太田述正コラム#8858(2017.1.17)
<皆さんとディスカッション(続x3225)>
<太田>(ツイッターより)
 「トランプ氏「不支持」51%…異例の不人気…」
http://news.livedoor.com/article/detail/12546339/
 「【社説】韓国外交、「親日」「売国」批判だけでうまくやれるのか…」
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2017/01/16/2017011600813.html
 コラムに載せ忘れた!前者は44%の支持に驚愕狂喜。
 後者は天晴社説。
<太田>
 関連記事だ。
 トランプ、ふんばれー。↓
 「キング牧師の息子、トランプ氏と面会 「米国を一つに」・・・」
http://www.asahi.com/articles/ASK1K23S9K1KUHBI004.html?iref=comtop_8_01
<Kn8ERFck>
≫スパゲッティは大好きだし、うどん、蕎麦も好きなんだけどね。 ・・・焼きそばも、担担麺もジャージャー麺も好きだった。≪(コラム#8856。太田)
 坦坦麺は数百回食べ歩いた。
 池袋の楊の汁なし担担麺を是非ご賞味あれ。
 太田さんの寿命を縮めてしまうかもしれないけど、他では味わえないものだから。
 楊のを食べずに担担麺は語れませせんよ。
<太田>
 これ、ラーメンだけど、どーかしら?↓
 「辛めで食べる「一風堂 恵比寿店」のからか麺・・・」
http://www.asahi.com/and_M/articles/SDI2017011368151.html?iref=comtop_fbox_u08
<太田>(ツイッターより)
 リトアニアは、一昨年、徴兵制を再導入したが、今度は露国境に壁建設を決定し、ラトヴィア、エストニアも壁予定。
 米軍がポーランド初駐留開始、バルト3国にも予定。
http://www.bbc.com/news/world-europe-38635737
 当然のことだ。
 米軍の駐留はトランプが撤回して独仏等に肩代わりさせるべきだが…。
<8.d3RAeM>(「たった一人の反乱(避難所)」より)
 太田さん的には”調査結果こそシロと出たものの、真実は三浦のクロ確定”という結論を出しておられるみたいなので、すでに興味を失っている件かもしれませんが、1月16日連盟発表の新情報として、第三者調査委員会による詳細な調査報告が掲載されたのでいちおうリンクを貼っておきます。↓
 第三者調査委員会からの結果報告書の開示(谷川会長名義あいさつ)
https://www.shogi.or.jp/news/2017/01/post_1496.html
 調査報告書
https://www.shogi.or.jp/news/investigative_report_1.pdf(43pp.)
 それと、太田さんの認識では、「・・弁護士に相談した形跡すらない、・・が究明されるべきだ、」太田述正コラム#8818(2016.12.28)という疑問を述べておられましたが、 調査報告書によれば、10月10日に島常務理事からソフト指し疑惑が掛かっている事実を初めて三浦九段に告げ、翌日の10月11日に理事数名+渡辺竜王+千田五段による三浦九段への聞き取り会が行われたあとに、三浦九段は弁護士の意見を聞いていったん提出を了承したスマホの提出をとりやめ、翌12日には休場届けは出さないという電話が三浦九段弁護士から連盟へあった旨が説明されていますので、この件に関しての三浦九段は初期の段階から弁護士に相談して弁護士のいいなりに行動しているのではないかと思うのですが。
⇒三浦九段は、「聞き取り会」には、当然、弁護士と一緒に出席するか、弁護士とその場で電話連絡が取れる形で出席すべきであり、そういう態勢が取れないのなら、この会の期日変更を求めるべきだった、ということ。
 なお、その弁護士が、本当に、「いったん提出を了承したスマホの提出をとりやめ」させたのだとすれば、それは、疑惑を深めることになった、愚行以外の何物でもなく、よほどのヘボ弁護士だと言うべきだろう。
 ということは、その時点では弁護士などおらず、方針転換したのは三浦九段自身であり、スマホを調べられると困る・・例えば、全く疑惑とは関係のない、機微なプライバシーに関する情報がスマホに含まれている・・ことを思い出したからではなかろうか。(太田)
<wFNIs0t.>(同上)
 その弁護士はいてもいなくても同じとしか言いようのない対応なのよ。
 シロならば、超強気の対応が取れるはずで、マスコミも含む名誉棄損や竜王戦欠席に伴う経済損失も最初から要求しておけばよかった。
<5PQM7YQY>(同上)
 <太田さんの問いかけだけど、>三島由紀夫は、武士にしかできない「切腹」をすることで、武士になろうとした。ってこと?
