太田述正コラム#7716(2015.6.9)
<文明の衝突と欧米人(その1)>(2015.9.24公開)
1 始めに
 TAさん提供の『フォーリンアフェアーズ・レポート』4、5月号からの1篇ずつの論考のそれぞれのさわりをご紹介し、表記の観点からコメントを付すことにしました。
2 「人道的介入で破綻国家と化したリビア–なぜアメリカは判断を間違えたのか」
 表記論考・・副題は、’Obama’s Libya Debacle’・・の筆者は、米テキサス大学オースチン校准教授(政治学)等を務めるアラン・J・クーパーマン(Alan J. Kuperman)です。
 「・・・今から考えれば、<2011年の>オバマのリビア介入は、アメリカの基準に照らしても、惨めな失敗だった。
⇒英仏に米国が引きずられた形の軍事介入であり、米国はあくまでも軍事的後方支援に徹したことからすれば、「オバマのリビア介入」という言い方は、いささかオバマに酷である、と思います。(太田)
 民主化が進展しなかっただけでなく、リビアは破綻国家と化した。暴力による犠牲者数、人権侵害の件数は数倍に増えた。テロとの戦いを容易にするのではなく、いまやリビアは、アルカイダやイスラム国(ISIS)関連の武装集団の聖域と化している。
⇒私も、リビアへの軍事介入に賛同した(コラム#省略)わけですが、その判断は間違っていたことを認めざるをえません。
 当時は、私は、イスラム教徒の真正イスラム化傾向・・ずっと以前から、日本は大量に移民を受け入れるべきだが、イスラム教徒を除く、と言い続けてきたのはそのためです・・があそこまで亢進していた、とは思わなかったからです。
 この人道的軍事介入を認めた国連安保理決議に、ドイツが、ロシア、中共、ブラジル、インドと共に棄権に回った(コラム#4626)ことが、改めて注目されます。
 ドイツは、欧州諸国中、国内において深刻なイスラム教徒問題に最初に直面させられた国ですが、恐らく、イスラム教徒の真正イスラム化傾向の亢進に気付いていた、ということなのでしょう。(太田)
 
 リビアへの軍事介入は、アメリカの利益も損なった。(核開発を放棄することに合意したリビアを空爆したことで)核不拡散の試みに悪影響を与えただけでなく、安保理でロシアの協調を確保するのも難しくなり、カダフィ体制崩壊後の内戦を激化させてしまった。
⇒「核不拡散の試みに悪影響を与えた」に関しては、とんだ言い掛かりです。
 かつて私は、(コラム#5023で、)「<米国>が対イラク戦争を行った主要な目的は・・・二つ<であり、>・・大量破壊兵器の除去<とサダム・>フセイン体制の変革・・であ<ったところ、>・・・実際には大量破壊兵器が存在せず、フセイン体制打倒後の変革計画もお粗末なものであったわけです。・・・しかし、前者を主要な目的として掲げたことで、爾後、新たな核保有国の出現はほとんど不可能になった・・現にリビアのカダフィ政権は大量破壊兵器保有計画を撤回しましたし、イスラエルによるシリア原子炉爆撃への国際世論の反発はほとんどありませんでした」、と指摘したところです。
 「安保理でロシアの協調を確保するのも難しくなり」もおかしい。
 リビア問題があろうとなかろうと、「ロシアの協調を確保するの」は「難しくな」っていたであろうことは、今となっては、子供にだって分かりますからね。(太田)
 空爆作戦の支持者が何と弁明しようと、もっと良い政策があった。全く介入しないことだ。アメリカと同盟諸国がリビアに介入していなければ、リビアがかくも深刻な混乱に陥ることはなかったし、(改革志向をもつ)カダフィの後継者のもとで状況が進展することも期待できただろう。カダフィが自分の後継者とみなしていた息子のサイフ・イスラムは、欧米で教育を受けた比較的リベラルな思想の持ち主だった。」(58~59)
