太田述正コラム#7493(2015.2.18)
<皆さんとディスカッション(続x2542)/イスラム創世記に寛容の思想?>
<太田>(ツイッターより)
ウクライナの叛徒側は、デバリツェボの大部分を制圧したと表明。
 ウ政府側はこれを否定した。
http://www.bbc.com/news/world-europe-31495099
 しかし、この戦線に関しては、叛徒側からの情報の方が信憑性がある。
 ウ政府は包囲されているウ軍部隊救出/反撃作戦を敢行するのか白旗を挙げるのか決めにゃ。
 「「ただペコペコしてるだけでしょ?」と日本のサービスに否定的だった中国人、訪日して考えが一変=「予想をはるかに超えていた」…」
http://news.livedoor.com/article/detail/9792453/
「和食を世界に広めたキッコーマンの醤油差し–工業デザイナー・栄久庵憲司氏の訃報に思うこと…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/02/17/2015021701245.html?ent_rank_news
 中共の人民と韓国の朝鮮日報による、日本讃嘆太鼓の並び打ちだよー。
 「韓国経済に「崩壊」の兆しか・・・財閥偏重の「歪んだ経済構造」=中国メディア…」
http://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AB%E3%80%8C%E5%B4%A9%E5%A3%8A%E3%80%8D%E3%81%AE%E5%85%86%E3%81%97%E3%81%8B%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E8%B2%A1%E9%96%A5%E5%81%8F%E9%87%8D%E3%81%AE%E3%80%8C%E6%AD%AA%E3%82%93%E3%81%A0%E7%B5%8C%E6%B8%88%E6%A7%8B%E9%80%A0%E3%80%8D%EF%BC%9D%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%83%A1%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2/ar-BBhEept#page=2
 中韓両国は仲良くね、と言っとこうか。
<太田>
 それでは、その他の記事の紹介です。
 仮に引用が正確だとして、言葉や論理が極めて杜撰だが、「人身売買を必然的に伴う売春宿」を「軍(政府)」が設置したのは不適切であり、慰安婦は全員不法行為の被害者であると見なすべきである、という発想は、欧米的スタンダードに則っているな。↓
 「・・・軍慰安婦らが民間業者にだまされて集められたとしても、軍部隊付属の慰安所に連行されてはじめて自分の置かれた状況を知った。抵抗すれば日本の軍人に暴力や脅迫を受けたため、軍慰安婦は日本の売春婦とは異なる・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/02/17/2015021702654.html
 こんだけ元気なら、自分の天職である、長編アニメ制作に戻りなさい!↓
 「巨匠・宮崎駿氏、周辺国を侵略した日本の過去を批判–安倍首相の憲法改正論にも反対・・・」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2015/02/18/2015021800366.html
 プーチン、ハンガリーを公式訪問。
 EU内のロシアのお友達国は数多いが、ハンガリーのように公然とお友達であることを見せつける国は珍しい。↓
 <お友達国:ハンガリー、チェコ、スロヴァキア、ギリシャ。
 (ツオーイ隣国には迎合する小国群が出現するのは世の習いって奴だ。(太田))↓>
 ・・・Czech Republic, Slovakia, and Hungary, have gone along with EU sanctions but also expressed discontent with them. The new far-left government of another EU member, Greece, threatened to derail efforts to turn up the sanctions heat on Russia last month.・・・
http://www.csmonitor.com/World/Europe/2015/0217/Putin-takes-Russia-still-has-friends-tour-to-Hungary-video
 Isis、イラクの治安部隊士官達を含むイラク人45人を、「解放」したばかりの町・・米軍駐留基地の近く・・で焼殺。↓
 The Islamic State (ISIS) has burned 45 Iraqis to death on Tuesday,・・・
 ・・・some of those killed may have been Iraqi security officers, though their identities and the reason for their executions were not immediately known.・・・
 The executions occurred in al-Baghdadi, a town in western Iraq that ISIS first advanced on last week. ・・・
http://www.newsweek.com/report-isis-militants-burn-45-iraqis-death-307381
 エジプトは、国内とリビアからIsisの攻撃を受けてアップアップ状況だとさ。↓
 ・・・Mr. Sisi is already fighting Islamist-inspired militants at home, including an Islamic State (IS) affiliate in the eastern Sinai Peninsula. Now, with its first confirmed airstrike against IS forces in Libya, Egypt is engaging on its western flank. ・・・
 <だもんで、国連安保理に泣きついて、イラクとシリアだけじゃなく、リビアのIsisも攻撃できるお墨付きをくれ、と言い出した。↓
 ・・・ now Egypt is appealing for the US-led coalition against IS to turn its attention to Libya.・・・
http://www.csmonitor.com/World/Middle-East/2015/0217/Why-Egypt-may-be-hard-pressed-to-fight-Islamic-State-on-two-fronts-video
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–イスラム創世記に寛容の思想?–
1 始めに
 本来、表記は、有料コラムに回すべき内容のものですが、時間があるので、ここで取り上げることにしました。
 本日、NYタイムスに表記に係る下掲のコラムが掲載されていました。
http://www.nytimes.com/2015/02/18/opinion/mustafa-akyol-a-letter-concerning-muslim-toleration.html?ref=opinion&_r=0
(2月18日アクセス)
 以下、そのさわりをご紹介しながら、私のコメントを付します。
2 イスラム創世記に寛容の思想?
