太田述正コラム#8705(2016.11.1)
<プーチンのロシア(その11)>(2017.2.15公開)
 1917年にロシア革命が起こり・・・<、その後、>1922年・・・に起こったポーランド・ソビエト戦争の結果成立したリガ条約により西半分がポーランドに割譲された。
 1939年9月の第二次世界大戦の勃発により、ソ連軍はポーランドに侵攻。ポーランド東半分の占領と共に、リガ条約により割譲されていた領土を白ロシアに編入した。・・・1945年に第二次世界大戦が終わると、ポツダム会談での取り決めによってソ連とポーランドの国境が西へ移動され、ベラルーシ全域がソ連領ベラルーシ共和国となり、この地域に住むポーランド系住民は西方へ追放された。・・・これにより、ベラルーシ共和国は家系がポーランド化せずにルーシ人(ベラルーシ人)だった者か、あるいは19世紀にロシアから大量に移住してきた東欧ユダヤ系の家系の者、あるいはその混血ばかりの国家となったが、さらにロシア共和国などから多数のロシア人が移住してきた。・・・
⇒つまり、第二次世界大戦の結果、ベラルーシはロシアと同質に近い存在へと、いわば、先祖返りしたと言えよう。
 以上を念頭に置くと、下掲のような、同国の最近の動きの理解が深まる、というものだ。
 <ソ連崩壊後に独立したベラルーシの>ルカシェンコ大統領は1999年12月・・・、ロシア・・・と、将来の両国の政治・経済・軍事などの各分野においての統合を目指すロシア・ベラルーシ連邦国家創設条約に調印した。しかしその後、プーチンがロシア・・・の新大統領として就任し、ベラルーシのロシアへの事実上の吸収合併を示唆する発言を繰り返すようになると、ルカシェンコ大統領は・・・<このような形での>統合構想に反発するようになり、両国の統合は停滞した。・・・
 <しかし、>2014年にはロシア主導のユーラシア経済連合条約にカザフスタンと共に調印し、ルカシェンコ大統領はロシアとある面では敵対しつつも連携し<するに至っている。>」
⇒このほか、事実上の独立国であるモルドバ↓もあるが、立ち入らない。
 「ロシア政府の軌道から、<ベラルーシを含む、>以前ソ連であった各地を<自分達側へと>引き寄せようとしてきた欧米の諸努力に対する一撃だが、・・・モルドバで10月30日に行われた大統領選挙で、ロシアのプーチン大統領の強力な支持者が、・・・48.5%の票を獲得し・・・欧米寄りの候補者達の全員をはるかに引き離す、という結果が出た。
 <2位の候補者との決選投票が行われる。>」
http://www.nytimes.com/2016/10/31/world/europe/moldova-presidential-election-igo-dodon.html?ref=world
(11月1日アクセス)
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ところが、ロシア国内の、非プーチン派の一有力知識人の見解は、著者ら英国人達のそれとは、全く異なったものであるようなのです。
 「ロシア唯一の独立[報道]TV局・・・の元報道局長(editor)であったミハイル・ジガール(Mikhail Zygar)<(注17)は、>・・・原著が一年後に英訳で読めるようになった『ロシア政府の全員(All the Kremlin’s Men)』[(2015年)・・ロシアでベストセラーになった・・]<を上梓した人物だ。>
 (注17)1981年~。
https://en.wikipedia.org/wiki/Mikhail_Zygar ([]内も)
 モスクワ大卒、同大国際ジャーナリズム学部教授を経てジャーナリスト。
http://www.sseriga.edu/en/news-and-events/upcoming-events/mikhailzygar.html
 欧米の読者達を戸惑わせているのは、この著者が、我々がロシアの大統領に帰せしめていることの大部分は、実際には彼の企み(game)などでは全くない、と主張していることだ。
 「我々が、彼について想像していることは、実際には存在しない」、と、300頁超もの、諸権力闘争や諸政治決定がどのように行われてきたかについての内幕諸話、の後、彼は結論を下す。
 大統領本人の代わりに、我々は、100名を超える人物達(characters)の配役からなる、その取り巻き達の諸策謀を示される。
 このアプローチは、プーチンについての他の多くの諸本に比べて、ロシア政府の内部の諸作用(workings)に、より多くの光を照射するものだ。
 側近達は<それぞれ>独特だ。
 腐敗した大立者達、元諜報員達、正教徒たる保守派達、冷笑的な情報操作担当者達、そして、ナショナリストたる強硬派達、が、しばしば対蹠的に敵対する諸価値や諸アジェンダへのボスの贔屓の獲得(backing)を目指して闘い、また、しばしば、権力やカネを巡って闘う。
 <例えば、>自意識過剰で、小物類が好きな首相であるところの、ドミートリー・メドヴェージェフ(Dmitry Medvedev)<(注18)>は、経済を近代化することを欲しており、欧米と、より友好的な(amicable)関係を追求している。
 (注17)1965年~。父親は理系、母親は文系の大学教員。「レニングラード大学(現:サンクトペテルブルク大学)法学部を卒業し、・・・私法分野で博士号を取得した。その後、1990年から1999年まで<同>大学で非常勤講師として教壇に立ち、・・・私法の教科書を共著で執筆した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%89%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95
(続く)