太田述正コラム#7636(2015.4.30)
<『日米開戦の真実』を読む(その9)>(2015.8.15公開)
 「『米英東亜侵略史』に関する大川のラジオ放送は、広範な国民大衆を想定して行われたものだ。しかし、大川はここで感情に訴える扇動の技法は用いず、あくまで理性を駆使した宣伝に徹している。大川は日本国民の知的能力を信頼し、実証性と論理性を重視した形でこの戦争の必然性を訴える方が国民に対する説得力が増し、その結果として国力を最大限に動員することに貢献すると考えたのであろう。ラジオ放送の翌月に刊行された本書が大ベストセラーになったことを考えるならば、このような実証性と論理性を重視する説明が当時の多くの日本国民に受け入れられたのである。・・・
⇒当時の日本の指導者達のほぼ全員、及び、大多数の国民の常識であるところの、対赤露抑止(注10)、と全く異なる戦争目的が政府の放送媒体を通じて伝達され、それが本になったことについて、当時の日本国民一般の受け止め方は、これはあくまでも宣伝だな、というものであった、と考えられます。
 (注10)1941年12月8日の「米國及英國ニ対スル宣戦ノ詔書」では、日本は、「東亞ノ安定ヲ確保シ以テ世界ノ平和ニ寄與」しようとしてきたのに、「中華民國政府<ハ>帝國ノ眞意ヲ解セス濫ニ事ヲ構ヘテ東亞ノ平和ヲ攪亂シ」たために、日支戦争となったところ、米英は中華民國政府を支援し、更に日本に経済制裁を課してきたので、「帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲」に開戦のやむなきになった、としている。
http://ja.wikisource.org/wiki/%E7%B1%B3%E5%9C%8B%E5%8F%8A%E8%8B%B1%E5%9C%8B%E3%83%8B%E5%B0%8D%E3%82%B9%E3%83%AB%E5%AE%A3%E6%88%B0%E3%83%8E%E8%A9%94%E6%9B%B8
 ここでのロジックの肝は、「東亞ノ安定ヲ確保」=「世界ノ平和ニ寄與」=「帝國<ノ>自存自衞」であるわけだが、どうして、そんなロジックが成り立つかと言うと、その3つの最大公約数が「対赤露抑止」、だからだ。
 日ソ中立条約があるから、そこまで言わないけど、察してよ、というわけだ。
 大事なことは、この詔書の中に、アジアの解放めいた文言が全く見当たらない点だ。
 本が売れたのは、その内容が目新しかったからこそである、と私は思うのです。(太田)
 国民が政府・軍閥に騙されて勝つ見込みのない戦争に追いやられたというのは、戦後になってから作られた神話である。この神話が作られる中で、日本人がもっていた中国を含むアジア諸国を欧米の植民地支配から解放するという大義は、日本の支配欲を隠す嘘だという”物語”が押しつけられ、その呪縛から未だにわれわれは逃れられずにいるのである。日本が後発帝国主義国として植民地支配を追求していたというだけならば問題は簡単だ。そのような過去と決別すればよいだけのことである。しかし、日本は抑圧されたアジア諸民族の解放、そしてアジアを植民地にしなくては生きていけないという道徳的に悲惨な状況に置かれた欧米人をそのような状況から解放することを考えていたのである。」(152~153)                                                                            ⇒冒頭の「国民が・・・神話である。」はその通りですが、その「神話」を捏造したのは米国/極東裁判であったものの、それを戦後日本に堅持させたのは、(佐藤がかつて勤務した)外務省と旧帝国海軍関係者達である、というのが私見である(コラム#省略)ことはご承知の通りです。
 しかし、それに続く部分は、ナンセンスです。
 私に言わせれば、開戦当時の日本人の大部分は、「中国を含むアジア諸国を欧米の植民地支配から解放するという大義」を信じていたどころか、そんなものをそれまで一度も聞いたことがなかったはずなのですから、突然聞かされたそんな「大義」なるものは、日本の真の戦争目的を「隠す嘘」だと思ったはずであり、戦後、「政府・軍閥に騙されて勝つ見込みのない戦争に追いやられた」という「”物語”」ならぬ「神話」「が押し付けられ」た際、「解放するという大義」は「嘘」としてそのまま受け継がれ、全体として「”物語”」が形成された、ということなのです。(太田)
 「日本を占領したアメリカ軍は、日本の国民とわだかまりなく仲よしになるために、軍閥という悪者をデッチあげたのである。「日米両国が仇同士にさせられたのは日本軍閥という悪者の仕業である。アメリカ軍は日本の軍閥と戦ったのであって決して諸君を敵としたわけではない。諸君が家を焼かれたのは日本の軍閥のためだ」ということで、気持ちよくマッカーサー命令に服従させられてしまった。(大橋武夫『謀略–現代に生きる明石工作とゾルゲ事件』(時事通信社、1964年、270・271頁)(154~155)
⇒殆んど典拠を付けていない佐藤が、この箇所に唐突に典拠を、しかも事細かに付けていますが、全く典拠の意味をなしていません。
 付けるのなら、米側の典拠を付けなければならないことは、私が指摘するまでもなくお分かりでしょう。
 しかし、うすうす米側の典拠が存在しないことに気付いた佐藤は、やむなく、お守り札のように、日本人のゴミ典拠を付けたのだろう、と私は想像しています。
 佐藤は平均的な戦後日本人なので、いまだに、米国に若干なりとも敬意を抱いているようですが、太田コラムを読み込んでこられた読者は、米国が外国のことについては本来的に音痴のどうしようもない国であることを先刻ご存知でしょう。
 極度に単純化して申し上げれば、当時の米国は、日本について、それが自由民主主義国であるという認識を全く有さず、天皇という女王蜂の下、日本国民という働き蜂達が、神である女王蜂の命ずるままに、一糸乱れぬ行動をとっている国である、と見ていたのです。
 (それこそ、典拠を付けろと言われそうですが、これまた、話が長くなり過ぎることもあり、典拠も省かせてもらいます。)
 米国が、天皇を免責させたいと思ったのは、女王蜂を殺してしまっては、働き蜂達が各自勝手な行動を取り始めて収拾がつかなくなり、占領継続が困難になることへの危惧があったからです。
 だから、米国は、軍部という兵隊蜂集団が、共同謀議の下で女王蜂を誑かして自分達の意のままに命令を出させ、無謀な戦争を開始した、という神話をでっちあげる必要があったのです。
 何が言いたいかというと、そんな米国が、天皇の命令に無条件で従うはずの一般国民のことに関心などなかったはずであり、およそ、「日本の国民とわだかまりなく仲よしにな<ろう>」なんて考えたワケがなかろう、ということです。
 (当然のことながら、米国によって命を助けられた女王蜂たる天皇が、米国=占領軍当局、の命令を右から左に国民に伝えることが期待されたのです。)                                              
(続く)