太田述正コラム#7948(2015.10.3)
<中共が目指しているもの(その5)>(2016.1.18公開)
3 毛沢東以降
 時期的に、文革で失権していたトウが復権した直後の1973年に行われたところの、程永華らの日本留学は、既に文化大革命の失敗を自覚していたところの、毛沢東の指示・・過激なスターリン主義は中共の政治経済の発展をもたらさず、新しき村主義は中共人民の人間主義化をもたらさなかった以上、先生である日本を出し抜き先回りしようとするのは諦め、日本化することによって日本に追いつくことを目指せ、ついては、その具体的方策を、(人間主義化の方策を含め、)直接日本に行って探ってこい、といった・・に基づいたものであった、と私は見るに至っている。
 (「新しき村」については、個人主義的である
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%81%8D%E6%9D%91
ので、人間主義社会ではなく人間主義的社会を目指すものであり、だからこそ、その大部分が人間主義者である日本人によって構成される日本では賛同者が増えなかった、ということにまで自分は思い至らなかった、と毛は猛省した、と私は想像を逞しくしている。)
 しかし、結局、トウは、毛が死去したこともあり、毛の指示には従いつつも、実行が容易な、経済・政治面での日本化の推進を先行させ、容易ではない人間主義化は後回しにすることにした、と私は見ている。
 そのトウは、1978年に直接日本を訪問している。
 その時、トウは、「様々な談話を残した。「これからは日本に見習わなくてはならない」・・・また、・・・「日本と中国が組めば何でもできる」という・・・発言を・・・残してもいる。訪日時の昭和天皇との会見で「あなたの国に迷惑をかけて申し訳ない」という謝罪の言を聞いたとき、鄧小平は電気ショックを受けたように立ちつくした。大使館に帰ると「今日はすごい経験をした」と興奮気味に話したと<も>いう。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%82%A6%E5%B0%8F%E5%B9%B3
 これらの談話を私は額面通りに受け止めている。
 最初の談話は、日本化、そして、次の談話は、日本化がある程度進捗したら日本と事実上の同盟関係に入ること、を宣言したものであり、最後の談話は、これも想像を逞しくすれば、日本が支那や欧米等に比べて平和でしかも温故知新的な発展をしてくることを可能にしたものこそ天皇制であったこと、この天皇制が歴代の天皇の大変な努力の下に維持されてきたこと、その典型例が昭和天皇であること、だから、自分は昭和天皇を尊敬していること、を毛沢東から聞かされていたトウが、その当人に面会する機会を得、毛の昭和天皇評が当たっていたことを確認できたことに興奮したということだろう、と思うのだ。
 さて、トウは、このような中共の戦略は秘匿しなければならない、と考えたはずだ。
 公然とそんなものを掲げたならば、黄禍論が復活し、米ソ等がよってたかって戦略つぶしに乗り出してくる可能性が大だからだ。
 これだって、トウは、日支戦争/太平洋戦争を、事実上日本と提携しながら蒋介石政権と戦いながら、そのことを、ほぼ同様の理由で秘匿し切った毛のやり口から学んだ、と思われる。
 そのために、トウは、日支戦争/太平洋戦争当時に毛が唱えた日本非難を、そのまま再拝借して行うことにした、と見るわけだ。
 当時、訪中する日本人士が、異口同音、昭和天皇同様、支那に「迷惑をかけて申し訳ない」と頭を下げた、ということもあり、戦前戦中の日本に対する非難を続けても対日関係が決定的に悪化することはない、とも彼は踏んだはずだ。
 こうだとすれば、トウやトウの後継者達が毛沢東崇拝の旗を降ろすことができないのは当たり前だろう。
 彼らは、毛沢東の最晩年の指示内容を拳拳服膺しているだけなのだから・・。
 そこへ、1989年に(第二次)天安門事件が起こり、トウは、(人間主義化だけでなく、)政治経済の日本化の中から、当面、政治も先送りせざるをえない、との方針転換を行う。(コラム#省略)
 なお、ここで銘記すべきは、トウは、日本型政治経済体制の中核的基盤であるところの、日本型官僚制の継受には着手したことだ。
 すなわち、中共では大学・専門学校「卒業後の就職について、1990年代初盤まで「分配(フェンペイ)」という制度があった。学生本人が就職活動をするのではなく、本人の適正や社会の要請にもとづいて、就職先が決められる制度だった」が、1993年に国家公務員採用試験を導入し、1994年に第一回の採用試験が行っている。