 「目的は手段を正当化する」っていうのは、法華経の教えでもあるよね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E8%8F%AF%E4%B8%83%E5%96%A9
 三車火宅(さんしゃかたく、譬喩品)
 ある時、長者の邸宅が火事になった。中にいた子供たちは遊びに夢中で火事に気づかず、 長者が説得するも外に出ようとしなかった。そこで長者は子供たちが欲しがっていた「羊の車(ようしゃ)と鹿の車(ろくしゃ)と牛車(ごしゃ)の三車が門の外にあるぞ」といって、子供たちを導き出した。その後にさらに立派な大白牛車(だいびゃくごしゃ)を与えた。
 この物語の長者は仏で、火宅は苦しみの多い三界、子供たちは三界にいる一切の衆生、羊車・鹿車・牛車の三車とは声聞・縁覚・菩薩(三乗)のために説いた方便の教えで、それら人々の機根(仏の教えを理解する素養や能力)を三乗の方便教で調整し、その後に大白牛車である一乗の教えを与えることを表している。
<K.K>
・曾祖父、平岡太吉
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E5%A4%AA%E5%90%89
・祖父、平岡定太郎
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E5%AE%9A%E5%A4%AA%E9%83%8E
・祖母、平岡なつ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E3%81%AA%E3%81%A4
⇒祖母に注目したのは拍手ですね。(太田)
・父、平岡梓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E6%A2%93
・母、平岡倭文重
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E5%B2%A1%E5%80%AD%E6%96%87%E9%87%8D
⇒母に注目したのも同様。(太田)
・平岡公威(三島由紀夫)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%B3%B6%E7%94%B1%E7%B4%80%E5%A4%AB
 (以下、弥生(人)/縄文(人)という言葉を、大田コラムの厳密な意味で用いているわけではないことは理解してください。)
 下記の産経の記事を読み返してみたのですが(読売の記事は読んでいません)、
http://www.sankei.com/life/news/170112/lif1701120033-n1.html
 大田コラムの読み過ぎなのか、私にはやはり平岡公威(三島由紀夫)には何かを統制したいという欲求、言い換えれば弥生人でありたいという欲求、があったという風に読めます。
 ただし、統制そのものが目的になってしまい、何を統制すべきなのかという思考が欠けている印象があります。
⇒一貫して、あなたの「統制」論は飲み込みにくいです。(太田)
 平岡公威(三島由紀夫)の曽祖父、祖父、父のwikiを一読した私の”印象”ですが、”世間的には”、曽祖父はその息子よりは縄文的→祖父はその父とその息子よりは弥生的→父はその父よりは縄文的、という印象です。
 つまり、祖父の代に一応弥生化したけれど早くも1代で縄文化の傾向が現れた家系かなという印象です。
⇒ここは慧眼だと思います。(太田)
 平岡公威(三島由紀夫)の生い立ちで誰でも気づく異常な点は、母・倭文重が健全であるにもかかわらず、中学入学直後まで祖母・なつの下で育てられている点です。
 しかも、祖母・なつは、平岡公威(三島由紀夫)を異常なまでの”統制下”に置いています。母・倭文重が健全であった以上、誰かが”適切な”統制者(弥生人)であったならば、その資格があったのは祖父・定太郎か父・梓なわけですが、平岡公威(三島由紀夫)は母の下で養育されていたはずです。
 平岡公威(三島由紀夫)が縄文人らしい縄文人であることが許される環境下にあったのであれば、異常な統制からは開放されさえすれば良い、ということだったのでしょうが、時代や家系からそれは出来なかったのではないかと思います。
 このあたりが平岡公威(三島由紀夫)の”統制へのこだわり”の下地になっているように思います。
⇒ここもなるほどと思いますね。(以下の私のコメントには反映していませんが。)(太田)
 平岡公威(三島由紀夫)の母への思いは、「若いころの母は大へん美人であつた。(中略)母親は、私にとつて、こつそり逢引きする相手のやうなもの、ひそかな、人知れぬ恋人のやうなものであつた。
 母には、姑との間の苦労や、子供を姑に独占された悲しみや、いろいろな悩みはあつたらしいが、子供の私には、さういふ悩みは見えなかつた。
