太田述正コラム#8533(2016.8.7)
<一財務官僚の先の大戦観(その61)/私の現在の事情(続x83)>(2016.11.21公開)
 「我が国の金本位制は、第一次世界大戦で英国をはじめ欧米諸国が金本位制を停止する中、1917(大正6)年に停止された。・・・
 <しかし、>大戦後には各国とも金本位制へ・・・復帰していった。
 そのような中で、昭和5(1930)年に我が国を金本位制に復帰させた<(注127)>のが井上準之助であった。
 (注127)「日本の立憲政友会政権(原内閣・高橋内閣)は、国内に対する積極財政政策と北洋軍閥の北京政府支援のために大量の借款が必要となるという観測から金解禁を先送りした。・・・
 <ところが、>1928年(昭和3年)に入り、フランスが金解禁を行うと主要国でこれを行っていないのは日本のみとなり、内外からの批判を浴びた。また、為替相場の不安定ぶりに悩まされた金融界と貿易関係の業界からは、金解禁を行って為替相場を安定させることを望む声が上が<った>・・・。さらに、1930年(昭和5年)に設立される国際決済銀行の出資国・国際連盟財政委員会構成国の要件に、金解禁の実施が盛り込まれたことにより、当時「五大国」と呼ばれた日本の威信にも関わる事態となった。・・・
 そして、<ついに、>・・・立憲民政党の濱口内閣<(蔵相井上準之助)によって、>・・・1930年(昭和5年)1月11日、・・・「金2分=1円=0.49875ドル」(1ドル=2.005円)の旧平価による金解禁が実施されたのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E8%A7%A3%E7%A6%81
 しかしながら、それが無理な旧平価で行われたことが、日本経済を深刻な不況に突き落とすことになる。
 我が国経済は、第一次世界大戦で大きく発展したものの、その後、大正12年の関東大震災で国民総生産の3分の1にも相当する甚大な損害を被り、旧平価に見合う経済力を失っていたのである。
 そして、そのような旧平価での金本位制復帰による不況に追い打ちをかけたのが世界恐慌であった。
 その不況を、金の輸出を再禁止(昭和6年12月)して為替レートを実力相応に引き下げるとともに、明治21年に定められていた保証発行屈伸制限制度の管理通貨機能をフルに活用して克服したのが高橋是清であった。
 金本位制からの再離脱は、正貨の流出を防ぐための景気抑制策を不要とし、高橋財政と言えばすぐに思い浮かぶ思い切った積極財政で大幅な金利引き下げを可能にした。・・・
 高橋財政の実態は井上蔵相が極度に抑制していた歳出規模を・・・抑制以前の水準に戻したものであった。
 高橋蔵相は、我が国経済がその後順調な発展経路をたどるようになると、歳出の伸びを押さえて基本的に前年同以下(軍事費以外はマイナス)としたため、当時は「健全財政の時代」と呼ばれていた。・・・
 保証発行屈伸制限制度の活用によって通貨の保証発行限度額が、それまでの1億2000万円から10億円へと大幅に引き上げられたが、それはデフレ脱却の必要条件を整えるものであった。
 ちなみに、当時の状況は、無理なレートによる金解禁によって大量の金が国外に流出した結果、正貨準備発行だけでは通貨発行量は大幅に縮小せざるを得ず、デフレを更に深刻化させかねない状態だったのである。・・・
 <すなわち、>国内正貨は、昭和5年末の約8憶3700万円が昭和7年末には約4億2600万円と半減していた。
⇒ここまでの記述に一切典拠が付されていないのは、まことに困ったものですが、首肯はできる内容ではあると思います。
 しかし、以下の、井上の擁護と関東軍批判は、(後者については既に累次指摘したところですが、)松元の、「身内」たる日本の財政金融マフィアへの条件反射的忠誠表明、と、吉田ドクトリン下で刷り込まれた帝国陸軍悪漢観の無批判的吐露、に過ぎない、と言うべきでしょう。(太田)
 
 そのような金の流出を招いた井上の金解禁は、関東軍による「円元パー」政策と同様に経済的な敗北をもたらしたものだったと言えよう。
 ただし、井上の場合は、国内でのデフレ政策が目論見どおりに行われていれば金の流出は起こらなかったはずであり、理論上は経済合理的なものであった。・・・
 <とまれ、上記>のような高橋の思い切った措置によって、我が国は井上デフレから脱却したのであった。」(225~226、234~235)
 
