太田述正コラム#8340(2016.4.16)
<ネオリベラリズムの闇>(2016.8.17公開)
1 始めに
 本日のディスカッションで予告した、ジョージ・モンビオット(George Monbiot)<(コラム#529、1032、7428)>の表記コラム
http://www.theguardian.com/books/2016/apr/15/neoliberalism-ideology-problem-george-monbiot
・・原題は、「ネオリベラリズム–我々の全ての諸問題の根っこにあるイデオロギー(Neoliberalism — the ideology at the root of all our problems)」・・のさわりをご紹介し、私のコメントを付します。
 なお、モンビオット(1963年~)は、オックスフォード大卒、同大修士(動物学)で、BBCを経て、世界各地の環境問題を告発するジャーナリストとして活躍、というイギリス人です。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Monbiot
2 ネオリベラリズムの闇
 「・・・ネオリベラリズム(新自由主義)という言葉は、1938年のパリでの会合で生み出された。
 その代表者達の中に、このイデオロギーを規定(define)することとなる二人の人物達であるところの、ルードヴィッヒ・フォン・ミーゼス(Ludwig von Mises)<(コラム#3711、4017、5659)>とフリードリッヒ・ハイエク(Friedrich Hayek)<(コラム#1865、3541、4079、4858、4866、5285、5394、5659、6234、6429、7165、7294、7528)>がいた。
 二人とも<ユダヤ系で>オーストリアからの亡命者達であり、彼らは、フランクリン・ローズベルト(Franklin Roosevelt)のニューディール、及び、英国の福祉国家の漸進的進展、で代表されるところの、社会民主主義を、ナチズムと共産主義と同じ領域(spectrum)に属する、集団主義の諸兆候(manifestations)と見た。・・・
 それは、この哲学を自分達が規制や税から解放するための好機であると見たところの、若干の極めて金持ちの人々の注意をひいた。
 1947年に、ハイエクがこのネオリベラリズムの教義を普及させることになる最初の組織であるモンペルラン協会(Mont Pelerin Society)<(注1)>を創設した時、この協会は、百万長者達や彼らの諸基金によって財政的に支えられた。
 (注1)「自由主義を政界に広げ、共産主義と計画経済に反対することを目的とした政治団体。1947年、スイスのレマン湖東岸に位置する保養地モンペルラン(ペルラン山)に自由主義経済の重要性を唱導する経済学者たちが集まって創立された。」ノーベル経済学賞を受賞したメンバーに、フリードリヒ・ハイエク(1974年)、ミルトン・フリードマン(1976年)、ジョージ・スティグラー(1982年)、ジェームズ・M・ブキャナン(1987年)、モーリス・アレ(1988年)、ロナルド・コース(1991年)、ゲーリー・ベッカー(1992年)、バーノン・スミス(2002年)、がいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%9A%E3%83%AB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%82%B5%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC
 彼らの助けにより、ハイエクは、ダニエル・ステッドマン・ジョーンズ(Daniel Stedman Jones)<(注2)>が『宇宙の主人達(Masters of the Universe)』の中で「一種のネオリベラル・インターナショナル」と描写するところの、学者達、実業家達、ジャーナリスト達、及び、活動家達の汎大西洋ネットワーク、を創造し始めた。
 (注2)イギリスの法廷弁護士、歴史学者、政治著述家。
https://twitter.com/stedmanjones_d
 この運動の金持ちの支援者達は、このイデオロギーを精緻にし、推進することになるであろうところの、一連の諸シンクタンクに資金を提供した。
 例えば、アメリカンエンタープライズ公共政策研究所(American Enterprise Institute for Public Policy Research)<(注3)>、ヘリテージ財団(Heritage Foundation)<(注4)>、カトー研究所(Cato Institute)<(注5)>、経済問題研究所(Institute of Economic Affairs)<(注6)>、政策研究センター(Centre for Policy Studies)<(注7)>、アダム・スミス研究所(Adam Smith Institute)<(注8)>、がそれだ。
 (注3)1943年に共和党によってワシントンにおいて創設された。
https://kotobank.jp/word/AEI-443574
 (注4)1938年にワシントンにおいて創設された。
https://en.wikipedia.org/wiki/American_Enterprise_Institute
 (注5)1973年にワシントンにおいて創設された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AA%E3%83%86%E3%83%BC%E3%82%B8%E8%B2%A1%E5%9B%A3
 (注6)1955年にロンドンにおいて、ハイエクの示唆に基づいて創設された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Institute_of_Economic_Affairs