 そして、たまにこつそりと母に連れられて出る日が、私の幼時の記憶の中で、まるで逢引きの日のやうに美しく美しく残つてゐた」(母wiki)なのですが、中学入学後、平岡公威(三島由紀夫)は父母の下で養育されるようになっており、母・倭文重は平岡公威(三島由紀夫)より長生きしていますので、失われた母の面影を求めて・・・、というありがちなパターンではないだろうと思います。
 次に、平岡公威(三島由紀夫)が学習院初等科に入学していることに注目してください。
 祖父・定太郎は農民の息子、祖母・なつは幕臣の娘ですから、家庭内の力関係は恐らく「妻>夫」であり、祖母・なつは明治以降の価値(軍人・官僚)に重きを置かない公家(華族)気取りでありであったと思います。
⇒ここはおかしい。華族≒士族=軍人・官僚、だからです。(太田)
 そして、学習院初等科への入学は祖母・なつの意向によるものです。
 恐らく祖母・なつは平岡公威(三島由紀夫)を華族のように養育していたのでしょうが、学習院初等科に入学して、平岡公威(三島由紀夫)は本物の華族に取り囲まれることになり、自分は本物の華族ではないし本物の華族にはなれないということに気づいたはずです。
 学習院も当時質実剛健(今でも?)で肉体的コンプレックスを抱きやすかったかもしれませんが、本物の華族ではないし本物の華族にはなれないことの方が平岡公威(三島由紀夫)に与えた影響は大きかったのではないでしょうか。
⇒前述したことから、この二つのコンプレックスはほぼ同じものです。(太田)
 その学習院初等科で、平岡公威(三島由紀夫)は詩を書き教師や級友から賞賛を受けます。
 そして、平岡公威(三島由紀夫)の文学の才能は、儒学者の家系の出の母・倭文重の影響もあると思いますが、祖母・なつの養育によるところが大きかったわけです。
 ここで矛盾が生じます。
 「詩を書けば級友等の賞賛を受けられ華族ではないというコンプレックスからは開放されるが、詩を書くことは祖母・なつの影響下に留まることであって、それは華族を気取らなければならないことを意味する」という矛盾です。
 ここは上手く説明できないのですが、上記の矛盾を解決したいという思いから、後年、文学を統制したいという思いが生まれたのではないかと思います。
⇒やはり、前述したことから、この点での矛盾はありえません。(後述するところも参照。)(太田)
 また、平岡公威(三島由紀夫)に取って、「文学=祖母」もしくは「文学=祖母+母」であったと仮定すると、「文学を統制」することは、母の下に帰れることを意味します。
 ここまでで、平岡公威(三島由紀夫)の中に統制への憧憬が生じる下地とその憧憬が文学と結びつく下地があったことを、何となくではありますが説明出来ていると思うのですが。
 中学入学後、祖父・定太郎が祖母・なつを説得してくれた結果(弥生人のようなまともな統制を行ってくれた結果)、平岡公威(三島由紀夫)は父母の下で生活することになります。
 中学以降の出来事は、統制への憧憬が文学その他のものと結びついていく過程と結びついた結果の狂躁劇だろうと思います。
 例えば、統制への憧憬と自己が結びつけば、肉体へのこだわりも生まれるといった次第です。
 では、なぜ統制への憧憬が次々と他のものと結びついていったのか、上手く説明できませんが、父・平岡梓との関係を弥生化できなかったからだろうと思います。
 父・梓は、公威(三島由紀夫)が幼いころ、男の子らしいおもちゃを買ってきてくれたり、相撲をとってくれたりしています。
 ですから、幼い頃の父のイメージは弥生人ぽかったのではないかと思います(←あくまで、祖母・なつの異常な統制下から見てです)。
 一方、中学以降は、息子が徴兵検査に落ちやすいように取り計らったり、徴兵を最終的に回避出来たことを喜んだりしています。
 ですから、中学以降のイメージは縄文人っぽく写ったのではないかと思います。
 尚、父・平岡梓と平岡公威(三島由紀夫)は成人してからも同居を続けています。
 産経の記事内に、「僕は、ショーウインドーで見た空気銃が欲しいね、欲しいねって友達と話していた。それが何十年かたって、どうしても鉄砲が欲しくなったのと同じでしょうか。あっはははははは。かかかかか」とありますが、これは幼いときに弥生人っぽく写った父の姿を追い求めているという風に私には読めます。
⇒このくだり、単純に、公威の弥生化願望成就へ向けての紆余曲折、と捉えたらいかが?(太田)
 太宰治の「斜陽」を思い出してください。旧華族の「かず子」の弟「直治」は、文学に傾倒し、大衆に溶け込もう、縄文人たろうとしますが、縄文人たり得ず、自殺します。 
⇒太宰に関しては、ここでは判断を留保しておきます。(太田)
 平岡公威(三島由紀夫)の死は、この逆、弥生人であろうとしたけれど遂に果たせなかった結果ではないかと言うのが、私の推論です。
⇒この結論は正しい、という直感がします。(太田)
