太田述正コラム#8723(2016.11.10)
<レーニン見参(その6)>(2017.2.24公開)
 (4)旅
 「1917年の復活祭の月曜日の4月9日、連合国(Allied)諸部隊は、アラスの戦い(Battle of Arras)<(注10)>の初日に塹壕を出て攻撃した。
 (注10)「アラス(Arras)は、フランス北部、ノール=パ・ド・カレー地域圏の都市。・・・第一次世界大戦中、アラスは前線近くにあり、1917年のアラスの戦いで知られる長い軍事作戦の舞台となった。これは市の地下にある中世のトンネルの一続きが決めてとなり(ドイツ軍はトンネルの存在を知らなかった)、<英>軍がアラスを奪取することにつながった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%82%B9
 この攻勢は、詩人のエドワード・トーマス(Edward Thomas)<(注11)>を含む、英国人160,000人の命を奪うことになる。
 (注11)1878~1917年。ロンドン生まれのウェールズ系英国人たる詩人、随筆家、小説家。オックスフォード大卒。結婚し、子供が3人いたので、回避しようと思えばできたのだが、進んで軍役に服した。
https://en.wikipedia.org/wiki/Edward_Thomas_(poet)
 その当日、雪がちの朝、小さな禿のやぎ髭のロシア人が、その妻と30人の仲間達に伴われてチューリッヒ・・そこで彼は亡命生活を送っていた・・で列車に乗った。
 ・・・レーニンは、歴史の中へ急いで乗り出そうとしていたのだ。
 この年季の入った革命家と彼の同志達が占拠していたのはありきたりの客車ではなかった。
 硬い木製の諸座席の・・・普通客車は、第一次世界大戦の最中、生存をかけて闘争中のドイツを横切る、骨の折れる疾走を行った。」(A)
 
 「<それは、>3両の二等、5両の三等の客車群<からなり、最終車両にはドイツ人護衛達が乗車していた(B)ところ、>潤沢なビールと諸サンドイッチを彼らは喰らい、諸通路で諸歌を歌い、かつ喫煙し、ついには、このボルシェヴィキの指導者・・彼はこんな習慣を毛嫌いしていた・・がトイレでだけ喫煙するよう布告を出した。」(F)
 「歌唱は指定された諸時間にだけ許され<ることになっ>たし、「口角泡を飛ばす(heart-on-sleeve)」諸議論は、それに代わって、最もやかましい議論を行う者達に読むべき大量の諸新聞を与えることで決着がつけられた。
 なお、レーニンと彼の妻の・・・クルプスカヤに対しては、<レーニンは当初、>全員が平等であるとの理由で拒否していたけれど、結局、客車一両まるごとがあてがわれた。」(B)
 「この旅自体は、8日かかり、2000マイル(3200km)超に及んだ。」(C)
 「それは愉快な旅ではなかった。
 スイス当局は、彼らの諸食糧(provisions)を出発時に没収した。
 仕事の虫のレーニンは、睡眠ローテーションや唯一の便所に係る二階級の諸券<の使用>といった、ボルシェヴィキ的規律を課した。
 これに、「二つの異なった諸タイプの肉体的至上命題」という上品ぶった諸言葉で著者が表したところの、相対的に重要な喫煙と便所の使用についての多大なる口論が伴った。
 <この旅において、>一番きわどかったのは、スウェーデンからロシアへの部分だった。
 著者は、その国境で起こったことについての、相矛盾する諸説明を解きほぐす。
 レーニンと彼の一行は、故郷を目指しているジャーナリスト達である、と執拗に主張した。
 その交差路に旅券審査官として配置されていた一人の英国の諜報員が、大胆にも(gamely)、彼ら<の通過>を遅らせようとした。
 しかし、ペトログラード・・すぐにレニングラード(Leningrad)になり、今や、再びサンクトペテルブルクになっている・・<(=ロシア臨時政府)>は、民主主義国は、自国の市民達が入国するのを禁止すべきではないと信じていた。
 この<判断の>誤りによって、何百万もが死んだのだ。」(C)
(続く)