太田述正コラム#7432(2015.1.18)
<カール5世の帝国(続)(その1)>(2015.5.5公開)
1 始めに
 フニペロ・セラ列聖に関するロサンゼルスタイムスの記事を(他の米主要メディアよりはマシであるとしつつも)批判した(コラム#7428)ところ、あたかも私のこの批判が聞こえたかのように、同紙の関連後追い記事2本(A、B)が掲載されたので、それぞれのさわりをご紹介するとともに、同紙の別件記事(C)を手掛かりに、現フランシスコ法王のセラ列聖の「謎」にも迫ろうと思います。
A:http://www.latimes.com/local/california/la-me-serra-20150117-story.html#page=2
B:http://www.latimes.com/opinion/opinion-la/la-ol-serra-saint-20150116-story.html
C:http://www.latimes.com/world/asia/la-fg-pope-francis-arrives-in-philippines-20150115-story.html
2 フニペロ・セラの事跡の評価
 「・・・フニペロ・セロ神父と彼の一行がサンディエゴ湾(la bahia de San Diego=San Diego Bay)<(注1)>に1769年に到着した時には、後にカリフォルニア州となる地域には225,000~310.000人の土着民が居住していた
 (注1)1769年からスペイン人が入植を開始した、縦19km幅1.6~4.8kmの自然に形成されていた湾。サンディエゴ市はこの湾に面している。
http://en.wikipedia.org/wiki/San_Diego_Bay
http://es.wikipedia.org/wiki/Bah%C3%ADa_de_San_Diego
 彼と彼のフランシスコ会が設立した伝道所群の連鎖<(注2)>は、<カリフォルニア州南西端のモドク(Modoc)<(注3)>から<カリフォルニア州北東端の>サン(San)・イシドロ(Isidro=アイサイドール(Isidore(英)))<(注4)>に至る生徒達に教えられている、ブドウ畑群と慈悲深い托鉢修道士群の民俗譚であるところの、この州の起源についての物語となった。
 (注2)建築順での羅列。
ミッション・サンディエゴ・デ・アルカラ (1769年):現在のサンディエゴ市へ
ミッション・サンカルロス・ボロメオ・デ・カルメロ (1770年)
ミッション・サンアントニオ・デ・パドゥア (1771年)
ミッション・サンガブリエル・アルカンヘル (1771年)
ミッション・サンルイスオビスポ・デ・トロサ (1772年)
ミッション・サンフランシスコ・デ・アシス (1776年):現在のサンフランシスコ市へ
ミッション・サンファン・カピストラーノ (1776年)
ミッション・サンタクララ・デ・アシス (1777年):現在のサンタクララ郡(郡内にサンノゼ市やスタンフォード大学が所在)へ
ミッション・サンブエナベントゥラ (1782年)
ミッション・サンタバーバラ (1786年):現在カリフォルニア大サンタバーバラ校が所在
ミッション・ラ・プリシマ・コンセプシオン (1787年)
ミッション・サンタクルース (1791年):カリフォルニア大学サンタクルーズ校が所在
ミッション・ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・ソレダッド (1791年)
ミッション・サンノゼ (1797年):現在のサンノゼ市へ
ミッション・サンファン・バウティスタ (1797年)
ミッション・サンミゲル・アルカンヘル (1797年)
ミッション・サンフェルナンド・レイ・デ・エスパーニャ (1797年)
ミッション・サンルイスレイ・デ・フランシア (1798年)
ミッション・サンタイネス (1804年)
ミッション・サンラファエル・アルカンヘル (1817年)
ミッション・サンフランシスコ・ソラーノ (1823年)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%8B%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 等
 (注3)かつて、現在のカリフォルニア州東北部と中央南部オレゴン州に居住していたインディアン部族の名前。
http://en.wikipedia.org/wiki/Modoc_people
 かつてのモドク族居住地(現在のカリフォルニア州内部分のみ)が下掲図に載っている。↓
http://en.wikipedia.org/wiki/Indigenous_peoples_of_California#mediaviewer/File:California_tribes_%26_languages_at_contact.png
 (注4)現在はサンディエゴ市の南端部地区であり、国境線を挟んでメキシコ側のティファナ市と向き合っている。
http://en.wikipedia.org/wiki/San_Ysidro,_San_Diego
 サン・イシドロ(1070?~1130年)は、イベリア半島の聖人である、聖農業労働者イシドロ(San Isidro Labrador=San Isidro Labrador)の名前。
http://en.wikipedia.org/wiki/Isidore_the_Laborer
 史実ははるかに過酷なものだった。
 スペイン人は、服従しない土着民は鞭打ち、彼らの諸信仰や諸観衆を禁止し、逃亡しようと試みたものを捕縛した。
 最終的に、彼らは、人口の4分の1足らずを<キリスト教徒へと>改宗させたが、その間、彼らの家畜と疾病が土着民の食糧諸供給を破壊し、諸村を激減させた。・・・
 「スペインの植民地期及びメキシコ領期の間に、我々は、カリフォルニアのインディアンの90%を失った」と、ロサンゼルス市/ロサンゼルス郡のアメリカ原住民協会(Commission)の会長のロン・アンドレード(Ron Andrade)<(注5)>は語った。
 (注5)アンドラーデ。スペイン北西端のガリシア地方(Galicia)発祥の地名・人名。
http://en.wikipedia.org/wiki/Andrade
http://en.wikipedia.org/wiki/Galicia_(Spain)
 「セラは我々にとっては聖人ではなかった」と。・・・
 <それに対し、>カリフォルニア州立大学モントレー湾校のカリフォルニア伝道考古学調整者のルーベン・メンドーザ(Ruben Mendoza)<(注6)>のような他の人々は、<セロの>列聖は遅きに失したと語る。・・・
 (注6)現在スペインとフランスにまたがるバスク地域発祥の地名・人名。バスク語で寒い山を意味する言葉がスペイン語化したもの。
http://en.wikipedia.org/wiki/Mendoza_(name)
 <土着民の>クメヤーイ族(Kumeyaay)<(注7)>がサンディエゴ伝道所を1775年に略奪して、3人のスペイン人を殺した時、副王は、約1ダースのインディアン達を捕縛し、処刑を求めた、とセラの伝記を書いたグレゴリー・オルファリア(Gregory Orfalea)<(注8)>は語った。
 (注7)現在のカリフォルニア州の最南端に(恐らくはメキシコとまたがって)居住していたインディアン部族。
http://en.wikipedia.org/wiki/Indigenous_peoples_of_California#mediaviewer/File:California_tribes_%26_languages_at_contact.png 前掲
 (注8)この姓については不詳。コピーチェイン会社のKinkoの創設者のPaul Orfaleaがレバノン出身らしいので、レバノン発祥か。少なくともスペインとは無縁のようだ。
http://www.fanoos.com/info/paul_orfalea_info.html
(続く)