 (平岡公威(三島由紀夫)の場合、統制を目的化しているところがあること、父との関係を弥生化しない限り真の弥生化はないのではないか、ということは既に記した通りです。)
⇒繰り返しますが、「統制」論は飲み込みにくいです。(太田)
<太田>
 日本の文学のバックボーンを形成してきた人々は、(井原西鶴だけははっきりしないが、)ことごとく弥生人系です。↓
 紀貫之:「母が内教坊出身の女子だった・・・内教坊(ないきょうぼう)は日本古代の律令制における令外官である。・・・その職掌は舞踊・音楽の教習である。・・・<貫之の官位は>従五位上・・・木工権頭」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E8%B2%AB%E4%B9%8B
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E6%95%99%E5%9D%8A
 紫式部:「藤原為時・・・官位は正五位下・左少弁・・・の娘・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%AB%E5%BC%8F%E9%83%A8
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%82%BA%E6%99%82
 清少納言:「清原元輔・・・<官位は>従五位上・・・肥後守・・・の娘・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B0%91%E7%B4%8D%E8%A8%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%8E%9F%E5%85%83%E8%BC%94
 鴨長明:「賀茂御祖神社<(下賀茂神社)>の神事を統率する禰宜の・・・次男として・・・生まれた・・・<同神社は、>弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。・・・<長明の官位は>従五位下」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B4%A8%E9%95%B7%E6%98%8E
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE
 井原西鶴:「裕福な町人の出と言われているが推測の域を出ない・・・」 ?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E5%8E%9F%E8%A5%BF%E9%B6%B4
 近松門左衛門:「越前藩・・・武士・・・の次男」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%9D%BE%E9%96%80%E5%B7%A6%E8%A1%9B%E9%96%80
 二葉亭四迷:「父<は>尾張藩士・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%91%89%E4%BA%AD%E5%9B%9B%E8%BF%B7
 森鴎外:「代々津和野藩の典医をつとめ<た>森家・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A3%AE%E9%B4%8E%E5%A4%96
 夏目漱石:「父・直克は江戸の牛込から高田馬場一帯を治めている名主で、公務を取り扱い、大抵の民事訴訟もその玄関先で裁くほどで、かなりの権力を持っていて、生活も豊かだった・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%8F%E7%9B%AE%E6%BC%B1%E7%9F%B3
 芥川龍之介:「旧家の士族芥川家・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%A5%E5%B7%9D%E9%BE%8D%E4%B9%8B%E4%BB%8B
 川端康成:「医師の父・川端栄吉・・・と、母・ゲン・・・の長男として誕生・・・川端家は、豪族や資産家として村に君臨していた旧家で代々、・・・庄屋で大地主・・・ゲンの実家・黒田家<も>、・・・代々、・・・素封家(資産家)で、広壮な家を構える大地主であった・・・」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%9D%E7%AB%AF%E5%BA%B7%E6%88%90
 で、このことを、あなたの結論と組み合わせれば、三島由紀夫は、官僚にはなったけれど、それだけじゃ不十分であるところ、軍人になるようなご時世じゃないので、大文学者になって、平岡家の弥生人化、という大願を成就しようとしたところ、文学者として人気こそ出たけれど、自分自身の自作への評価は、過去の日本の大作家達の作品に比べればゴミの山、であり、ついに絶望して自殺した、といった感じですか。
