太田述正コラム#8274(2016.3.14)
<20世紀欧州内戦(その6)>(2016.7.15公開)
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<共産主義とファシズムとは一体何だったのか?–取りあえずの考察>
○共産主義体制
 プロレタリア独裁
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8B%AC%E8%A3%81 
によって、(私の言葉に置き換えれば、)工業社会において人間主義への回帰を目指すイデオロギーを掲げた体制。
 「プロレタリアートの独裁は、社会の圧倒的多数を占めるプロレタリアートの、極めて少数であるブルジョワジーに対する独裁であるため、実態としては「ブルジョワ独裁」に他ならない「ブルジョワ民主主義」体制よりも、民主主義的であるとマルクスやその後継者たちは主張した」(上掲)ところ、実際に共産主義者達が権力を掌握した諸国は、(第二次世界大戦中にソ連が占領して、強制的に共産主義者に権力を掌握させた諸国の一部を除き、)工業化が遅れていた諸国ばかりだったので、論理必然的に少数たるプロレタリアートによる(それ以外の)多数、主として農民、に対する独裁を意味した。
 (後で再度取り上げるが、プロレタリア独裁の意味について、共産主義者の間でも議論があるが、意味のない議論である、と私は考えている。)
 いずれにせよ、その実態は、(その後工業化が進展したり、一部の最初から工業化が進展していた諸国を含め、)共産主義者達による、彼ら以外(多数者)に対する独裁体制であるところ、より端的に言えば、共産主義なる特異なキリスト教的宗派の国家宗派化に成功した少数たる聖職者達が、当該国の多数たる平信徒達を、自分達に従属させつつ、当該国の維持・伸張を図る体制である、と言えよう。
○ファシズム体制
 その定義は混乱を極めている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0
ところ、以下、私見であるが、工業社会におけるナショナリスティックな独裁体制・・農業社会において工業化を図るナショナリスティックな独裁体制であるナショナリズムのいわば後継体制・・であって、各国毎に別個の(共産主義以外の)キリスト教的宗派を国家宗派化しているものである。
 ナショナリズム体制は、経済体制の個人主義化/資本主義化によって工業化を図るために、また、ファシズムは、個人主義化/資本主義化によって工業化した経済体制を維持するために、(遠心力が働くところの、個人主義/資本主義による社会瓦解を防止すべく、)政治体制においては集団主義を維持する。
 ファシズム体制も、キリスト教的宗派の少数たる聖職者達が、当該宗派を国家宗派化し、当該国の多数たる平信徒達を自分達に従属させつつ、当該国の維持・伸張を図る体制である点では、共産主義体制と同じである。
※支那本土時代の中国国民党は、支那のファシズム体制化を目指したナショナリズム政党であった、と言えよう。
●補足
 以上を要約的に言い換えれば、共産主義は、(中国共産党を除き(太田の見解)、一般に各国の共産党はそのような認識を持っていないが、)日本文明の総体的継受を図る特異なキリスト教的宗派であるのに対し、ナショナリズム/ファシズムは、アングロサクソン文明中の経済体制だけの継受を図る特異なキリスト教的宗派である、ということになろう。
 前者に関しては、人間主義者であると標榜する者達による非人間主義者達の独裁的支配、すなわち、基本的には、非人間主義者であると目される者達の物理的抹殺を含む、非人間主義的支配、が、当該国の大多数の人々が人間主義化するまで続くことになるわけだが、かかる独裁的支配を経ずしての日本文明の総体的継受の可能性を、学問的に追求するのは、我々日本人の責務であると思う。
 後者に関しては、個人主義/資本主義の先進諸国たる英米が、19世紀以降、世界の自然・人間資源の過半を直接的間接的に支配下に置いてきたことから、かつての伊独のように、経済面で英米に追いつき追い越すためには、対外侵略が不可欠であると考え、それを実行に移した諸国もあった。
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(続く)