太田述正コラム#8238(2016.2.25)
<無神論の起源(その7)>(2016.6.11公開)
 次いで、ソクラテス前派(pre-¬Socratics)<(注19)>がある。
 (注19)ソクラテス以前の哲学者。「タレス、アナクシマンドロス、ピタゴラス、ヘラクレイトス、パルメニデス、クセノパネス、そしてその他エレア派の哲学者たち、レウキッポスとデモクリトス、プロタゴラスとソフィスト<らの>・・・ソクラテス以前の初期ギリシア(紀元前6世紀から前4世紀)の哲学者のことである。・・・デモクリトスとソフィストはソクラテスと同時代人であるが慣例としてソクラテス以前の哲学者に含める。・・・しかしソクラテス以前には「哲学」という概念はなく、彼らを哲学者と表記するには異議が多いため、しばしば独語を用いてフォアゾクラティカーVorsokratiker ともいう。・・・
 活動・・・場所はイオニアからマグナ・グレキア(大ギリシャ))に及ぶ。・・・前5世紀になってペルシア戦争のためにイオニア地方が衰微し、フェニキア系カルタゴとの小競り合いによってマグナ・グレキアに不安が広がり、ギリシャ人世界の中心がギリシャ本土に移るまでは、イオニアやマグナ・グレキアがギリシャ文化の先進地帯であった」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%86%E3%82%B9%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6%E8%80%85
 「エレア派は南イタリア(マグナ・グラエキア)のルカニアのギリシア植民地エレア(現在のサレルノ県のヴェリア Velia)における、前ソクラテス期の哲学の学派である。パルメニデスによって紀元前5世紀の初期に創立された学派で、この学派に属するのは、他にエレアのゼノン、サモスのメリッソスがいる。クセノパネスも、しばしば異論があるとはいえ、このリストに加えられることがある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AC%E3%82%A2%E6%B4%BE
 「マグナ・グラエキア(ラテン語:Magna Graecia)は、古代ギリシア人が植民した南イタリアおよびシチリア島一帯を指す名前。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%82%AD%E3%82%A2
 「イオニア・・・とは、エーゲ海に面した、アナトリア半島(現・トルコ)南西部に古代に存在した地方のことである。・・・<この>地名は、先祖であるイオニア人に由来する。それまでイオニア人は、ギリシア本土とアナトリア半島の間にあるエーゲ海の島々に住んでいたが、アッティカ(最も重大なのはアテナイ)および現在のトルコ地方の両方に移住し、植民地を建設していた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2
 「イオニア人(英語:Ionian)とは、紀元前2000年ころにバルカン半島を南下し、ギリシャ中部や小アジア北西部に定住したとされるアカイア人の一部。・・・代表的なポリスはアテナイである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%8B%E3%82%A2%E4%BA%BA
 「アカイア人・・・は、紀元前2000年頃テッサリア方面から南下してペロポネソス半島一帯に定住したとされる古代ギリシアの集団。後に、その一部はイオニア人と呼ばれる様になった。・・・ミケーネ文明を構成した集団と考えられており、ミノア文明を滅ぼした。・・・その一部は後に南下してきたドーリア人に征服された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%82%A2%E4%BA%BA
 例えば、クセノパネスやアナクサゴラス(Anaxagoras)<(注20)(コラム#7080)>がそうだ。
 (注20)BC500?~428?年。「壮年期・・・に彼は、当時急速にギリシア文化の中心に成りつつあったアテナイに移り住<み、>・・・イオニアの哲学と科学的探求の精神を、アテナイへともたらした。・・・アテナイの政治家ペリクレスは彼を敬愛し褒め称えた。また詩人のエウリピデスの科学と人間愛に対する熱意は彼に導かれたものである。・・・しかし<彼>の考察<について、>・・・クレオン<が>不敬の罪で訴え・・・た・・・紀元前450年頃(50歳頃)アナクサゴラスの裁判の際にペリクレスが彼を弁護した・・・が、それでもアナクサゴラスは、アテナイからトローアスのランプサコスへと隠居せざるを得なかった(紀元前434ー433年、66歳頃)。その地で彼は・・・約72歳でその生涯を終えた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%82%AF%E3%82%B5%E3%82%B4%E3%83%A9%E3%82%B9
 「トローアス・・・は、アナトリア半島の北西部、現在のトルコ、チャナッカレ県に属するビガ半島の歴史的名称」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%82%B9