 とまあ、ここで終わればよかったのですが、止めときゃいいのに、大江健三郎にまで手を出しちゃってイタタタ。
 彼の作品は全く読んだことがありませんが、彼のことを調べたところ、なんとなく、(前から知ってる彼の思想傾向といい、)彼、縄文人系から、史上初めて出現した日本の大作家って感じを受けましたね。↓
 大江健三郎:「父上の代は和紙の原料であるコウゾの問屋で大きな商いを<していた。>・・・」(←この話は他の典拠群には登場しない。(太田))
http://nakanishishigeru-art.at.webry.info/201008/article_11.html
 「大江氏によると「文学への啓蒙を開いてくれた最初の師は、中国文学に深く傾倒していた母でした・・・<19>30年代初期、母は父と共に中国を訪れています。2人はまず上海に行き、そこで魯迅が創刊した『訳文』を買いました。これは、外国文学作品の翻訳紹介、および批評専門の文学雑誌で、それから長い間、母の愛読誌の一つになりました。1936年、母は新聞で中国の著名な作家、郁達夫が東京を訪問するというニュースを知り、一歳を過ぎたばかりの私を夫と姑に預け、一人、東京に二週間でかけ、彼の講演を聞いたのです」
 中国文学を愛した母によって、大江氏は幼い時からその薫陶を受けた。・・・少年時代の大江氏は、魯迅や郁達夫など中国の作家の作品群から、直感的に文学の美を味わい、理解した。・・・
 家庭は豊かではなく、七人の子供のなかで、大学に行かせることができるのはただ一人、という条件のもと、母は、大作家になると信じた息子を選び、東京で学問をさせることにした。」
http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/teji/200104/tj200104-1.htm
 ひょっとしたら、三島は、大江のような気鋭の作家の日本における初めての出現に衝撃を受け、自分が大作家を目指すのであれば、自分、というか平岡家は本来縄文人系なのだから、無理せず大江の路線を選択すべきであったところ、それは、平岡家の弥生化を達成する、という自分の大願そのものの全面否定を意味することから、進退窮まって自殺したのかも・・なーんてね。
 皆さん、どー思われます?
<MH>
 太田さん、先日のオフ会はお疲れ様でした。
 もっと話がしたかったのですが、また次回にでも。
 さて雑誌エコノミスト誌 2016年10/4号「人口で見る世界経済」の表題ページをPDFスキャンで送ります。<(省略(太田)>
 P27~31の「デフレの正体」本で脚光を浴びた(リフレ派からは物凄い批判を受けた)藻谷浩介(もたに こうすけ)氏のレポートが出色。
 P28:「特に日本と似た動きをしているのが中国だ。日本と同様に2つのピーク世代があり日本におよそ20年遅れて、同じような道をたどっている。1990年の日本と、2015年の中国を比較すると、このことがよく分かるだろう」
※確かに年齢別人口分布が全く同じ!
 P31:(日本は)この20年で生産者労働人口が12%減少したのに、実質GDPは2~3%成長している。生産年齢人口一人あたりで、15~20%成長した計算だ。
※ウソ!と思ったが、確かにP30のグラフではそうなっている。
 「イノベーションを技術革新と訳し、それをさらに「製造技術革新」と限定解釈して、ハイテクを磨くことで何とかなると考えるのはとんでもない勘違いである。これからのイノベーションは感性と文化力の勝負なのだ。」
 ↑藻谷さんは太田さんの意見に近いですな。
 案外楽観主義ですね。
 P32は中国の人口ボーナスが終焉したので、過去の高成長(10%以上)は期待出来ないとういう話。
 これは藻谷さんも書いてますね。
 ただ中国は日本と違い、資源国でもあるので、石油・天然ガスは必要量の半分は自給可能であるし、食料自給率も95%(日本は生産額で66%、カロリーベースで39%)
http://www.china.com.cn/economic/txt/2009-03/12/content_17429020.htm
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/attach/pdf/012-1.pdf
ありますので、状況は全く異なります。
 経済評論家が中国経済予想をよく外すのは、多分これを念頭に入れてないからです。
 P33のアジア諸国は日本、韓国、台湾と異なり、一人当たりGDPが1万ドルを超える前に人口ボーナス期を逃したので今後成長は期待できないだろう(特に中国、タイ、ベトナム)というレポート。
 これも現地を見てると、違うだろう(要はまだ伸びしろは充分あるということ)と思いますけれどもね。