(続く)
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–私の現在の事情(続x83)–
 何か月も懸案になっていたところの、オシャカになったアイスクリームメーカーの買い替えをついに行った話をします。
 買ってある生クリーム群の賞味期限がそろそろ気になってきたので、ネットで調べた上で、今度買うのは米国のクイジナート(Cuisinart)のICE-30にしよう、と決意したのですが、ヨドバシカメラの通販では、この製品の取り扱いを止めており、8月2日、やむなくアマゾンで発注しました。
 アマゾンの福岡県の倉庫から出発して東京の拙宅に届いたのは、3日後の5日の午後でした。
 すぐに梱包を解き、冷媒入りの筒を冷蔵庫の冷凍室に入れ、翌日(6日)の夜、久しぶりにバニラ・アイスクリームを作り、うまくできたので、さっそく試食しました。
 先ほどの夕食の際も、デザートとして食した次第です。
 で、オシャカになった、A:貝印のDL-0272、と、B:今回の製品、とを比べた感想を記しましょう。
 見た目や性能は、一言で言えば、ゼロ戦とグラマン・ヘルキャット(注)の違い、といったところでしょうか。
 (注)ゼロ戦と比較して、「強力な<発動機>、未熟な<操作員>でも扱いやすい操<作>性と非常に頑丈な<構造>」を持っていた。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1412652364
 Bは、作ることができるアイスクリーム類の分量も1.5倍で、冷媒入りの円筒の大きさが1.5倍なのですが、そこに材料を入れて攪拌するのは共通ながら、Aが攪拌用パドルを回転させる方式であるのに対し、Bは円筒を回して材料を回し、それを製品の天井部分(蓋)に取り付ける固定「パドル」で攪拌する方式であることから、モーターも巨大、製品そのものも巨大なのですからね。
 モーター部分が材料で濡れることがない点一つとっても、故障する可能性はAよりもBの方が直感的に小さいと感じました。
 もっとも、Bは並行輸入品ですから、日本国内に代理店は存在せず、たとえ故障したとしても、直しようがありませんが・・。
 (ちなみに、Aは1年保証、Bは3年保証ですが、Bの保証対象は、米加両国内で購入されたものだけです。)
 もう一つ、面白かったのは、附属レシピの違いです。
 こちらは、焙煎コーヒーとアメリカンの違い、といったところでしょうか。
 AもBもレシピの一番目に掲げられているのはバニラ・アイスクリームなのですが、Aの方は、生クリーム+卵黄+砂糖+バニラエッセンス(生クリーム1パックあたり2~3滴)+ホワイトキュラソー、なのに対し、Bの方は、牛乳+グラニュー糖+生クリーム+バニラエッセンス(生クリーム3パックあたり、小匙1杯)、となっており、丸っきり違っていました。
 私は、お気に入りだった、Aの方のレシピで生クリーム3パックを使って、今回、バニラ・アイスクリームを作ったのですが、Bのレシピを見て、スタンフォード大学留学時代に寮食につきものだった食べ放題のバニラ・アイスクリームがこれだったな、と懐かしい思いがしました。
 (もちろん、アメリカンも飲み放題でした。というか、ステーキを除き、全てが食べ放題・飲み放題でした。)
 ずっと以前にコラムで書いたように、私は、スープ皿に山盛りこのアイスクリームをよそって食べたものですが、まさに、コーヒーのアメリカンがそうであるように、アイスクリームも清涼飲料水に近い、(甘味と香りはともかく)淡泊な味付け・口触りで提供されており、どちらも大量に喉から腹に流し込む感覚の代物なんですね。
 (Bが、どうして、普通の砂糖ではなく、グラニュー糖を指定しているのか、ちょっと気になりましたが・・。)
 
 最後に蛇足を2点。
 1点目:Bはさすがに100V(110V?)対応にはなっているようですが、コンセントの差し込み部の片方がもう片方よりやや長い仕様であり、幸い、OA対応のコードがあったので事なきを得ました。
 2点目:Bのレシピには、凝ったアイスクリーム/ジェラート・・ちなみに、フローズンヨーグルトやシャーベットも作ることができる・・の材料も記されており、バニラ・ビーンズが指定されていたので、今度バニラ・アイスクリームを作る時は、ビーンズを買ってきて使ってみるつもりです。