太田述正コラム#7762(2015.7.2)
<中東政治研究者の墓場–Isis>(2015.10.17公開)
1 始めに
 紹介するに値する、米国史に係る2つの新刊本に関するそれぞれの書評類を集めてあるのですが、そのうち、太平洋戦争に係るものは、来る25日の東京オフ会「講演」で取り上げようと思っているので、コラムにするのは時期尚早ですし、もう一つは、米独立革命の欧米における最初の革命たる性格に係るものであって、コラムにするには腰を据えた取り組みが必要であるところ、暫時、K.K方式による有料読者の「管理」を行うための環境整備に時間を割かねばならないことから、その間、肩の力を抜いたコラムで転がして行くことにしました。
 皮切りとして取り上げるのは、酒井啓子「「イスラーム国」が露わにする研究者の無力」(學士會会報March Mo.911 2015-II 26~29頁)です。
 なお、酒井は、東大教養卒、ダーラム大社会科学修士で、現在、千葉大法政経学部教授、という人物です。(同上)
2 中東政治研究者の墓場–Isis
 「・・・「イスラーム国」の出現を、中東研究者は予見できなかった<ばかりか、>研究者だけでなく、現地情勢を常にウォッチしているジャーナリストの間でも、この現象をうまく説明できていない。・・・
 それは、これまで我々が中東を分析してきたときの基本的な枠組みや軸が、「イスラーム国」には当てはまらないからであろう。
⇒それは、「第二次」ならぬ、ムハンマドや初期カリフ時代の「第一次」イスラーム国の出現、持続、拡大を分析する基本的な枠組みや軸を現代の中東研究者やジャーナリストが持っていないことを意味する、というだけのことです。(太田)
 中東の紛争は、中東諸国建国以来、ほぼ一貫して二つの問題から派生してきた。それは、欧米諸国による介入と、パレスチナ問題である。「イスラーム国」の言動が理解不可能なのは、その二つの問題から紡ぎだされてきたこれまでの中東のさまざまな政治思想、運動から、ひどくかけ離れて見えるからだ。・・・
⇒「第一次」イスラム国も、東ローマ帝国とササン朝ペルシャ、という2つの印欧語族帝国による介入と、アラビア半島等のユダヤ人問題に直面していました。(太田)
 まず第一に、アラブ・ナショナリズムが試みた国境の打破は、とりあえず既存の国家を出発点にして行われた。
 ・・・アラブ連合共和国・・・<や>バアス党<によるものを想起して欲しい。>・・・
 それに対して、「イスラーム国」には、そのような制度的なネットワークを通じて、中央からの指令系統が各国に広がっているわけではない。イラクとシリアの既存の政権の失政の結果生まれた権力の空白地帯を利用して、そこに寄生することで支配領域を獲得したに過ぎない。それぞれの領域国家で政権を奪取することは、その政治目的には表れてこない。
⇒「第一次」イスラム国直前のアラブ人は、部族社会であり、いまだ国家を形成していなかったところ、国家が形成されたのは、イスラム世界(ダール・アル=イスラーム)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%83%A0%E4%B8%96%E7%95%8C
の拡大の結果に他なりませんでした。(太田)
 第二に「イスラム国」が従来の政治運動と異なるのは、イスラエルに対する姿勢だ。アラブ・ナショナリストが最大の課題とし続けてきたのは、イスラエルによるパレスチナ占領だった。パレスチナ問題の発生は、欧米の中東に対する植民地主義の問題を体現するものでもあったので、それは第一の問題とも不可分なものだった。
 それに対して「イスラム国」には、イスラエルを攻撃する直接的な言動が見られない。さらには、イスラエルを支援する背景にある存在として米国を糾弾することも、ほとんどない。米軍によるシリア・イラクへの空爆が始まって以降は、欧米のジャーナリストや活動家を拉致しては殺害するという事件が続いているが、これはあくまでも米軍の攻撃に呼応しての行為であって、反米行動を目的にしているわけではない。・・・
⇒ムハンマドや初期カリフ達も、自分達に敵対しないユダヤ人やキリスト教徒は退去すれば危害を加えず(典拠省略)、退去しなくても、啓典の民として、ジズヤ等の支払を条件に庇護を与えました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%BA%E3%83%A4 (太田)
 第三の相違点は、「イスラーム国」自体が既存の国際社会と折り合いをつけようとする志向がない点である。・・・
 <いかなる「国」であれ、>国際社会、特に周辺国から完全に断絶して存立できるはずがない、というのが、現代の国際関係の常識である。・・・
 しかし「それでも続いてしまうのではないか」という不安感がぬぐえない。その原因は、「イスラーム国」の経済的豊かさだ。・・・その資金はどこからくるのか。サウディアラビアやクウェート、アラブ首長国連邦などの湾岸アラブ産油国から非公式に資金が流れ込んでいるのでは、という憶測は頻繁になされるが、そればかりではなく、制圧地域の自治体財源を接収したり住民への課税、また石油などの資源を闇輸出することでかなりの資金を得ていると言われる。・・・拉致した住民、外国人から得る身代金も、財源のひとつだ。
 そんな非合法経済活動で制圧地域の数百万人の住民の生活を支えられるはずがない、というのが、常識的な見方である。それが「イスラーム国」短命論につながる。だが、闇経済だけで運営されている未承認国家は少なくない。いや、承認された独立国家であっても、経済制裁を受けて国際社会から孤絶を余儀なくされた国が、闇経済に依存して生き延びる例は、多々ある。・・・
 「イスラーム国」に抱く中東研究者のモヤモヤは、このような非合法な政治経済活動によっても国家は担われうるのだという、苦い現実から来る。それは中東研究者だけではない。実証研究を基礎とする研究者すべての土台を崩すものだ。なぜならそのことは、ある国の安定性や経済発展の度合いが、これまでそれを分析するのに使われて来た公的な指標では全く推し量れないことを意味するからである。
 GDPにも経済成長率にも、公的な貿易統計にも表れてこないような「国家」を名乗る存在が、国際政治全体を脅かす。ひょっとしたら実際には世界は、多くの部分が我々に見えない闇の政治経済活動で動いているのではないか。そんななかで国際政治経済を扱う研究者やジャーナリストは、何を以て現状を分析できるのか。・・・」
⇒大変な逆風下であるにもかかわらず、オウム真理教の後継宗派であるところの、アレフもひかりの輪も「健在」である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%A6%E3%83%A0%E7%9C%9F%E7%90%86%E6%95%99
ことを考えただけでも、構成員が最低生活に甘んじ、非合法営利活動を辞さず、しかもその余剰を全て上納する組織の生命力は強靭であることが分かります。
 「第二次」イスラム国(Isis)についても同様です。
 Isisが戦闘に強いのは、戦闘員が命を全く惜しまないからであることと相通じるものがあります。(太田)
3 終わりに
 経済学など、政治や地域の研究に殆んど役に立ちませんが、政治学についても同様です。
 経済学も政治学も、理由は必ずしも同じではありませんが、学問の名に値しないことも、その一つの理由です。
 政治や地域の研究を志した者は、経済学や政治学など放擲し、歴史を勉強して歴史的アプローチをするとともに、心理学や社会心理学を勉強して科学的アプローチをすべきでしょう。
 そのように心掛けて来ていたら、Isisの出現と「健在」ぶりに途方に暮れる羽目にはならなかったはずです。