 (但し、日本とは違って等級別試験ではないし、また、統一試験の成績に基づいて省庁単位で募集を行う日本とは違って「細かい職位ごとに<試験し、>募集を行う」。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1107&f=national_1107_023.shtml
 他方、独仏は基本的に試験を行っていないし、英国は試験でも採用するという制度だし、米国は試験だけの制度ではあっても局長級以上は全て政治任用
http://www.jinji.go.jp/syogaikoku/syogaikoku.pdf
なので、全く異なる。)
 1995年からは、採用試験方式を地方政府でも採用させた。
ousar.lib.okayama-u.ac.jp/file/1387/18_0131_0146.pdf
 (このくだりは、下掲からヒントを得た。↓
http://www.wsj.com/articles/troubles-for-the-china-model-1443795466
(10月3日アクセス)) 
 
 そのトウが1997年に死去すると、中共が、スターリン主義を廃棄し、人間主義はまだ継受政策にも着手できていない状態で、トウという権威なしで、どう中国共産党独裁体制を維持するかに苦慮した江沢民政権(~2003年)は、階統制を至上命題とし、孟子、朱子、王陽明、という人間主義化を掲げる人々を主流派とする儒教を(毛が全面否定したにもかかわらず、)急遽復権させることとした、と見たいのだ。
 そして、儒教的・・実は人間主義的要素を含む・・道徳規範を打ち出す。↓
 「2000年6月、江沢民総書記・・・「以徳治国」という方針を打ち出し<ていたが、>江沢民の後を継いだ胡錦涛総書記も[2006年3月]「八栄八恥」という道徳規範を提唱している。その内容は、マルクス・レーニン主義よりも、儒教の考え方に近い・・・
 祖国を熱愛すること・・・
 人民に奉仕すること・・・
 科学を尊重すること・・・
 労働にいそしむこと・・・
 団結と互助・・・
 誠実さと信義を守ること・・・
 ルール遵守・・・
 苦労をしのび奮闘すること・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%A0%84%E5%85%AB%E6%81%A5 ([]内も)
 ちなみに、「八栄八恥<の>・・・正式名は「社会主義栄辱観」」(上掲)であるところ、「八」には、「中国では古くより、八角形の宗教哲学というべきものが成立し、それは天上の神(上帝)の儀式と、自然哲学、天文暦学、気象学が関連づけられた宇宙論でもあ<っ>た。中国の古代では上帝(太一神)の祭は八角形の壇の上でなされるが、それは全宇宙を八角形として捉える宇宙論の哲学があったから<だろ>う 」
http://samukawajinjya.jp/houi/houi07.html
という背景の下、「釈迦が最初の説法において説いたとされる、涅槃に至る修行の基本となる、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念および正定の、8種の徳」である八正道(はっしょうどう)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93
をも念頭に置いていると思われる。
 (ご承知の通り、仏教も人間主義化(悟り)を標榜している。)
 次いで、胡錦濤政権(2003~2013年)は、「・・・2004年以降、・・・世界各国の大学と提携し、語学教育や<支那>文化を海外で普及させる機関である「孔子学院」を設立し<始めた>。・・・
 2011年1月11日、天安門広場に隣接する中国国家博物館の改装工事の終了に伴って、その北口に建てられた高さ9.5メートルの孔子像が披露された。・・・
 2011年4月20日にこの孔子像は中国国家博物館の構内に移された。・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3 前掲
 この最後の措置は、「2010年10月の第17期5中全会で習は党中央軍事委員会副主席に選出され、胡の後継者としての地位を確立した」習近平
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3
の意向ではないか、とこれまた私は想像を逞しくしている。
 日本化戦略の人間主義化部分に本格的に着手することとなる習近平(政権:2013年~)が自分の政権の人間主義化政策についての誤解を生んだり障害となったりすることを警戒して、孔子・・必ずしも人間主義化を目指したとは言えない・・の神格化を避けたいと考えた、と見るわけだ。
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(続く)