太田述正コラム#0398(2004.7.2)
<気候と歴史(その2)>

4 人類の歴史もまた気候を変化させてきた

 更に巨視的に、気候と人類の歴史との関係を考えることにしましょう。
 18,000年前に最後の本格的な氷河期が終わると、地球は温暖期(この温暖期をHoloceneと呼ぶ)に入って現在に至っています。
 しかし、その後も、何度か相対的な寒冷期がありました。A:13,000年前から11,500年前まで(Younger Dryasと呼ばれている)、B:8,200年前から7,800年前、そしてC:4,200年前前後、更に前述したD:AD1,300年から1,850年までの小氷河期です。
 人類は、少なくとも13,500年までに農耕を中東のシリア、トルコ南部、イラク北部のいわゆる三日月地帯で開始しました(注4)。しかし、農耕が開始されても、直ちに定住がなされたわけではなく、農耕と採集の中間的な形態が続きました。

 (注4)現在のシリアのユーフラテス川の渓谷のアブ・フレイラ(Abu Hureyra)で発見された農耕跡が今のところ最古。

 Aが起こったのは、気温の温暖化が原因です。一見矛盾のようですが、北米大陸の氷河が溶け、この冷たい水が大西洋に注ぐことで、メキシコ暖流の流れが滞り、その結果世界の気温が下がったのです(注5)。降雨量も大きく減りました。

 (注5)これが、今年封切られた米国映画、The Day After Tomorrow (化石燃料の燃焼による炭酸ガスの放出に伴う温室効果により、大寒波が世界を襲い、ニューヨークが氷に閉ざされてしまう、というストーリー)制作のヒントになった(http://www.guardian.co.uk/uselections2004/story/0,13918,1168456,00.html。3月13日アクセス)。

 この結果、アブ・フレイラからも一旦農耕の痕跡が消えてしまいます。
 定住農耕が始まったのは、やはり上記三日月地帯で10,500年前だと考えられています。人類は、それまで移動を常としていました(mobile)が、こうして(狩猟採集民や遊牧民を除いて)定住(immobile)し始めたのです。
 人類の次の飛躍は、人類史上初めてチグリス・ユーフラテス川下流で始まった灌漑農耕によってもたらされました。Bの始期と灌漑の開始時期とは一致しています。寒冷化に伴う降雨量の減少により、灌漑をしないと農業生産量を維持できなくなったからだ、と考えられています。
 そして5500年前に、人類史上初めてチグリス・ユーフラテス川下流に文明(=都市国家)、シュメール(Sumer)文明が生まれます(http://i-cias.com/e.o/sumer.htm。7月2日アクセス)。
 Cは、世界の降雨量を2??3割減らし、ナイル川の流量を減少させたため、エジプトの古王朝(Old Kingdom。紀元前2494??2345年。http://ancienthistory.about.com/library/bl/bl_time_africa_my_egypt.htm(7月2日アクセス))は滅亡しました。また、世界最初の帝国であるメソポタミアのアッカド帝国(Akkadian Empire。紀元前2,350??2112年。http://www.angelfire.com/nt/Gilgamesh/akkadian.html(7月2日アクセス))も同じ理由で滅亡しています。

 ここまでは、気候の変化がいかに人類の歴史を形成してきたかについて論じてきましたが、逆に人類の歴史が気候を変化させてきた側面もあることを忘れてはならないでしょう。

人類が地球の気候に影響を及ぼし始めたことが分かるのが8,000年前です。
 農耕開始に伴い、農地を確保のために森林は切り開かれて行きました。これに伴い、木に蓄えられていた炭酸ガスが空中に放出されて行きます。そして8,000年前に、それまで40万年にわたってサイクル(Milankovitch cycle)を描いて増減を繰り返してきた大気中の炭酸ガスの濃度は、本来下がるべき時期に来ていたにもかかわらず、上がったのです。
 5,000年前に東アジアで水田稲作が始まり、大気中にメタンガスが放出されるようになると、それは、大気中の炭酸ガス濃度の増大と同じ効果を生みました。
 もっとも、人類が農耕を始めてから、温室効果が常に右上がりで推移したわけではなく、疫病の流行等による人口の減少期には耕作地も減るため、森林が拡大し、空中の炭酸ガスが木に吸収されて地球の気温は低下しました。
 そのような疫病の例としては、ローマの衰退をもたらした紀元3??6世紀の欧州での疫病の大流行、14世紀の黒死病(ただし、黒死病は小氷河期の産物という側面もある(コラム#397))、16世紀に南北アメリカ大陸の原住民の人口を5,000万人から500万人へと激減させた(欧州から持ち込まれた)天然痘の大流行があげられます。
(以上、特に断っていない限り、注1の3に係るhttp://books.guardian.co.uk/reviews/scienceandnature/0,6121,1248164,00.htmlhttp://www.archaeology.org/0405/reviews/summer.html(いずれも6月30日アクセス)のほか、http://cas.bellarmine.edu/tietjen/images/neolithic_agriculture.htmhttp://www.economist.com/science/displaystory.cfm?story_id=2299998(いずれも7月2日アクセス)による。)

(続く)