 (注7)マーガレット・サッチャーらによって、1974年にロンドンで創設された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Centre_for_Policy_Studies
 (注8)1977年にロンドンで創設された。
https://en.wikipedia.org/wiki/Adam_Smith_Institute
 彼らは、とりわけシカゴ大学とヴァージニア大学における、学術的諸ポスト(academic positions)や諸学科、も財政支援した。
 進化するにつれて、ネオリベラリズムは、より耳障りなものになっていった。
 諸政府は独占が形成されることを防ぐために競争を規制すべきであるとのハイエクの見解は、ミルトン・フリードマン(Milton Friedman)<(コラム#1388、2196、5726、7244)>のような、米国における使徒達の間で、独占権力は効率性に対する報酬であると見ることができる、という信条に道を譲った。・・・
 ネオリベラリズムの諸要素、とりわけ、その金融政策に係る諸処方箋は、米国では<民主党の>ジミー・カーター(Jimmy Carter)政権、英国では<労働党の>ジム・キャラハン(Jim Callaghan)<(注9)>政府、によって採用された。・・・
 (注9)レナード・ジェームズ・キャラハン(Leonard James Callaghan。1912~2005年。首相:1976~79年)。父親を早くに亡くしたため、無学歴で、税務署員として労働運動に携わり、蔵相、内相、外相を経て首相。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%A9%E3%83%8F%E3%83%B3
 <保守党の>マーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)と<共和党の>ロナルド・レーガン(Ronald Reagan)が権力の座に就くと、それ以外のパッケージ・・金持ちのための大幅な諸減税、諸労働組合つぶし、規制緩和、民営化、外注、及び公的諸サービスにおける競争・・もその後に続いた。
 IMF、世銀、マーストリヒト(Maastricht)条約<(注10)>、WTO、を通じて、ネオリベラル諸政策は、世界の多くの部分で、しばしば民主主義的同意抜きで、押し付けられた。
 (注10)「欧州連合<(EU)>の創設を定めた条約。1991年12月9日、欧州諸共同体<(EC)>加盟国間での協議がまとまり、1992年2月7日調印、1993年11月1日に・・・発効した。・・・附帯議定書では単一通貨ユーロの創設と3つの柱構造(欧州共同体の柱、共通外交・安全保障政策の柱、司法・内務協力の柱)の導入が規定された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%88%E6%9D%A1%E7%B4%84
 最も注目すべきは、それが、かつて左翼に所属していたところの、労働党や民主党といった諸政党の間で採用されたことだ。・・・
 諸労働組合や団体交渉からの自由は、諸賃金の抑制の自由を意味した。
 規制からの自由は、諸河川の汚染、勤労者達の非安全、邪悪な諸利子率の設定、そして、わけの分からぬ(exotic)金融諸道具の設計、の自由を意味した。
 税金からの自由は、人々を貧困から抜け出させるところの、富の分配からの自由を意味した。・・・
 <ネオリベラリズムより前にはケインズの経済思想があったわけだが、>左翼は、80年間にわたって<ネオリベラリズムに代わる>新たな経済思想の枠組みを生み出さなかった。
 これが、<ネオリベラリズムという>ゾンビが歩き続けている理由だ。・・・
 <さりとて、>21世紀の諸危機に対してケインズ的な諸解法を提案することは、明白な三つの諸問題を無視することになってしまう。
 <第一に、>古い諸観念の回りに人々を動員することは困難であること。
 <第二に、>1970年代に露わになった<ケインズの経済思想の>諸欠陥が解消してはいないこと。
 そして、<第三に、>これが一番重要なのだが、<ケインズの経済思想は、>我々にとって最も深刻な障害であるところの、環境危機、について何も言うところがないことだ。
 ケインズ主義は経済成長を推進するために消費者需要を刺激することで機能する。
 <ところが、>消費者需要と経済成長は、環境破壊の諸駆動力なのだ。・・・」
3 終わりに
 ネオリベラリズムは、欧州が生み出した思想が(ここはできそこないのアングロサクソンの米国を含むところの)アングロサクソン諸国を席巻したという点で、空前の事例でしょう。
 興味深いことに、このネオリベラリズムは、それを生み出した欧州を含め、アングロサクソン諸国以外には殆ど普及しませんでした。
 日本も旧三公社等の民営化をネオリベラリズムの影響を受けて敢行したではないか、と思われるかもしれませんが、前に指摘したことがあるように、その最大の狙いは、ネオリベラリズムに藉口した、左派労働運動つぶしだったのです。
 日本でネオリベラリズムを党是として掲げた政党は、渡辺喜美が率いたみんなの党
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E5%85%9A
だけでしたが、その党が雲散霧消したことは、いかに、日本人にとってネオリベラリズムが違和感があるかを物語って余りあるものがあります。
 さて、ケインズ主義は、個人主義/資本主義を主、人間主義的なものを従とするところの、アングロサクソン文明の20世紀前・中期版の思想であったのに対し、ネオリベラリズムは、個人主義/資本主義だけの社会を理想視するという、アングロサクソン文明の曲解を旨とするところの、欧州文明の20世紀中・後期版の思想であった、と私は考えています。
 では、21世紀の思想は一体何であるべきか?
 理由に多言を費やすまでもなく、それは、個人主義/資本主義、に立脚していないところの、(環境にも優しい)人間主義でしょう。