 「2010年に「新しい憲法と法律、透明性のある選挙を実施しない限り、いかなるポジションにも就かない」と表明したサイフは、「誰もが政府へのアクセスをもつべきで、権力の独占は許されない」と表明している。「1996年に起きた刑務所での虐殺事件について政府は責任を負うべきだ」と主張した彼は、数百の遺族に政府が補償金を支払うように父親を説得している。さらに、非公式の政権防衛組織である革命委員会によって拷問を受けたという囚人たちの証言をまとめて出版し、この委員会の解体を求めた。」(67)
⇒後知恵的に申し上げますが、サイフが、いざ、権力の座に就いたならば、豹変して専制的統治をそれなりに成功裏に行ったか、豹変せずに真正イスラム教徒達の跳梁を許して失権することになったか、のどちらかだったことでしょう。(太田)
 「これまで(平均余命、教育及び所得指数の複合統計である)国連の人間開発指数でリビアがアフリカ大陸でトップにランクされてきただけに、最近の困窮化は状況が大きく後退していることを物語っている。」(61)
⇒「トップにランクされてきた」ことについては、「リビアは石油が豊富でありながらも人口が<650万人程度と>少ないために、一人当たりのGDPはアフリカでは最上位レベルで12000ドルを超えており、先進国クラスである。2010年のリビアの一人当たりGDPは12,062ドル。なお、<隣国である>エジプトが2,771ドル、スーダンが1,642ドル、チャドが742ドル、ニジェールが383ドル、チュニジアが4,160ドル、アルジェリアが4,477ドルなどであ<った。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%93%E3%82%A2
というだけのことです。(太田)
 「NATOが軍事介入するまでに、リビア内戦は<カダフィ側勝利の形で>終わりに近づいていたし、内戦の犠牲者も1000人程度だった。だが欧米の介入後、リビアでは少なくとも1万人近くが犠牲になっている。要するに、NATOの介入以後、犠牲者の数は10倍以上に増えている。」(63)
⇒指摘されるまでもありません。(太田)
 「リビアへの介入はシリアの社会暴力も煽り立ててしまった。2011年3月まで、シリアの民衆デモは平和的に行われていた。アサド政権の弾圧は常軌を逸してはいたが、まだ大がかりには実施されておらず、1週間の犠牲者数は100人を下回っていた。だがNATOの空爆によってリビアの反乱勢力が優位を手にすると、シリアの反政府勢力も、欧米による介入を期待できると考えたのか、2011年夏には暴力的な路線をとるようになった。」(66)
⇒このような因果関係については、それを裏付ける典拠が全く示されていないこともあり、強い疑問符を付けざるをえません。(太田)
 「リビアが残念な事態に陥ったことを認めつつも、オバマは間違った教訓を引き出しているようだ。2014年8月、大統領はニューヨーク・タイムズ紙<で、>・・・「われわれは事態を軽くみていた。・・・もっと全面的に介入すべきだった」と語っている。「この手の試みをする場合、社会を再建するためにもっと踏み込んだ関与をすべきだった」
 だが、この認識は間違っている。介入後の関与が不十分だったから、失敗したのではない。軍事介入の決定そのものが間違っていた<のだ>。・・・」(68)
⇒「全面的に介入」とは、カダフィ政権打倒までだけでなく、打倒後も、新政府に少なくとも米国の空軍力で支援を続ける、という趣旨なのでしょうが、これは、純理論的にはアリだったと思いますね。
 しかし、リビアは、人口が少ないだけでなく、石油こそ生産量は多いけれど、地政学的には、イラクやシリアはもとより、イエメンに比べてさえ、格段に取るに足りない存在であるだけに、仮にオバマがそうしたいと思ったとしても、米国内で、軍事介入の継続に賛同が得られた可能性は乏しかったでしょうね。(太田) 
(続く)