この真実が認識されなければならない。・・・
 このイスラム主義・・宗教の激しく(intense)限りなく広い(all-encompassing)程度までの政治化・・は極端論者(fringe)だけに局限されているわけではない。
 それは一つのイデオロギー・・それは、サラフィー主義(Salafist)<(注5)>的思考に由来する一つの神学・・であって、いくつかのモスク群の中で、特定のマドラッサ群、そして、世界中の公式非公式の教育諸制度の中で、毎日何百万もの人々・・実際には何千万もの人々・・に教えられ説教されているのだ。」
http://www.theguardian.com/politics/2014/sep/22/blair-defeat-isis-ground-troops
(9月22日アクセス)
 (注5)「初期イスラムの時代(サラフ)を模範とし、それに回帰すべきであるとするイスラム教スンナ派の思想。・・・現実的にはシャリーアの厳格な施行を求め、聖者崇拝やスーフィズム、シーア派を否定<し、>・・・イスラーム国家の樹立を求める・・・<が、>基本的には非暴力的である。・・・近世に生じたワッハーブ派はサラフィー主義から派生したもので・・・これに含む考えもある。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 かねてから宗教的過激派(religious extremism)を非難してきたブレア(コラム#6728)が、イスラム教に関しては、過激派が、広範な支持を得ていることに注意を喚起した、といったところだ。
 (なお、そのコラム#6728で、ブレアを非人間主義者である、と私は批判したが、この批判は無茶苦茶なので、この際、撤回しておく。)
 恐らく、ブレアは、イスラム主義が目指すものこそ、本来の、つまりは、ムハンマドの時のイスラム教そのものであることは百も承知で、ポリティカル・コレクトネスの観点から、より端的には、サウディアラビアやエジプト政府に対するコンサルタント業務に従事している自分の立場を守るために、寸止め的表現に留めているのだろう。
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  イ トルコ
 「<結局、>トルコは、先週、サウディアラビアのジッダ(Jeddah)で開催された会議において、Isisに対する連合(coalition)構築を助ける文書に署名したアラブ10か国に加わらず、Isisに対する軍事諸作戦に参加しないことを明確にした。
 <但し、>トルコは、人道援助を提供する気持ちはあるし、米国の諸努力に秘密裏の支援を与える可能性は大いにある。・・・
 [<その>トルコは、<モスルのトルコ総領事館の館員達たる>人質の返還を祝うとともに、Isisから逃げてきた<シリアの>クルド人達に国境を開放し<たところだ。>]
 <そもそも、トルコは、反アサド努力に対する自国政府による支援が極めて効果的(critical)であったことから、Isisがトルコ人には危害を加えないと考えてしまう、というひどい計算ミスを犯した<結果、館員達の避難が遅れたものだ>。・・・
⇒トルコがIsisに見返りを提供せずに人質が解放されるわけがありません。
 ジッダの国際会議におけるトルコの姿勢は、見返りが何であったかを物語っています。(太田)
 <なお、>トルコのシリアとの国境の南で、トルコ兵の一隊(squadron)が、オスマントルコの最初のスルタンの祖父のスレイマン・シャー(Suleyman Shah)<(注6)>のものとされる昔の墓を警護している。
 (注6)?~1227年。「ユーフラテス川で溺死し、遺体はその近くに埋められ、現在その場所はジャベル・カレスィという城の中にあり、テュルク・メザル(Turk Mezarı, 「トルコの墓」)と呼ばれ、トルコ人の間で神聖視されている。この場所はフランスとトルコの間で1921年に交わされたアンカラ条約によって、フランス委任統治領シリアの中のトルコの飛び地となり、現在もトルコで唯一の飛び地である。1973年、タブカ・ダムの建設によって貯水池[(アサド湖)]に沈められた。スレイマン・シャーの墓石は政府間の交渉により[、その80km北方でトルコ国境から35kmの]アレッポ県 Karakozak村の近くの8,797m2の指定地に移された。今日ではトルコの国家憲兵(ジャンダルマ)がこの飛び地を警護している。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
 2014年3月20日に、Isisが、トルコが衛兵を退去させなければ、ここを攻撃すると通告し、トルコ政府は攻撃はトルコの領域への攻撃とみなす、と回答し、攻撃が行われないまま現在に至っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tomb_of_Suleyman_Shah
 トルコのもう一つの問題は、自らの領域内における聖戦主義支援インフラの出現だ。
 元駐トルコ米大使・・・は、最近ジャーナリスト達に対し、トルコ政府は、アルカーイダ系のジャバト・アル=ヌスラ(Jabhat al-Nusra)等、米国が「お尋ね者(beyond the pale)」とみなしている諸集団と協同してきた、と語った。・・・
 世論調査によれば、トルコ人のわずか70%しか、Isisをテロ集団と見ていない。
 7,500万人の国で、30%がこのような見解を共有していないということは、<トルコが、>この聖戦主義者集団の重要な潜在的リクルート源であることを意味している。」
http://www.foreignpolicy.com/articles/2014/09/21/islamic_state_turkey_hostage
(9月22日アクセス)
http://www.theguardian.com/world/2014/sep/20/turkey-hostages-syria-kurds-isis
(9月21日アクセス)([]内)
 上掲から、トルコがIsisを、アサド政権ほど敵視していないどころか、どちらかと言うと味方視していることは、ほぼ明らかである、と言ってよいでしょう。
 これでは、トルコの現在の公正発展党政権は、同党が公式にはイスラム主義放棄を標榜するに至っている
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%AD%A3%E7%99%BA%E5%B1%95%E5%85%9A
にもかかわらず、実態はイスラム政党政権のままである、と考えざるをえません。
(続く)