太田述正コラム#8022(2015.11.9)
<小林敏明『廣松渉–近代の超克』を読む(その6)>(2016.2.24公開)
 「・・・<西谷啓治(コラム#5020、6397、7650)は、>ヨーロッパ近代を中世から画する歴史的要因として宗教改革、ルネサンス、自然科学の三つを挙げながら、これらは事の初めから原理的に矛盾しあうものであったという。つまり、「宗教改革者の宗教が、人間性の全き否定を含むのに対して自然科学は、人間性についで、無記(インディフェレント)或いは無関心な立場である。
 <また、>ルネッサンスとヒューマニズムは、人間性の全き肯定の立場である。」<(注12)>・・・から、それらが衝突しあうのは当然だということである。
 (注12)「宗教改革は、ウェーバーも指摘するとおり、「人間に対する教会の支配を排除したのではなくて、むしろ従来のとは別の形態による支配にかえただけ」である。・・・
 Jean Calvin<の>・・・二重予定説<では、>・・・「救済」における人間の能動性は完全に否定される・・・」
http://fs1.law.keio.ac.jp/~hagiwara/ipt-6.pdf
⇒宗教改革を例にとれば、イギリス人のジョン・ウィクリフ(John Wycliffe)は宗教改革の先駆者であったところ、彼の事跡を見れば、「人間性の全き否定」などといった宗教改革観は間違いであることが容易に分かろうというものです。
 ウィクリフは、人間が道徳的な生活を送りたいのなら、教会の教義や聖職者の言などではなく、聖書を指針にすべきだ、と唱えた
https://en.wikipedia.org/wiki/John_Wycliffe
のであり、彼は、アングロサクソン文明における、伝統的な、自然宗教性ないし人間主義的傾向(=世俗主義⇒反教会)、及び、経験主義(=典拠主義⇒聖書典拠主義)、を、素直に表明しただけなのです。
 このウィクリフの言説を、プロト欧州文明における、少壮気鋭のキリスト教聖職者達が誤解・曲解して継受した結果が、「反教会」を矮小化したところの、「反カトリック教会」/「新教会の設立」であり、「聖書典拠主義」を矮小化したところの、「聖書「解釈」の差異によるところのプロテスタント諸教会の乱立」、であったのです。
 更に遡って振り返ってみれば、イギリス人のロバート・グロステストにおいて、(ウィクリフ的な意味での)宗教改革、(古典ギリシャ文献の批判的解読を重要な柱の一つとする)ルネッサンス、そして、(経験科学としての近代)自然科学、は、互いに密接不可分な関係にあった(コラム#46)ことからして、「それらが衝突し合う」、などということはない、というか、ありえない、こともまた分かります。
 結局のところ、プロト欧州文明において、その有識者達が、群盲象をなでるがごとく、「先進」アングロサクソン文明を仰ぎ見、この文明に追いつき、追い越そうとして、そのうち、各自にとって関心のある部分だけを切り取った上で誤解・曲解する形で、「宗教改革」、「ルネッサンス」、「自然科学」、といった具合に、五月雨式に継受する、という営みが繰り返された結果が、プロト欧州文明の、(諸民主主義独裁の文明たる)欧州文明への病的移行であった、と私は考えています。(太田)
 没落の原因はこの統一性の原理的な欠如というわけである。・・・
 西谷をはじめ京都学派はこうした矛盾を抱え危機に瀕する近代に取って代わるべきものとして「東洋的無の立場」を持ち出してくるのだ・・・
 廣松<は>京都学派の近代観をそれなりに認めたうえで、その「超克」の仕方において彼らとの決定的な決別点を見出すという言説戦略を取っている・・・」(135~137)
⇒欧州の「近代」をアングロサクソン文明の誤解・曲解的継受の帰結、と受け止めない点においては、京都学派も廣松も誤っていた、と私は思います。(太田)
 「「およそ京都学派の『世界史の哲学』ほど、日本の知識人に多かれ少なかれ伴わざるをえなかった思想の外来性を、極端に誇張して戯画化してみせているものはない』という・・・加藤周一<(コラム#631)>・・・の断罪に抗するかのように廣松はこう言っている。
 しかし、京都学派が外来思想の単なる翻訳紹介に終始することなく、かにかくにも、”外来の論理”を”積極的に利用””適用”して、よしんば一幅の”戯画”であろうとも、固有の体系を構築しようとした営為と努力そのことは忘れられてはなるまい。
 論者たちはしばしば「近代の超克」というモチーフがそもそも西洋出自のものであることを指摘し、斯様な西洋的概念を用いて西洋的近代の超克を説くことそれ自身がナンセンスであるかのように評する。
 だが「近代の超克」という課題がグローバルなものであるとすれば、すなわち、近代の超克ということが特殊西洋だけの課題ではなく世界史的な課題であるとすれば、問題の提起がどこで最初におこなわれたかということは副次的な事柄にすぎない筈である。
 論者たちは、近代の超克は西洋に委ね、日本では全然別の事を専らとせよと説く心算であるのか。
 成程、論者たちは、日本はまだ超克さるべき近代を実現してはおらず、当面の課題は近代化の実現であると言いたいのかもしれない。
 しかし、世界史の時代に生きるわれわれにあっては、”西洋における近代の超克”と”近代化以前の地域における近代化の課題”とが、有機的に関連づけられた相でしか存立しえない道理ではないのか。・・・
 ・・・廣松ははっきりと加藤に代表されるような、いわゆる「戦後民主主義<(注13)>派の京都学派批判から距離をとっているだけでなく、ある意味ではそういう批判に対して京都学派の方を「擁護」さえしているように見える・・・」(137~138)
 (注13)「戦後民主主義はしばしば戦前の大正デモクラシーと対比して使われる。この言葉は様々な文脈で用いられているが、「戦後民主主義」を説明する学問上の定説はまだ存在せず、その含意も使い手によって千差万別といってよいほど異なっている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9
⇒定義がはっきりしないことから、「戦後民主主義」派よりも、「近代主義」(注14)者、という呼称の方が適切ではないでしょうか。
 (注14)「日本の近代化に関して,近代市民社会の原理を制度上のみならず人間変革をも含めて確立しようとする主張。」
http://www.weblio.jp/content/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9
 私自身は、戦後民主主義派ないし進歩的文化人ないし岩波文化人の代表的人物とされるところの、「丸山眞男、川島武宜、大塚久雄、鶴見俊輔、加藤周一・・・大江健三郎<ら>」(上掲)を、近代主義者として括っています。(太田)
⇒京都学派/近代の超克論、については、別にシリーズを立ち上げて取り上げるとして、近代主義者の「日本はまだ超克さるべき近代を実現しては<いない>」という主張について、廣松自身が具体的にどう考えていたのか、知りたいところです。(太田)
(続く)