 「・・・啓蒙主義は多くの思想家達を持ったが、キリスト教徒たるロック(Locke)は、宗教的不寛容に対して自由を擁護するにあたって、フランスでヴォルテール(Voltaire)がやったように宗教を攻撃するのではなく、宗教を再解釈した、ということで例外に属した。
 ロックは、政治的及び宗教的自由論を、理性と聖書の双方に立脚して展開したのだ。
 今日、イスラム教思想が自由主義化しなければならないとしたら、それはロック的跳躍を行わなければならない。
 これは、何らかの欧米の文化的観念の輸入を意味しない。
 なぜならば、ロック的伝統は、7世紀末にうずもれてしまったところの、概ね忘れ去られた神学者達の学派でムルジット派(Murjites)<(注1)>と呼ばれたものが、イスラム教に長らく存在してきたからだ。
 (注1)「7世紀末にうずもれてしまった」どころか、この学派の考え方がウマイヤ朝の寛容主義を正統化した。なお、この学派は、重大な罪を犯してもなおイスラム教徒であり続けることが可能である、とも主張した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Murji’ah
 この派は、争い(strife)の時期に出現した。
 当時、前スンニ派と前シーア派が、誰が預言者ムハンマドの正しい(rightful)承継者であるかを巡って闘っており、ハリジット派(Kharijites)<(注2)>ないしは「異議申し立て者達(Dissenters)」と呼ばれた狂信的集団が、自分達以外の全てのイスラム教徒達は背教者達であると見なし、彼らの殺害を始めていた。
 (注2)初期カリフ達の最後、第4代のアリ(Ali。600/607~661年。カリフ:656~661年)・・ムハンマドの従弟にして義理の息子・・を正統カリフの最後とするスンニ派、そうではなく、最初のイマームにして、彼の子孫だけがカリフたりうるとするシーア派、のどちらでもなく、もともとはアリの権威を認め後に否定したという点で、第三の派と言える。彼らこそ、「7世紀末にうずもれてしまった」方だ。
http://en.wikipedia.org/wiki/Khawarij
http://en.wikipedia.org/wiki/Ali
 この熱狂(zealotry)に対抗するため、より都会的なムルジット派は素晴らしく単純な議論を提示した。
 すなわち、いかなるイスラム教徒も、信仰(faith)の諸事柄について他者達を判定する権利はないのであって、神のみがその究極的権威を有する、と。
 よって、全ての教義的諸紛争は、神によって決せられるところの、死後まで先延ばしされるべきである、と。
 (コーラン自身がこの見解を支持している。
 すなわち、「神がそう欲されたならば、神はお前達を単一のコミュニティにしていたことだろう」や、「お前達全員が神の下に戻り、神は、お前達にお前達が意見を異にした諸物事について教え諭すことだろう」、だ。)
 これが、彼らが「先延ばし論者達(the Postponers)」を意味するところの、「ムルジット派」と呼ばれたゆえんだ。・・・
 それより1000年の後、熱情的なキリスト教内紛争の只中で執筆したロックは、同じ先延ばしの議論を行った。
 『寛容に関する書簡(A Letter Concerning Toleration)』<(注3)>の中で、彼は、「彼らの信仰(worship)の諸教義及び純粋性に関する真理」について、種々の諸教会に裁定を下す「地上の裁判官」はいない、と主張するとともに、「この問題の決定は、過ちを犯した者達の処罰権を独占するところの、全ての人間達の至上かつ唯一の裁判官<たる神>に属する」、と付け加えた。
 (注3)1689年出版。ラテン語で執筆。実際にロックが友人に送った書簡であり、ロックが知らないうちに、その友人によって出版された。
http://en.wikipedia.org/wiki/A_Letter_Concerning_Toleration
 ロックは、また、信仰(faith)は、「心(mind)の内なる説得」であり、「外部の(external)力」で強いることがあってはならない、と信じていた。
 この点に関しても、彼はムルジット派に似ていた。
 ムルジット派にとっては、信仰は、マリファ(marifa)、すなわち、心(heart)の内なる知(knowledge)なのであって、対外的諸声明によって計られるべきではなく、また、いかなる宗教警察の裁定をも超えるものなのだ。
 先延ばし論者達は、イスラム教の最初の数世紀の後、より厳格な諸見解を推した歴代の専制君主達によって無視され続けたために、独立した宗派(sect)としては消滅してしまった。
⇒「7世紀末にうずもれてしまった」はずが、「イスラム教の最初の数世紀」存続した、というのはこれいかに?