 単に人口ボーナス期<だけ>見るとそうかもしれませんが、ASEAN諸国は極東の日本と違い領域内のアクセスが非常に容易であり(飛行機でシンガポールからバンコクまで2時間半、バンコク~クワランプールも同様)、日本でいうと東京~大阪~札幌~福岡よりトランジットを除く実質移動時間の感覚が短いので、ビジネスメリットは非常に大きいですし、IT化も日本よりも進んでいるので(スマホとフリーwifiの普及率は日本よりも上)、成長はまだまだするでしょう。
 以下の典拠は2013年ですが、5年前の2012年のバンコクとクワラルンプールで、実感として今の東京並み(スマホ普及率64%)かそれ以上でした。
https://e27.co/can-you-imagine-a-life-without-smartphones-20140903/
http://www.soumu.go.jp/johotsusintokei/whitepaper/ja/h27/html/nc372110.html
 以上、コラムの参考にしてください。
<太田>
 情報提供、サンキュー。
 それでは、その他の記事の紹介です。
 逃げまくる安倍チャン。↓
 「安倍首相会見、憲法改正「具体的な姿が現れてくることを期待」・・・」
http://www.sankei.com/politics/news/170117/plt1701170010-n1.html
 相対的貧困はどの先進国にもあるけどね。↓
 Japan’s rising child poverty exposes true cost of two decades of economic decline・・・
https://www.theguardian.com/world/2017/jan/17/japans-rising-child-poverty-exposes-truth-behind-two-decades-of-economic-decline
 縄文的文学者2人のガールズトークやね。
 三島なら、なんて言うかな。↓
 「綿矢りささんと金原ひとみさん対談 ダブル受賞13年・・・」
http://digital.asahi.com/articles/ASK1B6R37K1BUCVL026.html?rm=435
 中共官民の日本礼賛(日本文明総体継受)記事群だ。↓
 <的確に(中共官民が継受すべき)日本文明の「核心」を捉えている。↓>
 「・・・網易がこのほど掲載した記事は、資源に乏しい日本が大きな経済発展を遂げることができたのは、「拿来主義」によると説明しており、中国も日本の拿来主義に見倣うべきだと提言している。
 拿来(ナーライ)主義とは魯迅が創り出した言葉であり、外国文化を頑として拒むのではなく、むしろ積極的にそれを取り入れ、その文化のある面を使用してみてもし良ければ使用し続けるし、もし役に立たないのであれば捨てるという考え方だ。自国の発展に役立つのであればそれを積極的に利用するという実用性を重視する考え方だと言える。
 記事は、「日本語」にはまさに日本人の拿来主義が反映されていると説明。中国の文字である漢字は日本にとって外国語であり、日本の一般の人にとって漢字を習得するのは至難の業であったため、漢字の一部を元にしてより表記が簡単なカタカナが生み出されたと指摘した。
 また、日本は明治維新の時期に西洋文明を吸収するために英語を学んだが、その英語をカタカナ表記を用いて日本語に溶け込ませたと説明。さらに、言語はその国の文化の「キャリアー」であり「核心」でもあると説明、日本の高度な発達と拿来主義により生まれた日本語は切っても切れない関係にあるという見方を示した。
 記事は、日本の歴史に保守的な時期は確かに存在したが、日本人は国の一大事の時期には開放的な態度を示し、拿来主義によって世界最先端の文化を学び、急激な発展を成し遂げたと絶賛した。」
http://news.searchina.net/id/1627235?page=1
 <定番的だが、日本の社会を称賛。↓>
 「・・・ 中国のネット上では、「日本人の民度は中国人を圧倒的に上回っている」など、日本人の民度の高さを紹介する記事が非常に多い。・・・
 中国メディアの快報は・・・この「うわさ」の真偽を確かめるべく、北海道旅行の際に意識して日本人を観察してみたという中国人の文章を掲載した。
 記事は、中国人の手記として「交通機関の代表ともいえる地下鉄」で、日本人の民度について観察してみたと紹介。まず筆者が注目したのは地下鉄に乗車するときの様子だ。写真を掲載しているが、降りる人のために真ん中を開けておき、両側に並ぶよう線が明示され、乗客が礼儀正しく並んで待っている様子が写っている。
 車両が到着すると、まず降りる人を優先し、乗客は順に乗車するが、席を競って急ぐことはない。日本ではごく普通の光景だが、我先にと乗車し、座席の確保に努める人が多い中国からすると驚きのようだ。
