太田述正コラム#8867(2017.1.21)
<米帝国主義の生誕(その3)>(2017.5.7公開)
 (3)帝国主義
 「・・・著者は、米国の経験を、我々の英国のご先祖様達まで遡るところの、帝国主義的イデオロギーの連続体と見る。
 種々の形での拡大<志向>、は我々の国のDNAの一部なのだ、と、彼は執拗に主張する。・・・」(A)
 「・・・著者は、米国の征服への食欲に対する、今までで最も広範な告発を提供している。・・・
 彼は、米国が国になったのは、まさに、空間を所有することへの強迫観念のためである、と主張する。
 つまり、米国は、大陸的帝国たらんとしたのであって、それは、土地と諸資源を、殆どいかなる犠牲をも顧みずに獲得し、国内と外国において、主権を有する(sovereign)、国内と外国双方の人々に君臨(dominate)することを意味した。・・・
 著者にとっては、米国は、拡大し、同化させ、他の国々、主権を有する諸存在、或いは、人々、を、西半球内だけでなく太平洋においても、併合し、ないし、征服する、諸境界線なき帝国主義国でもあるのだ。・・・
⇒ここまでは、原住民との文明的格差が大きい、しかも、人口密度がアジアの原住民達に比べると低い、地域に進出した場合の(イギリスを含む)欧米諸国と殆ど同じ印象を持ちます。
 ハーンは何を力んでいるのか、という印象ですね。(太田)
 叛乱戦争(War of the Rebellion)・・著者は、「内戦(Civil War)<(南北戦争の米国における名称(太田))>」という言葉を使わない・・の何年かにおいて、米国は、陸軍、諸州、諸裁判所、及び、議会、が、労働力を、著者が言うように、「完全に諸統制下に置き(put under the thumbs)」続けることに資する、巨大な鉄道網を建設することで国民国家になった。
 著者は、こういうわけで、一般に再建(Reconstruction)として知られる、南北戦争後の期間を、単に、奴隷から自由な労働力への困難に満ちた、しばしば暴力的な変換としてだけでなく、戦後の西部及び南部において、彼が言う、「真のけん引力」でもって、資本主義を提供した司法によって支えられた「国民国家形成」の始まり、とも、みなすのだ。・・・
 これら後の方の諸章では、著者の非常に魅力的な境界線隠喩は殆ど姿を消し、やがて、彼は、20世紀の最初の10年において、「米国の国としての居住まい(natiionhood)」が十分に安全なものになると共に、米国の力の諸境界線は無限のままで維持された、ということを我々に思い起こさせる。・・・」(C)
⇒ここでは明確な記述がなされていませんが、米国は、大陸国家になるという目標を達成した段階で、諸境界線を更に遠くへという形での拡大、すなわち領域的拡大、を止め、その力の影響下に置く地域を領域(諸境界線)外で増やす、という形の拡大に切り替えたわけです。
 その理由を、私は、残された、米国が自らの力の下に置ける可能性がある諸地域が、概ね、原住民を同化させることができる可能性・・あえて言えば、これに加えて、心因性ないし病原菌性の死によって原住民人口を大幅に減少させたり絶滅させたりすることができる可能性・・が低いものばかりであったことによる、と見てきた(コラム#省略)ところです。
 そんな連中を、たとえ将来時点においても、米国市民として遇したくはない、という人種主義が、その背景にある、とも。
 この新しいタイプの帝国主義こそ、米国特有の帝国主義なのです。
 米国の元宗主国のイギリスは、この種の地域・・例えばインド亜大陸・・に関しては、領域的拡大を行いつつ、省力化統治を行うことで、費用対効果比の高い経済的収益をあげようとしたのに対し、米国の場合は、力によって睥睨することが自己目的化した、非領域的拡大を行った、という意味で・・。(太田) 
 「・・・1860年代における、奴隷所有者達の叛乱に力でもって対処して以来、新たに建設された米国民国家は、その帝国主義的な二つの腕を様々な諸空間にわたって伸ばしていった。・・・」(B)
(続く)