太田述正コラム#7728(2015.6.15)
<キリスト教の原罪思想のおぞましさ(その10)>(2015.9.30公開)
 (7)批判
 「<原罪>信条がキリスト教の系譜(heritage)の人々独特のものである、と思うのは困難だ。
 アリストファネス(Aristophanes)<(コラム#908、3451、4800)>が著した諸悲劇の中で、また、マハーバラータ(Mahabharata)<(コラム#777、2008、4279、7264)>や豪州原住民達の夢の時の諸物語の中で、我々は、憤怒、嫉妬、そして色欲に突き動かされたり、他人達を出し抜いたり殺したりする人々を発見することができる。
 同様、罪と不適切性の諸感覚がキリスト教文化を承継している人々だけのものだと思うことももっともらしくは見えない。」(E)
⇒農業社会の到来とともに、人間の人間主義性が抑圧された結果、世界中で性悪説が信奉されるようになった、ということです。(太田)
 「哲学者達や科学者達の諸理論の中における原罪教義の影響を探知することに熱心な余り、ボイスは、彼らの思想を誤って表現してしまうことが時々ある。
 ルソーは、社会生活が奨励するところの羨みや貪欲が人々をして相互に腐敗せしめあうと考えたけれど、彼は、個々人がこの腐敗に抗する潜在能力を保有していることも信じていた。
 彼の教育に関する論文である『エミール(Emile)』は、人間個人のよりよい本性を養い維持するにはどうしたらよいかの説明だ。
⇒ルソーが性悪説であることは既に説明した通りであり、それは、人間(じんかん)であることを止める、つまりは人間(にんげん)であることを止めない限り、人はその生来的性悪性を克服することは不可能である、という徹底した性悪説であるわけです。(太田)
 ヒュームとスミスは、人間達は生来利己的(self-interested)なものであることを認めたが、共感(sympathy)が人間の基本的な特徴であることも強調した。
 他者達と共感する我々の能力に、他者達への道徳的関心(concern)と正義の感覚は由来する。
 ダーウィンは、自然の中での競争の役割を強調したが、人間達とともに若干の動物達も、協力、そして、利他主義でさえ、生来的諸特徴であるとも考えた。
⇒事実上イギリス人であったヒュームとスミス、及び、イギリス人であったダーウィンは、それぞれ、哲学、経済学、生物学、を方法論的個人主義なる性悪説に立脚して、取りあえず構築した、ということに過ぎないのであって、彼らは、実際の人間世界や動物世界が、利己主義と利他主義、すなわち、性悪と性善、からなる弁証法的世界であることを十分認識していた、と私は考えています。(太田)
 ドーキンスは、利己的遺伝子は人間達を必ずしも利己的にふるまわせないことを否定しない。
 彼は、他者達のために彼ら自身を犠牲にするところの、協力的ふるまいや利他主義の遍在性を彼の理論が説明しなければならないことに気付いている。」(E)
⇒ドーキンスは、「ミツバチが見せる一見利他的な行動など、動物のさまざまな社会行動の進化のプロセスを・・・遺伝子中心視点の考え方<で>・・・<一元的に>説明」しようとしている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9 
のであり、彼は、イギリス伝統の方法論的個人主義を過激化し、その弁証法的世界観を完全否定するに至ったところの、イギリス文明における異端児である、と言ったところでしょうか。(太田)
 下掲の最後の引用は、書評からではなく、書評への投稿から採ったものです。
 「仏教にとって第一の貴い真理(truth)は、生(life)は苦(suffering)であるということであり、第二の貴い真理は、生来の(inherent)無明(ignorance)と煩悩(desires)とを持って生まれたから生は苦なのであるということだ。
 (偉大なる仏陀から発せられた、余り楽観的ではない見解だ。)」(B
⇒釈迦についての知識が生噛りなのでこういうおかしなことを口走ってしまうのでしょうね。
 私に言わせれば、人間にとって無明と煩悩は生来的なものではないからこそ、それらを克服して悟りを開くことができる、と釈迦は説いたのです。
 「阿含部の大般涅槃経(大パリニッバーナ経)には、釈迦は善なるものを求めて出家したと釈迦自らが語る形式で説かれている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%9F%E3%82%8A
・・原典から直接引用するのは他日を期したい・・というのですから、釈迦は、性悪に見える人間が誰でも本来の性善性(人間主義性)を取り戻すことができるような方法論を模索する後半生を送り、最終的にそれに成功した、というのが私の理解なのです。(太田)
3 終わりに
 ボイスは、豪州の離島であるタスマニアにおけるイギリス人入植史で豪州で令名をはせてきた、ある意味、ローカルな学者です。
http://www.blackincbooks.com/authors/james-boyce 前掲
 そんな彼が、このような、欧米史、部分的には世界史にまたがるところの全欧米に係る思想史的歴史書をものしたことは不思議な感じが無きにしも非ずです。
 恐らくは、タスマニアへのイギリス人入植史は、アボリジニ殲滅史と裏腹の関係にある・・「島の原住民タスマニア・アボリジニ・・・は1830年代までブラック・ウォーと呼ばれる戦争を起こしたが、・・・<更なる離>島へ強制移住させられるなど激減し、純血のタスマニア・アボリジニは、<狩猟>の獲物とされたといった悲劇を経て1876年に絶滅している」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%82%A2%E5%B7%9E
・・ところ、豪州本土同様、「初期の植民者は流刑囚とその看守」であった(上掲)こともあり、イギリス人でありながら、彼らは、欧州人のように原住民に対して過酷であったのでしょう。
 ボイスは、その原因を深く掘り下げていかざるをえなかった結果、欧米人共通の原罪教義に辿り付いたのだろう、と私は忖度しています。
 そのようなボイスの著作に、今度は我々が啓発されている、ということになります。
(完)