 次いで記事は、日本人が地下鉄の車内でよくすると言われる3つのことに言及。それは、「居眠り、読書、携帯電話をいじること」だ。筆者は、3つとも目にしたが、とりわけスマートフォンをいじっている人が多かったことを伝えた。また、地下鉄の車内が「静か」なのも事実で、話している人はおらず、スマホはマナーモードにして、電話をする人はいないと驚いた様子だ。これは車内でも他人のことはお構いなく、大声で電話をする人が多い中国とは大きく異なる点だろう。
 最後に、日本では「エスカレーターで誰もが左側に寄る」習慣を紹介した。東京などでも、急いでいる人のために右側を開けておくのが慣習になっているが、自分のことしか考えない人が多い中国では、片側が空いていることはあまりない。」
http://news.searchina.net/id/1627181?page=1
 <日本の高齢者への優しさを称賛。↓>
 「・・・今日頭条はこのほど、日本は中国に比べて高齢者が幸福に生活することが可能な「養老天国」だと伝えた。
 記事は、中国の高齢者に対する福祉は整備されつつあると伝える一方、この点で日本は中国を圧倒的に上回っていると指摘。中国には高齢者が楽しめる街や娯楽場は少ないと指摘。日本人は高齢者向けのショッピング街を造り出しているだけでなく、高齢者の生活のために行き届いたサービスを提供していると称賛した。
 この事例の1つとして記事は、東京の「巣鴨地蔵通商店街」を紹介。この長さ800メートルほどの商店街には毎年800万人の高齢者が訪れると説明、通りの両側には高齢者用の服飾店、生活用品店、健康器具販売店、薬局、化粧品店、食べ物屋、カラオケ店などが並んでいると紹介。「ここには高齢者が好きなもの全てが揃っている」と絶賛。また、若者たちもこの街で両親への贈り物を探すことができると称賛した。
 さらに、日本には高齢者のために設計された「神器」が存在すると紹介。神器の例として「携帯入れ歯洗浄器」、「介護用おはし」、LEDライト付ルーペが付属した「ユニバーサル爪切り」、「QRコード付き爪シール」、「携帯救命バッグ」などを挙げ、これらの神器はすべて「高齢者の生活の質を向上させ、より便利に、より生活の幸福感を向上させるためのものである」と指摘した。
 記事は、高齢者に対する日本社会の配慮を絶賛しており、高齢の両親や知り合いがいる中国の読者に対して、巣鴨を訪れ、こうした神器をお土産としてプレゼントすればきっと喜ばれるに違いないと説明している。」
http://news.searchina.net/id/1627273?page=1
 <日本へ行けキャンペーンの一環。↓>
 「・・・今日頭条は、「中国人が日本旅行する際、90%は必ず行く場所」とする記事を掲載した。数ある観光地のなかで、ほとんどの中国人観光客が1度は訪れたことがあるとされた場所は、東京の上野だ。
 記事は、外国人観光客に人気のスポットである上野には「日本初の公園」である上野恩賜公園のほか、周囲には多くの商店街も存在すると紹介。上野にやってきた観光客が最初に行く場所は「アメ横」として有名なアメヤ横丁であるとし、戦後徐々に商業エリアが形成された同横丁は、今や東京の中でも有名な観光地の1つになっていると説明した。日本らしい衣服や靴が売られているほか、付近にはドラッグストアもあるとしている。
 また、ショッピングに興味がない人には商店街付近にある徳大寺へ行くことを勧めている。地震や第2次世界大戦でも損壊しなかったという徳大寺について記事は「小さいものの、景色は壮観である」とし、カメラ愛好者にとって良い撮影スポットになっていることを紹介した。
 記事はさらに、上野には居酒屋や飲食店も充実しており「非常に濃厚な日本グルメを堪能することができる」と説明。食事に舌鼓を打ち、それから風景を眺めるのは非常に乙なものであり、現地の雰囲気を感じることができるとした。」
http://news.searchina.net/id/1627203?page=1
 <産業面での日中協力の一層の進展を祈念している。↓>
 「・・・今日頭条は・・・日中経済協力の新たな形として「中国がメイド・イン・ジャパンに参加する」、「日本がメイド・イン・チャイナのデザインをする」といった可能性が出てきているとする記事を掲載した。
 記事は、日中の経済関係は必然的に世界的な大局の影響を受けるとしたうえで、両国の経済関係をさらに前進させるには「新たな考え方や形式が必要だ」と説明。その前提として「日中経済は相互補完が依然として主体であり、日中両国企業による競争は決して多くない」ことを確認したうえで、製造業における新たな協力の可能性を論じた。
 まず中国の状況については、世界トップレベルの規模を誇る巨大な工場が出現し、工業で急速な進歩を遂げた一方、「中小企業では依然として技術が不足している」と指摘。一方で、日本には中国の経営者が「これは中国で急速に広まる。中国に来れば大きな成功を収められる」と思う技術が非常に多く存在するものの、日本の中小企業は海外市場開拓能力に欠けるうえ、世論の反中感情というネガティブな要素も抱えているとした。
