太田述正コラム#8272(2016.3.13)
<20世紀欧州内戦(その5)>(2016.7.14公開)
 トラヴェルソは、スターリン主義についての「自己満足」と絶滅支持的(exterminationist)反ユダヤ主義、に対する「無意識的盲目(involuntary blindness)」とは共通の脈絡(thread)を持っている、と主張する。
 それはすなわち、「19世紀の欧州文化から承継された、進歩の観念の苦みを伴った(bitter)無批判的擁護(uncritical defense)」である、と。
 ナチズムに関して、トラヴェルソは、亡命したドイツ知識人たるテオドール・アドルノ(Theodor Adorno)<(コラム#6447)>の、ドイツのファシズムは不可避的な歴史の進歩の道における暫定的な回り道なのではなく、今や解放的狙いから解き放たれ、支配(domination)のプロジェクトへと矮小化された、技術的かつ道具的な(technical and instrumental)合理性を伴っているところの、文明それ自身の産物」である、とする見解に反対する。
 アドルノの見解では、アウシュヴィッツ(Auschwitz)は、「欧米の真正なる(authentic)産物、つまりは、その破壊的側面の出現」だったのだ。<(注8)>
 (注8)このくだりを裏付けるネット上の典拠がすぐには見出せなかったので、下掲でもってお茶を濁したい。
 「父オスカーはもともとユダヤ系であったが、カトリックの<アドルノの母となるドイツ人>と結婚する前にプロテスタントに改宗している。・・・
 <以下は、英語ウィキペディアには載っていない。(太田)>
 1933年、ナチスがアメリカ黒人のジャズを禁止すると、アドルノは、ジャズは愚かであって救済すべきものはなにもなく、「ジャズの禁止によって北方人種への黒人種の音楽影響は除去されないし、文化ボルシェビズムも除去されはしない。除去されるのは、ひとかけらの悪しき芸術品である」と、当時ナチスが頻繁に使用していた「除去」「人種」「文化ボルシェビズム」といった言葉を使用して批評した。
 1934年にアドルノは、ナチ全国青年指導部(Reichsleitung)の広報誌月刊ムジーク1934年6月号に論評を発表し、ヘルベルト・ミュンツェル(Herbert Muntzel)作曲のツィクルス「被迫害者の旗(Die Fahne der Verfolgten)」を誉めた。この曲はヒトラー・ユーゲント全国指導者バルドゥール・フォン・シーラッハの詩に曲をつけたものであった。アドルノはこの曲がすばらしい根拠は、「シーラッハの詩を選ぶことで自覚的に国民社会主義的な特徴をしるしている」こと、またゲッペルスが『ロマン主義的リアリズム』と規定した「新しいロマン主義の表象化が追求されていることにあると書いた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%8E
⇒1932年にアドルノはユダヤ系人として亡命態勢に入ることを余儀なくされたというのに、自身は、一貫して、ドイツ・ナショナリストであったと見えます。
 そんなアドルノのナチス観がナチスに対して甘いものとなるのは必然であった、と言うべきでしょう。
 しかし、そのおかげで、怪我の功名的に、アドルノのファシズム観は、正しいものとなった、と私には思えます。
 但し、彼の言う「文明」を、「欧州文明」に限定すれば、の話ですが・・。(太田)
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[アドルノの音楽について]
 「作曲家としても作品を残し、アルバン・ベルクに師事した。・・・新古典主義的傾向をもつ音楽や・・・20世紀において後期ロマン主義のスタイルをとり続ける作曲家には否定的であった。また、一貫してジャズやポピュラー音楽には批判的な態度をとりつづけた。」
 この際、2曲、紹介しておく。
Piano piece (1921)
https://www.youtube.com/watch?v=Y9vU36JCbIM
String Quartet (1921) これ素晴らしいと思うな。下述の都市伝説の生誕も分かるような気がしてくる。
https://www.youtube.com/watch?v=v5Tc4mXodrI
 なお、アドルノが実はビートルズ全ナンバーの作曲者だったという都市伝説に関心のある方は、下掲が詳しい。
http://plasticmacca.blogspot.jp/2013/06/disinfo-that-theodore-adorno-wrote.html
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 第二次世界大戦後、<それまでの>反ファシスト諸勢力の一時的連帯(unity)が終焉を迎えると、反ファシストの遺産(legacy)は分裂して分岐した諸小潮流となった。
 そして、ソ連と米国、及び、それぞれの同盟諸国、のどちらかを選ぶことを拒否した者達は片隅に追いやられ、リベラル達は反ファシズムを放棄して反共産主義へと転換した。
 欧州と米国では、反ファシズムはイデオロギー的には共産主義と結び付けられ、共産主義とファシズムは、鏡像関係にあるところの、全体主義、と見られるようになったのだ。・・・」(C)
(続く)