 より深刻なのは、(ウマイヤ朝に始まる)「歴代の専制君主達」は、ムルジット派の寛容主義でもって統治を続けた・・その最初の例外がワッハーブ派の教義だけを正しいとしたサウディアラビアの歴代専制君主達だ・・という史実をこのコラム筆者が180度歪曲していることです。(太田)
 しかし、彼らは、<現在の>トルコと中央アジア諸国で依然人気があるところの、<イスラム>神学のマツリディ(Maturidi)学派<(注4)>、及び、ハナフィー(Hanafi)法学(jurisprudence)派<(注5)(コラム#5734)>、という、イスラム教スンニ派の最も合理的で寛大な(lenient)諸流派(strains)に影響を与えた。
 (注4)スンニ派が認める三つの学派のうちの一つであり、ハナフィー法学派が盛んな地域で盛んではあっても、マツリディ学派自身が「最も合理的で寛大」である、という評価がなされているわけではない。
http://en.wikipedia.org/wiki/Maturidi
 (注5)スンニ派「における四大法学派のひとつ。・・・他の学派に対するハナフィー派の特徴としては、法解釈においてキヤース(類推)の意義を重視することがあげられる。またキヤースによる結果が採用しがたいものであった場合、ラーイ (<イスラム>法学)(個人的意見)に基づく判断を下すこと(イスティフサーン)を認めている。ハナフィー派はヒヤルを行なうことにも寛容である。そうした特徴を持つため、四大法学派のなかでもっとも柔軟な法解釈が可能であるとされる。<また、>ハナフィー派は比較的女性の権利を尊重する傾向にある。・・・
 東地中海地域と北アフリカを中心に、中央アジア、パキスタン、インド、<支那>でも有力な学派である。現在全<イスラム教徒>のおよそ30パーセントがハナフィー派に属す。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%BC%E5%AD%A6%E6%B4%BE
 「ヒヤル(・・・hiyal)とは、アラビア語で奸計、潜脱を意味する言葉で、シャリーア・・・に照らして合法(適法)的な<利子、売春等の>行為を複数組み合わせて、本来はシャリーアにおいては非合法(非適法)な結果を達成する行為のことである。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%A4%E3%83%AB
⇒イスラム世界の政経中枢から遠く離れた「辺境」地帯においては、イスラム教が土俗諸宗教の影響を払拭できなかったこともあり、ムルジット派の影響下に置かれることとなったイスラム教の「合理的で寛大な」度合いが一層甚だしくなった、というだけのことなのであって、ここでも、このコラム筆者は、史実を歪めています。(太田)
 ムルジット派の諸観念は、今日の全てのイスラム教徒達のために復興させる価値が大いにある。
 今や、かつての自分達<の時代>と苛立つほど(unsettling)似通った様相をイスラム世界が帯びるに至っているのだから・・。
 再び、スンニ派とシーア派は諍いを起こし、急進的なネオハリジット派が血をまき散らしており、神の仕事を地上で行うと称して、独善的な清教徒達が罪人達や異端者達を処罰しているのだ。・・・」
⇒何度も申し上げているように、Isisは、イスラム創世記・・ムハンマドや正統カリフ達の時代・・、換言すれば、ムルジット派に拠ったウマイヤ朝よりも前の時代を理想とし、その時代の「イスラム国」の国内外政策を、21世紀のテクノロジーを駆使しつつ、忠実に踏襲している(踏襲しようとしている)のであり、それを、このコラム筆者のように、イスラム教の枠内で論駁しようとしても、およそ不可能というものです。
 なぜなら、ウマイヤ朝の時に、イスラム世界の膨張はほぼ止まってしまったからです。
 Isisは、ウマイヤ朝の蹉跌は、同朝(、及び、それ以降の全イスラム諸王朝)が、イスラム創世記の「イスラム国」の国内外政策から逸脱した国内外政策、つまりは、ムハンマドやその正統な後継者達のそれから逸脱した国内外政策、をとったからこそだ、と考えているのであって、まともなイスラム教徒であれば、この考えに首肯せざるをえないからです。(太田)
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太田述正コラム#7494(2015.2.18)
<挫折した恋の効用(その2)>
→非公開