太田述正コラム#7354(2014.12.10)
<近代資本主義とは何か(その1)>(2015.3.27公開)
1 始めに
 表記について、米国における歴史学の新潮流の先端を切ってきたと言えそうな学者による本が今月中に出版されるところ、まだ、純粋な書評は1つしか出ていないのですが、この書評等から伺える、その内容をご紹介し、私のコメントを付そうと思います。
 記述に若干の繰り返しが生じていることはご容赦ください。
 さて、その本とは、スヴェン・ベッカート(Sven Beckert)の『綿の帝国–ある全球史(Empire of Cotton: A Global History)』です。
A:http://www.slate.com/articles/arts/books/2014/12/empire_of_cotton_a_global_history_by_sven_beckert_is_a_great_history_of.html
(12月3日アクセス)
B:http://harvardmagazine.com/2014/11/the-new-histories
(12月10日アクセス。ハーヴァード大の歴史に係る問題意識の中における位置づけ)
C:http://www.nytimes.com/2013/04/07/education/in-history-departments-its-up-with-capitalism.html?pagewanted=all&_r=0#h[]
(米国の歴史学界の新潮流の中での位置づけ)
 ベッカートは米国に帰化した
http://en.wikipedia.org/wiki/Sven_Beckert
ドイツ人であり、フランクフルトに生まれで、ハンブルグ大学に入学した後、米国のコロンビア大学に編入し、同大卒、更に同大で1995年に博士号を取得し、ハーヴァードビジネススクールのフェロー、ハーヴァード大歴史学助教、准教授を経て2003年に早くも教授となり、現在に至っている、という人物です。
http://www.gf.org/fellows/16998-sven-beckert
2 米国の歴史学界の新潮流の中での位置づけ
 「何十年にもわたる、女性達、少数民族達、そして他の軽んじられた(marginalized)人々が、どのように自分達の定め(destiny)と向き合ってきたか(seizing)に焦点をあてたところの、「下からの歴史(history from below)」の後、新しい世代の学者達は、奇妙にも、経済を切り盛りしてきた、実力者達(bosses)、銀行家達、そして仲介業者達(brokers)、という、全ての中で最も軽んじられることになる危険を冒してきた集団に、次第に大きな関心を寄せるようになった。・・・
 2008年の<金融危機なる>諸出来事とその長期の余波は、学者の間で、経済こそ決定的に重要である、との切羽詰まった自覚を生んだ。・・・
 それは、だからと言って、経営陣の高級執務室(suite)や財務諸表群に関心を持つということだけを意味しないのであることを、学者達は急いで強調する。
 この新しい作業は、実際的な(hardheaded)経済分析を社会的かつ文化的な歴史への諸洞察とを結合させる。
 つまり、このシステムに動力源を与える(power)、実力者達の観点と職場の働き蜂達ないし消費者達の観点とを統合するわけだ。・・・
 1996年には、ハーヴァード大の歴史学者のスヴェン・ベッカートは、彼が思うに、その種のものとしては初めて、米資本主義史と呼ばれた学部生を対象としたセミナーを提案した。
 彼の同僚達は懐疑的だったが・・。
 「彼らは、誰も関心を持たないだろうと考えた」<からだ、>と彼は述べた。
 しかし、このセミナーは、定員15名だったのに、100名近い応募者が出て、ハーヴァード大で最大の講義諸コースの一つへと成長して行った。
 そして、2008年には、立派な一人前の(full-fledged)米資本主義研究プログラムが<同大で>創造された。
 このイニシアティヴは、他の諸キャンパス、すなわち、プリンストン、ブラウン、ジョージア、ニュー・スクール(The New School)<(コラム#7150)>、ウィスコンシン大学、及び、その他の大学、において、諸コースや諸プログラムをもたらすことに繋がり、しばしば、(先の読める)ブランド管理者達の助力の下で、大人数を惹きつけ始めることにもなった。・・・
 この<新しい>分野の大部分の学者達は、以前のマルクス主義史の純粋に野党的な(oppositional)スタンスを拒絶する一方で、彼らは、その合理的アクター達に関するこぎれいな(tidy)数学的諸モデル及び明快な(crisp)諸公理を引っ提げた、新古典派経済学に対しても明確に批判的な見解をとっている。」(C)
⇒欧州出身のベッカートが、というか、ベッカートは欧州出身だからこそ、マルクス主義なる欧州的全体主義も、原理主義的資本主義なる欧州的合理論も、ともに否定するところの、新しい歴史学を切り開いたのだろう、と差し当たりは持ち上げておきましょう。(太田)
(続く)