太田述正コラム#7358(2014.12.12)
<近代資本主義とは何か(その3)/映画評論43:君よ憤怒の河を渉れ>(2015.3.29公開)
 ベッカートは、1785年に、英国の諸税関のリヴァプールの係官達(agents)が、米国の船が綿が入った袋群を下ろそうとした時、それらをどのように押収しようとしたかを伝える。
 彼らは、その綿が米国から来たことを信じなかった。
 というのも、当時、この植物は、殆んどもっぱら、オスマントルコ帝国、西インド諸島、ブラジル、ないしインドで生育されていたからだ。
 「米国が綿を顕著な分量生産するなどということは…ばかげたことのように見えたのだ」、と彼は記す。
 それは、続いて起こったところの、米国の南部の「タバコ、米、インディゴ、そして若干の砂糖」の生産から綿の生産への変貌(transformation)を踏まえれば、「ひどい(spectacular)判断の誤り」だった、と彼は結論付ける。
 そして、それは、米国人の独立及び自決(self-determination)の感覚を回転(upend)させることになるのだ。
 欧州の工業家達や金融家達<の関与>は、この米国の南部の変貌にとって鍵だった。
 全球的見地をとることで、ベッカートは、どうして、例えば、1800年前後以降、インドでも綿はよく生育するというのに、その地で綿がもっと栽培されなかったのかを探求することを可能にした。
 論点は、米国の南部における奴隷労働搾取がそこでの生産をより安価なものにした、という事実だけではない。
 「英国<人達>は、インドから綿を得ることを欲していたにもかかわらず、植民地インドの政治的、社会的、そして経済的な諸構造を作り直すことの困難性のため、彼らは、19世紀後半まで、多かれ少なかれ、その試み(projekt)<を成就させること>に失敗した」、と彼は説明する。
 次いで、米南北戦争、及び、奴隷制の終焉、が世界の最初の諸原材料(raw materials)<不足>危機を引き起こした。
 それは、あたかも、突然、石油が中東から来なくなったようなものであったことだろう」、とベッカートは述べる。
 欧州の織物工業者達は、未加工綿(raw cotton)の新しい諸集荷地(sources)を見出すことを強いられたわけだ。
 彼らは、<自分達の>注意を、エジプト、インド、ブラジル、に向けることで、最終的には、世界のこれらの諸地域における農業を、より多くの綿を得る(extract)ことができるように変貌させること、に成功したのだった。」(B)
(続く)
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–映画評論43:君よ憤怒の河を渉れ–
一昨日、昨日、本日、と3日間かけて表記の映画(1976年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%9B%E3%82%88%E6%86%A4%E6%80%92%E3%81%AE%E6%B2%B3%E3%82%92%E6%B8%89%E3%82%8C
をYouTubeからダウンロードしたものを鑑賞しました。
 私の感想は、紙芝居を動画にしたみたいな映画だな、というものです。
 もともと大した映画ではなさそうだという認識があり、そんな映画が中共で大ヒットしたのはどうしてか、に私は関心があったわけですが、ご紹介済みの記事等に出てきたものに私自身が付け加えるべきことが殆んど思い浮かびませんでした。
 そこで、簡単に、断片的な感想を記すことにしました。
 まず、些末な感想から。
一、飛行機の操縦経験のない主人公が、ヒロインの父親からセスナ機の操縦を教わるシーンですが、一番むつかしい、着陸時の操作方法を教えてもらっている場面が出てこないのがいかにも不自然に思えました。
 (結果的に、海上に不時着したので、着陸する必要はなかったわけですが・・。)
二、主人公は検事であるところ、彼に絡むのはもっぱら警察なのですが、この両者の関係は、さぞかし中共の人々には理解が困難であったのではないか、と想像しました。
三、旧警視庁庁舎内という想定のシーンが何度も出てくるのですが、私自身、この庁舎内に入ったことはないものの、実写に近いのだとすれば、随分薄汚れていたんだな、という印象を持ちました。
 北海道の、ヒロインの実家の内部も、随分安上がりのセットで撮影したものだ、という印象であり、一部大都会風景はともかく、こういったものを見て、本当に当時の中共の人々が先進国の光景に衝撃を受け、憧れを持ったのだろうか、という疑問が湧きました。
 当時、中共の大部分の人々がいかにひどい生活を送っていたか、ということかもしれませんが・・。
四、中野良子(ヒロイン)が映えるような撮影をしていないことにずっと苛立ちを覚えました。
 ラストのシーンに関してだけは、彼女は、実に美しく清楚に撮れていましたがね。
 特に、がっかりしたのは、(これは撮影の問題ではありませんが、)彼女の全裸シーンです。
 (このシーンは中共で公開された版では検閲で落とされていたようですが、)吹き替えにして欲しかったところです。
 その後の40年弱で、いかに日本人女性のプロポーションが向上したか、感慨を催しました。
 では、些末でない感想です。
 高倉健逝去の後、この映画に言及したのは、当然、中共のメディアが多かったわけで、そのことを報道する中で、日本のメディアも若干の言及をしたけれど、前者が、事柄の性格上、言及しなかった(言及できなかった)、従ってまた、日本のメディアも言及していない点こそ、この映画が中共で大ヒットした最大の理由であろう、と私が忖度したシーンがあります。
 それは、ラストに近いシーンであり、主人公が、「分かったことがあります。法律だけでは裁いてはいけない罪があるし、法律では裁けない悪があるということ。私は人に追われることがあっても二度と人を追う立場にはなりたくない」という思いを吐露します。
 この映画のウィキペディアは、「法律では裁けない罪や悪がある事を知った。二度と人を追う立ち場にはなりたくない。」という要約してしまった形でこの部分を紹介していますが、原文の「法律では裁けない悪がある」という箇所(映画)こそ、中共の大部分の観客の琴線に最も触れたに違いない、と私はにらんでいます。
 というのも、この映画が中共で公開されたのは1979年(ウィキペディア上掲)であり、それは、毛沢東(1893~1976年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%9B%E6%B2%A2%E6%9D%B1
が亡くなり、文化大革命(1966~77年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E5%A4%A7%E9%9D%A9%E5%91%BD
が終わった直後であり、観客の大部分は、「法律では裁けない悪」を、心中で、中国共産党ないし毛沢東と同定し、その悪に主人公らによって鉄槌が下されることで溜飲を下げたはずだからです。
 なお、主人公が戦った相手が、日本における急進的社会主義者全員の物理的抹殺を図る一味であることが明かされるくだり(映画)には、のけぞってしまいました。
 その部分は、中共公開版でも残っているのではないかと想像はされるものの、一体どのように訳したのか、知りたいところです。