 彼らは、私の考えでは、神と自然とを、或いは、より限定的には、変えることができない諸法則の中に表現されたところの自然の明瞭な構造とを、を同一視する、スピノザの特殊な銘柄の無神論を予兆したのだ。
 著者は、「クセノパネスについていえば、直截的な意味においては無神論者ではなかった」、と記している。
 彼は、神格(deity)の存在は否定しないけれど、急進的にそれを再定義した」、と。
 著者は、「クセノパネスの中の世界の説明において、我々が、「自然」を「唯一神(the one god)で代替したとして」何か失われるものがあるだろうか、と問いかける。
 かかる再定義は、スピノザの主著であるところの、その死後に出版された『エチカ(Ethiks)』の中だけではなく、スピノザを研究した人々、例えばアインシュタイン(Einstein)の中にも再出現する。
 神を信じているかと聞かれた時に、アインシュタインは、「私はスピノザの神を信じている」と答えた。
 これは、科学の指導原理、つまりは、自然の美しい明瞭さ、の肯定(affirmation)ということに要するになる。
 しかし、古典ギリシャ人達の間で、私は、シドニー・モーゲンベッサー(Sidney Morgenbesser)<(注20)>の諸血統(strain)を捕まえることができるのはどこでなのだろうか。
 (注20)1921~2004年。ニューヨーク市単科大学、米ユダヤ神学校で学び、ペンシルヴェニア大で博士号を取得し、長くコロンビア大哲学教授を務める。「どうして神は私はかくも苦しめるのだろう。単に私が彼を信じていないだけなのに。」と記したことで知られる。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sidney_Morgenbesser
 それが、エウリピデスと同じくBC5世紀のアテナイ人であったところの、滑稽詩人のアリストパネスの劇の中でであったことは驚くべきことではない。
 『騎士(Knights)』<(注21)>の幕開けで、2人の奴隷達が、もう1人の横柄な奴隷についてこぼしていた。
 (注21)「国家としてのアテナイもしくはアテナイ市民を擬したデーモスの下にやって来た、当時の扇動政治家クレオーンを擬したパプラゴーン(パプラゴニア人と表記される事も)という新参奴隷が、主人に言葉巧みに取り入り、将軍ニーキアースやデーモステネースを擬した奴隷たちをやり込めようとしているところで、もっと狡猾なアゴラの腸詰屋アゴラクリトスにやり込められるという風刺話が描かれる。題名は劇中でコロス(合唱隊)役を担う「アテナイの騎士たち」にちなむ。・・・
 紀元前424年のレーナイア祭で上演され優勝した。・・・
 詩曲には『デーモス家の下男・甲、同・乙、同・丙』(松平千秋 訳による)としてか表記されておらず、デーモステネース、ニーキアース、クレオーンの名は出てこない。もっとも下男・甲役はデモステネスに、下男・乙役はニキアスに似せた仮面を被って演じた。一方下男・丙役の被る仮面についてはクレオンには全く似ていない。アリストパネスはそっくりな仮面を被らせたかったが、製作者が怖がって全く似ない仮面を作ってしまったためである。また、下男・丙役を割り当てられた俳優がやはり怖がって出演を拒否したために、競演時この下男・丙役はアリストパネス自身が顔を赤く塗って演じている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A8%8E%E5%A3%AB_(%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%91%E3%83%8D%E3%82%B9)
 デモステネス(=デーモステネース。BC384?~322年)は、「<アテナイの>政治家・弁論家である。・・・反マケドニア運動を展開したが叶わず、自殺へと追い込まれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%A2%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%8D%E3%82%B9
 ニキアス(=ニーキアース。BC470?~413)は、「アテ<ナイ>の政治家,将軍。莫大な富を有していたといわれる。ペロポネソス戦争に際して,最初の 10年間すぐれた司令官として名を揚げる一方,好戦主義に反対してスパルタとの和平締結に努力し,好戦派の指導者クレオン,スパルタの有能な将軍ブラシダスの死後,前 421年に「ニキアスの平和」を成立させた。」
https://kotobank.jp/word/%E3%83%8B%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%82%B9-109164
 クレオン(=クレオーン。BC?~422年)は、「アテナイの政治家、デマゴーグである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6)
 どうやったら彼に会わずに済ませられるか?
 片方の奴隷が、どれかの神の塑像のところに行ってひれ伏すことを示唆したところ、もう一方の奴隷は軽蔑したような反応を見せざるを得なかった。
 お前は本当に神々を信じているのか?
 お前の証拠は?
 それに対する答えは、「俺が呪われているという事実だ」、だった。
 シドニーがその役を演じている姿を思い描けるというものだ。・・・」(B)
(続く)