 そのうえで、静岡県牧之原市が数年前より全国に先駆けて推進している「メイド・イン・ジャパン・バイ・チャイナ」という新たな考え方を紹介。中国企業に日本での生産活動に参加してもらい、製品を中国や他の国に広めてもらう一方で、日本側が持つ技術で中国の経済発展における問題を解決するというものであると説明した。
 さらに、もう1つの概念として「メイド・イン・チャイナ・デザイン・バイ・ジャパン」を提起。中国の企業は製品デザイン、生産管理などで劣っており、日本のデザイン力によって中国製品のリニューアルを促すという協力の形を新たな可能性として示した。
 記事は「国際情勢が動き、多くの地域の経済発展が停滞する中、日中経済関係の発展は両国の正常でない政治関係を改善させることができる」とし、今年は日中双方が努力をする必要があると締めくくっている。」
http://news.searchina.net/id/1627247?page=1
 <日本に軍事・宇宙分野での奮起を促している。↓>
 「・・・科技日報は・・・日本の宇宙航空研究開発機構が15日に行った世界最小クラスのロケットの打ち上げが失敗に終わったことに関連し、「どうしてハイテク大国の日本が宇宙事業で『頼りない』のか」と題した評論記事を掲載した。
 記事は、「ロケット打ち上げが上手く行かないことはよくあるが、ハイテク大国になってからこれほど長い時間が立ち、宇宙素材開発で世界トップレベルにある日本がどうしてこのような惨憺たる結果に終わったのだろうか」と疑問を提起した。そのうえで「日本の軍需工業と民間工業との差について語りたい」とした。記事は、科学技術の発展や最先端の技術はまず優先的に軍事に利用され、軍需工業が一行の工業や科学技術レベルの最高峰を示すと紹介。日本も「国際法上それを隠しているに過ぎ」ず、例外ではないと説明した。
 一方、戦後の日本は米国によって軍需工業の発展が厳しく制限されたとした。そして「それが日本が独立して最新鋭の武器を作れないことを示すものではない。しかし、ロケットや弾道ミサイル、さらには失敗が許されない分野において、研究開発の自由や経験の不足が露呈してしまうのである」と論じている。記事は、日本の軍需工業が抱える問題について「傍観してコッソリ笑っていられる」ものではないと指摘。西側諸国が技術の囲い込みを頻繁に繰り返す中で、国が強くなるには「自らイノベーションの道を進む他ないのである」と主張した。
 <このサーチナ自身(モチこれも習ちゃん製か)によるコメントも誤りじゃないので転載しておく。↓>
 今回のミニロケットでは今後の宇宙ビジネス開発におけるコストダウンのため、民生品の部品を数多く使用する試みが行われていたことについて、記事は一切触れていない。記事が言いたいのは結局日本うんぬんではなく、日本の失敗を話のタネにして「自前の技術開発により力を注げ」と中国国内に呼びかけることなのだろう。」
 おーカワイソ。↓
 「「どこの国の外相なのか」 韓国ユン・ビュンセ外相が袋だたき・・・」
http://news.livedoor.com/article/detail/12549005/
 パレスティナ人で、イスラエル国民になりたい人がどんどん増えてきてるのね。↓
 ・・・After years of fruitless negotiations, 36 percent of Palestinians now support a single state. Among those, some even say they would be willing to live under Jewish rule, saying they lived better before the PA came, and that Israeli bosses treated them better and paid them on time.・・・
  64 percent of Palestinians would like to see Abbas step down, and nearly 8 in 10 believe the PA is corrupt.・・・
http://www.csmonitor.com/World/Middle-East/2017/0116/Paris-disconnect-Why-many-Palestinians-don-t-want-that-two-state-solution
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太田述正コラム#8859(2017.1.17)
<米支関係史(その7)>
→非公開