太田述正コラム#8633(2016.9.26)
<2016.9.24東京オフ会次第(続々)>(2017.1.10公開)
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[日本で市場や選挙が欧米的な意味では機能していない理由]
一、私の見解
 前回ご披露した、オフ会時の質疑応答(続)の中で出てきた表記については、日本には、江戸時代に、既に市場や選挙があったからこそ、その伝統を引き継いでいるから、というのが私見。
 以下、簡単に、もう少し具体的な説明をしておきたい。
二、江戸時代の市場
 (一)生鮮食料品と米市場だけが機能
 「江戸時代5市場・・・江戸に日本橋魚市場・神田青物市場、大坂に雑喉場魚市場・天満青物市場・堂島米市場・・・」
http://blog.goo.ne.jp/thropus2/e/92ec5ed36bb143ffa2ea2a84cf50b3b9
 但し、堂島米市場には(世界初の先物市場を含む)金融市場が「併設」されていた。
http://diamond.jp/articles/-/82261
 (二)土木・建設工事市場は機能せず
 そもそも、江戸時代における土木・建設工事の本来の姿は「天下普請」であり↓、各藩における土木・建設工事も基本的に相対取引の世界であったと思われる。
 「天下人が諸大名に命じて土木・建設工事をさせるのを「天下普請」と言う。これは戦時の軍役と同じ扱いで、必要な資金・人員のいっさいを大名の石高に応じて供出させ、工事・役務を行わせるものだった。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=211325
 もっとも、市場、すなわち、入札による土木・建設工事も、幕府において行われていた時期があるらしい。↓
 「<新井白石の>『折たく柴の記』には、「札にしるし封してまゐらす。これを入札といふ也。」「その金額を用ふる所の最少なるものを、落札と名づけて、その落札入れし者に作らしむ。」とあって、18世紀の初頭には既に入札の制度が整っていたようだ。
 保証金制度とか、実行出来ない工事を落札した場合の罰則なども既にあり、基本的な部分では現代とほとんど変わらないような入札制度が出来ていたのである。」
http://plaza.rakuten.co.jp/otakurounin/diary/200904180000/
 しかし、どうやら、それは、事実上、官製談合制度だったらしい。
 白石は、その問題点を下掲のように指摘し、廃止した、と考えられる。↓
 「競争入札による請負工事が、幕府発注の土木・建築工事のありふれたやり方だった。一見すると合理的で公平に見える競争入札だが、担当役人と業者の贈収賄が横行して政治問題化した。入札による受注を目ざして業者は事業を担当する役人との接触をはかり、ワイロを送って有利な立場に立とうとし、幕府役人は収賄により私腹を肥やす。
 あらゆることが競争入札によって行われたのは奉行が賄賂を手にしたいためだった。競争入札による工事を担当した奉行で、1000両を懐にしない者はいない。その結果、100両もかからない工事が、1万両もかかってしまい、それこそ幕府財政が元禄期に破綻した理由である。新井白石は、<上出の>『折りたく紫の記』でこのように論じた。」
http://www.fben.jp/bookcolumn/2013/01/post_3499.html
 で、結論的には、表現の仕方にいささかひっかかるが、下掲の通りだと言ってよいのだろう。↓
 「江戸時代は、資産は将軍家のものであったり大名家のものであったりと、基本的には「私的な資産」でした。資産の使い道は「家父長の意思次第」なので、調達も公平に行われる必要はありませんでした。特定の業者を「御用商人」としてひいきしてよかったのです。」
http://www.njss.info/tatsujin/archives/641
 ところが、明治維新後、全球的標準に合わせなければということで、入札制度が復活されたところ、上記の歴史的経験もあり、それは、即、官製談合制度の復活となり、現在に至っている。↓
 「明治33年から指名競争入札が行われた時代が長く続き、平成5年のゼネコン汚職、平行して行われた日米構造協議と世界貿易機関(WTO)への加盟などを経て一般競争入札が導入されるようになりました。誰もが参加できる一般競争入札が広がる一方、品質確保が課題となり、総合評価落札方式を取り入れて対応しようとしてきましたが、建設市場がピーク時の半分に減った状況の中で競争が激化し、ダンピング受注が頻発する事態となっています」
http://www.shinko-web.jp/recall/000345.html
 そうなってしまう根本的原因だが、プロト日本型政治経済体制であれ日本型政治経済体制であれ、官と土木・建築業界団体ないし有力土木・建築業者の間にはもちろん、土木・建築業者間にも人間主義的な人的関係が少なくとも部分的には構築されていて、発注者に係る情報を含む、業界関連情報が自ずからある程度業者同士で共有されているからだ。
 つまり、プロト日本型政治経済体制下の江戸時代同様、現在の日本型政治経済体制下においても、市場が機能しうるのは、生鮮食料品と(明治維新後導入された株式等を含む)金融商品に関してだけだ、と思えばよさそうだ。
 よって、土木・建設工事の入札制度は廃止し、情報公開度を高め、官による業者との土木・建築請負契約締結に係る犯罪への罰則強化を図った上で、広義の相対取引だけとすべきであると考える次第だが、全球的標準との著しい乖離となることから、実現するのは容易ではないだろう。
三、江戸時代の選挙
 「日本の民主主義の源も江戸時代」シリーズ(コラム#1607~)を参照して欲しいが、当時の選挙(入札=いれふだ)による村役人の選挙は、単に指導者としてふさわしい人物の選択のためであって、「価値観ないし世界観ないし政策体系の選択」のためでは全くなかったのであり、明治維新以降、やがて、選挙が中央政治家の選出のあたっても行われることとなっても、この歴史的経験もあり、ついに、それは人物の選択のため以外のものにはならないまま現在に至っている、と私は見ている。
 日本で戦前の1940年に大政翼賛会が成立した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%94%BF%E7%BF%BC%E8%B3%9B%E4%BC%9A
のは、「価値観ないし世界観ないし政策体系」を提示して、そ「の選択」を競い合うという、欧米型の政党、というか、全球的標準たる政党、を、日本の当時のコンセンサスに基づいて廃止した、ということであり、この大政翼賛会は、形の上では終戦直前に解散した(上掲)ものの、実質的には、その後も、(吉田ドクトリンなるコンセンサスの下においてだが、)大政翼賛会的な政治制度が続いている、というのが私見であることはご存じであろうところ、その淵源は、やはり、江戸時代に求められる、と言うべきだろう。
四、付言
 日本型政治経済体制下においては、組織・・全球的標準では私の言う固い組織・・は、外資系の企業の一部等を除いて基本的に存在しない、というか、存在しえないわけだが、軍隊だけは、基本的に固い組織でなければならないところ、現在の日本でのその実現、すなわち、自衛隊の固い組織化、もまた、吉田ドクトリンの呪縛の下に余りにも長い年月が経過してしまっていることから、容易なことではなかろう。
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