太田述正コラム#7980(2015.10.19)
<米海兵隊について(その4)>(2016.2.3公開)
  ウ マーケティング戦略
 「・・・オコンネルのテーゼは、海兵隊は、太平洋戦争と朝鮮戦争における、抜群の(distinguished)戦闘パフォーマンス、と、米国社会の中における、積極的かつ介入主義的な役割、とを、連携(synergize)させた、というものだ。
 海兵隊は、ジャーナリスト達や米議会議員達との間に諸関係を培養し、精緻なマーケティング、と、徹底した(hard-core)政治、とを結び付け、全ての参加者達を裨益するところの諸同盟を形成した。
 この過程を組み立てたのは、「全球に及んで(with a global reach)<ことある時に>最初に対応する選良たる軍事力」、と、「部外者達に対する、病的な疑い深さとさえ言えそうな警戒心」、という再定義を促進したところの、海兵隊の優越性の感覚だった。
 この、他とは異なっているという感覚(sense of separateness)は、海兵隊をして、官僚制を重視させず、戦争を「芸術の言語と論理を通じて」眺めることを可能にさせた。
 <いわば、>血盟(blood-sworn)コミュニティの文脈の中での犠牲と苦しみとを特権化した(privileged)<わけだ>。
 その結果として<形成された>文化的資本が、ヴェトナムからイラクとアフガニスタンにわたる、国防の中心的演者達としての海兵隊のパフォーマンスを規定(define)したのだ。・・・」(B)
 「・・・<海兵隊は、>諸機械や諸電子計算機に最も心を奪われておらず、かつ、最も、緊密で(intimate)宗教的な(spiritual)先験的諸主題に傾倒した、軍種(service)だった」、とオコンネルは記す。
 それが、今度は、海兵隊を政治家達や公衆のお気に入り<の存在>にした。・・・
 海兵隊の広報部長(director of public relations)のロバート・L・デニッグ(Robert L. Denig)<(注9)>准将は、ジャーナリスト達、写真家達、そして、映画制作者達、を下士官達に任じるというアイディアを思い付き、彼らを海兵隊の兵卒達(enlisted Marines)と容易に交わらすことで、彼らについての諸物語を伝えること、を認めたのだ。
 (注9)1884~1979年。海軍将校だった父の赴任先の日本で少年時代を過ごす。州兵時代にペンシルヴァニア大学に2年間通学し、将校候補生学校を卒業して海兵隊に将校として入隊。第一次世界大戦で活躍し、第二次世界大戦中、海兵隊広報部長を務める。
https://en.wikipedia.org/wiki/Robert_L._Denig
 海兵隊の戦闘記者達は、「戦術やテクノロジーを脇に置いて、戦闘中もそれ以外でも、彼らがそう呼んだところの、平均的な兵卒たる「ジョー・ブロウ(Joe Blow)<(注10)>」の戦時の経験に、殆んどもっぱら焦点をあてた。
 それが、海兵隊の物語を、本国にいる非軍人達に、はるかにうむを言わさ(compelling)ぬものとした。・・・」(A)
 (注10)いわば、「平均的な輩(average guy)」、「公衆の普通の一員(man on the street)」、を意味する汎称(generic term)。時には、(インディアナ州コーコモーの)「コーコモー出身のジョー・ブロウ(Joe Blow from Kokomo)」、という長い形になる。
http://www.urbandictionary.com/define.php?term=Joe+Blow
 なぜ、コーコモーなのか、は同市のウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Kokomo,_Indiana
を読んだ限りでは分からなかった。
 しかし、一旦それが、議会(Capitol Hill)における闘いともなると、海兵隊は、卑劣な諸計略の方が、<正攻法であるところの、>センター方向(up-the-middle)に向けての諸突進(charges)よりも、効果的であることを理解した。
 米議会議員達の集団がクォンティコ(Quantico)の海兵隊基地<(注11)>を訪問することになった時、一人の狡猾な渉外担当将校が、馬達や高級酒(fine booze)を隠すように<基地当局に>助言した。
 彼は、この立法者達に海兵隊が良い生活を享受していると思わせたくなかったのだ。
 (注11)Marine Corps Base Quantico。ヴァージニア州に所在。海兵隊の研究教育中枢的な施設を中心とした多様な施設がある。アーリントン国立墓地にあるあの硫黄島のすり鉢山頂に星条旗を立てようとしている海兵隊員達の記念像のレプリカが、この基地の入り口にある。
https://en.wikipedia.org/wiki/Marine_Corps_Base_Quantico
 その代わり、「クラッカー類とチーズ、それに、見つけられる最も安い銘柄のウィスキーを置いておけ」、と。
 案の定、ワシントンに向けての帰りのバスでは、この渉外担当将校は、「議員達の何人かが、「いや驚いた。連中の給与を上げてやらなきゃならんな。今まで、あんなに安いウィスキーを見たことがあるか?」と言うのを聞いた。」
⇒戦後日本の防衛予算を、自衛隊創建期を別として、初めて、(しかも、2年連続で、しかも、今のところ、絶後状態ですが、)GNP・・今ではもっぱらGDPが使われます・・の1%を突破させた時、当時会計課の予算決算班長だった私は、上司の池田久克経理局長の発案に基づき、全国の自衛隊の隊舎や官舎の最もみすぼらしい所や傷んでいる所の写真を集めた写真帳を作り、それを抱えて、局長と一緒に議員達の間を回って、予算増の根回しをしたことがあった、という話を前にしたことがありますが、その時のことを、改めて思い出しました。(太田)
(続く)