太田述正コラム#8356(2016.4.24)
<全て失敗に終わった米国のポスト冷戦期外国体制変革努力(その2)>(2016.8.25公開)
 この本は、歴代米国政権の諸盲点に焦点を当てているけれど、「失敗」の責任は米国側だけに帰せしめるわけにはいかない。
 マンデルバウムは、米国が作り直そうとした諸国の諸文化を、彼らが欧米の諸制度を吸収できなかったことで繰り返し非難する。
 例えば、親戚関係(kinship)の諸紐帯が腐敗を「この国の部族的文化に組み込ませている」ところの、アフガニスタンの土壌に、法の支配を移植することを困難にした」、とマンデルバウムは記す。
⇒書評子の紹介が簡単過ぎるためでしょうが、アフガニスタンは中東ではなく、中東に関しては、同じことは必ずしも言えない、ということなのか、これだけではよく分かりません。
 私見では、これは、個人主義のアングロサクソン諸国(米国を含む)、階級「主義」の欧州諸国、人間主義の日本、を除く、大部分の国・地域に濃淡の差はあってもあてはまります。(太田)
 <また、>フセインがバグダッドで打倒された後の「米国の失敗は、米国人達がイラクで何を行い何を行わなかったかではなく、究極的には、イラク人達がいかなるものであったかに起因している」、と。
⇒シーア派、スンニ派、クルド人、等はいても、イラク人などいなかった、というのがマンデルバウムの言いたいことではないかと想像されます。(太田)
 <更にまた、>ブッシュ政権の中東での自由のアジェンダが失敗した一因は、彼が、「民主主義を、それに対する免疫ができている地域にもたらそうとした」からだ」、と。
⇒民主主義に馴染まぬイスラム教のせいだ、というのが恐らくはマンデルバウムの考えであることが、後出のくだりから想像できます。(太田)
 <そしてまた、>ロシアが自由諸市場と民主主義を全面的に抱懐できなかったのは、「世襲財産主義(patrimonialism)」がその社会の中に埋め込まれているからだ、と。
⇒書評子は、マンデルバウムのpatrimonialismのイメージ・・容易に掴めません・・をいささかなりとも紹介すべきでした。(太田)
 イスラエル・パレスティナ諸紛争の根底的な原因は、「パレスティナの政治文化」にある。
⇒どうやら、マンデルバウムは、イスラエルを欧米の範疇に無条件で入れているようですが、イスラエルは、「建国宣言で「ユダヤ人の国家」(Jewish State)と規定されており、ユダヤ人の定義は「帰還法」(1970年改正)により「ユダヤ教徒もしくはユダヤ人の母親から生まれたもの」と定義している」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB
以上、基本的に宗教や血縁を国家の属性としていないところの、一般の「欧米」諸国とは異質なのであって、そのこともまた、「イスラエル・パレスティナ諸紛争の根底的な原因」の一つ・・上掲典拠中の「イスラエルと外交関係を有する国/有しない国」地図参照・・であることは間違いなく、従って、マンデルバウムの考えは誤りと言って語弊があれば、著しく偏っています。
 なお、「パレスティナの政治文化」は、端的に、「イスラム教」とすべきでした。(太田)
 同様のことが、あらゆる所について言えるわけだ。
 マンデルバウムは、このような諸感情が、「人種主義的に近いところの、自民族中心主義的(ethnocentric)」であると解釈されうることを自覚しているが、弁明はしない。
 というのも、上述の諸事は正しいことが証明されていると考えているからだ。
⇒欧米至上主義、換言すれば、「資本主義+民主主義+自由主義(法の支配)」至上主義、であることから、自民族中心主義でないことは確かですが、拡大英国の場合、このうち民主主義にはどちらかと言えば負の価値しか認めていませんし、自由主義についても、拡大英国には憲法も三権分立もないことから、米国のそれとは大きく様相を異にしています。
 また、同じく、自由主義について、(個人主義に立脚する)米国も含めた広義のアングロサクソンは、過去から現在に至る、いわばコモンセンスの沈殿物たる、コモンローを制定法よりも重視するのに対し、(「階級」主義に立脚する)欧州は制定法だけの世界であり、やはり大きく異なります。
 そして、拡大英国人、いや、少なくともイギリス人は、欧米の中には、上述したような違い等のある、三つの文明であるところの、優位から劣位に至る、アングロサクソン文明、米国文明、欧州文明がある、とホンネでは考えている、と私は見ているわけです。(太田)
 彼は、宗教も彼の批判に含めている。
 「イスラム教それ自体は、世界の他の場所でいかなる宗教もそうであったように、中東において、民主主義の成長を禁止するのに、大きな影響力を行使した、」と彼は記す。
 「イスラム教は、キリスト教においては不可欠であったところの(integral)、聖なるもの(sacred)と俗なるもの(secular)との分離、を欠いているが故に、厳密に言えば宗教法があらゆる所に適用され、民主主義の様相であるところの、選挙された役人達による立法の余地を残していない」、と。
⇒先ほど記したことに照らせば、広義のアングロサクソンだって、「選挙された役人達による立法の余地を残して」こそおれ、かかる立法ではないところの、コモンローを重視しているのですから、立法「も」行っているイスラム世界との違いは程度問題に過ぎないので、マンデルバウムは甚だしく舌足らずです。(太田)
 これが、米国政府が、ポスト冷戦世界において新しい諸社会の建築家の役割を担うべきではなかった理由だ、とマンデルバウムは結論付ける。
 そうではなく、「現地の諸事情がそれを可能にするのであれば、国家建設が起きた場合に、その諸条件を創造し維持する」助けをすることができる「庭師(gardener)」になるべきだったのだ、と。・・・」
⇒このくだりは、一般論として、いかなる「先進国」にもあてはまる正論ではあるけれど、欧州はもとより、米国も、そして、拡大英国ですら、庭師になどなれないのであって、このことについては、もはや歴史が結論を下している、と言うべきでしょう。
その根本的原因は、アングロサクソン文明にすら普遍性がないからである、と私は考えているわけです。(太田)
3 終わりに代えて
 補足を行っておきます。
 引用した前半ですが、客観的に見れば、日本は、戦後、自らは戦わず、国力の絶頂期を迎えた米国を使嗾して傭兵とし、日露百年戦争を、米国に、他の米国の同盟諸国を率いさせて戦わせることでついにこの百年戦争に勝利することに成功するとともに、米国が国力を相対的に蕩尽するのを冷笑的に見守っていた、ということになりそうです。
 引用した後半ですが、上述した、欧米の中の三つの文明の優劣のベクトルにおいて、より優位に位置しており、普遍性があるのが(人間主義に立脚した)日本文明である・・どうしてそう言えるか、各自お考えいただきたい・・わけであって、日本を除く、中共以外の世界の全ては、日本文明を継受することによって、国家建設ないし国家再生を果たすことが今後の最大の課題であるわけです。
 そして、日本こそ、「その諸条件を創造し維持する」助けをすることができる「庭師(gardener)」になる」使命を帯びているのです。
(完)