太田述正コラム#7332(2014.11.29)
<新イギリス史(その5)/私の現在の事情(続x45)>(2015.3.16公開)
 「<イギリス史の>最初の13世紀の間、様々な諸側面において、同国は、競争の先頭走者の地位にあったのであり、「かくも早期に、そして、かくも速く、都市的、工業的にして、金持ちで、準(semi-)民主主義的で、かつ、知的に多元主義的、になった国はなかった」。
 近年における、イギリスの自己イメージに係る問題の多くは、<イギリスに>追い付きつつある世界の他の地域への<イギリスの>適応を巡ってのものだ。」(B)
 「トゥームズ教授は、「移民は、茅葺小屋群とミルク紅茶群と同様、我々の歴史の多くの部分を占めている。というのも、イギリスは、移民によって、その近傍の隣人達、及び、世界における、より遠方の諸部分の双方と、相互作用を行ってきたからだ」、と示唆する。
 この歴史学者は、「<イギリス人は、>民族性(nationhood)について無頓着で、イギリス・ナショナリズムを主張することに乗り気ではなく(reluctant)あり続けてきたのであり、そんなものが存在することすら否定しきた」と付け加える。
 「多民族国家(multinational state)<たる英国>、次いで、全球的帝国、の核心的民族たるイギリス<人>にとって、ナショナリスト的太鼓を叩くことは望ましくないだけでなく不必要でもあった」、と彼は主張する。
 トゥームズ教授は、「国旗をふるなんてことは、当惑するほど、そして、馬鹿げているほど、非イギリス的なことなのであり、…<それは、>大部分のイギリス人にとって、現在でもなおそうなのだ」、とトゥームズ教授は・・・主張する。
 彼の見解では、イギリス性は、「排他と反対によってではなく、包含と拡大によって形成」されてきたのだ。
 その民族的アイデンティティに関するスタンスは、イギリス人をして、人種主義に対して抵抗力のある、かつ、他の諸文化に対して概ね寛容である、存在にした、と彼は述べた。
 彼のこの新しい本によれば、<イギリスの>欧州懸念者達(Eurosceptics)の修辞もまた、歴史的事実に照らせば対蹠的な立場なのだ。
⇒上記については、(こん畜生と思う部分もあるけれど、)同意です。(太田)
 アルフレッド大王< (Alfred the Great。849~899年)(コラム#1501、1650、3077、3438、3442、3465、3724、3954、4391、5009、6970等)>からカヌート(Cnut)<(注7)(コラム#1025)>まで、次いで、(ウェールズとともに)チューダー朝期の間、においてのみ、イギリスは、孤立した政治的実体(entity)として機能した、と彼はこの本の中で指摘する。」(C)
 (注7)995~1035年。「ノルマン系デーン人で、<イギリス>王・デンマーク王・ノルウェー王を兼ねた王(<イギリス>王在位:1016年~1035年、デンマーク王在位:1018年~1035年、ノルウェー王在位:1028年〈1030年説あり〉~1035年)。・・・デンマーク王スヴェン1世の子。 母はスラヴ人・・・でポーランド統一者であるミェシュコ1世の娘・・・。同じくミェシュコ1世の子であるポーランド国王ボレスワフ1世(勇敢王)は叔父にあたる。・・・父スヴェンおよび叔父ボレスワフ1世配下のポーランド諸侯と共に<イギリス>に侵攻して活躍した。1014年、父が戦死した後、その後を継いで戦い続けて勢力を拡大した。それをもって1016年、アングロ・サクソン封建家臣団の会議で<イギリス>王に推挙され、即位することとなった。1018年には兄ハーラル2世の死によりデンマーク王位を継承した。その後はノルウェーやスウェーデンに遠征して勢力を拡大した。1028年にはノルウェー王位も兼ねることとなり、3国の王位を兼ねて「大王」と称された。・・・1035年、41歳で死去した。死後、後継者争いが起こって、北海帝国は<カヌート>の死後わずか7年で崩壊した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%8C%E3%83%BC%E3%82%BA1%E4%B8%96_(%E3%83%87%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E7%8E%8B)
⇒このくだりの意味はよく分かりませんでした。
 少し、考えてみたいと思います。(太田)
(続く)
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  –私の現在の事情(続x45)–
 今、本日正午前に届いたレコードプレーヤーでリムスキー・コルサコフの「シェヘラザード」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%98%E3%83%A9%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%83%89_(%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%EF%BC%9D%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%B5%E3%82%B3%E3%83%95)
(指揮:マリオ・ロッシ ウィーン国立歌劇場管弦楽団 バイオリン:Miriam Solovieff キングレコード)を聴きながら、これを書いています。
 komuroさん提供のヘッドホンでは音が小さい・・プレーヤー側ではボリューム調整はできない・・ので、Gatewayパソコン付属だったサブウーファー付スピーカーで聴いています。
 初めて聴くのをこのレコードにしたのは、それがカイロ時代よりは後の可能性が高い・・ジャケットの解説に日付が入っていないが定価1,500円とある・・けれど、私の小さい頃から家にあったレコードのうちの一枚であったことを記憶しているのに加えて、第一の私小説のヒロインが最も好きだと私に語った曲のレコードだからです。
 聴いていると、予期した通り、複合的に、様々な思い出が蘇ってきます。
 ところで、ことここに至ったのは、komuroさんのご厚意をきっかけに、私がオーディオに「目覚めた」からですが、今年は、太田コラム読者の八幡市長、K.Kさん、komuroさんのお三方には、とりわけお世話になったな、と感謝の気持ちでいっぱいです。
 K.Kさんにはコラム執筆環境そのもの、そして、komuroさんにはコラム執筆を支援する環境、をそれぞれ、整えていただいたことになります。
 
 さて、どうして、こんなに夜遅く、レコードプレーヤーを使っているというと、プレーヤーが届いてすぐ組立は行っていたものの、使う時間がなかったからです。
 そもそも、このプレーヤーを使うまで、本日は、一切、音楽を聴いていません。
 どうしてか?
 そんな余裕がないほど、「ディスカッション」執筆に必要な最低限のことしかできなかったのです。
 本日は、極端でしたが、ここ数日、それに近い状態が続いています。
 「ディスカッション」で紹介すべき記事類が顕著に増え、その状態が数日続いているのです。
 おのずから、有料コラムの配信も夜遅くなりがちです。
 明日は日曜日であり、毎日曜日にはピアノを1時間弾いて、45分間NHK大河ドラマを鑑賞する、というのが日課になっているのですが、果たして全部こなせますかどうか。
 こんな状態が続いて、戦線縮小を図らなければならなくなるようなことがないといいのですが・・。