太田述正コラム#8945(2017.3.1)
<東は東・西は西?(その4)>(2017.6.15公開)
ウィリアム・S・クラーク(William S Clark)<(コラム#1437、1439、8408)>のような米国の農学者達は、<日本人達が>北海道<の荒野>を手懐けることを助けた。
 彼のモットーである、「少年達よ、大志を抱け」は、今日まで生き長らえているところの、開拓者的物の考え方(mindset)を例証している。・・・
 このような理由から、北海道は魅惑的であることが分かろうというものだ。
 大部分の東アジア諸国のように、日本<の人々>は、全体としては、より集団主義的にして全体論的な物の考え方を抱く傾向がある。
 しかし、この北の領域への迅速な移住は、米国の「開拓時代の西部(Wild West)」に入植しようとしての押し寄せ(rush)と似ているのだ。・・・
 豈はからんや、ミシガン大学のシノブ・キタヤマ(Shinobu Kitayama)は、北海道の人々は、他の諸島出身の日本の人々に比べて、より高い価値を、独立と個人的達成(achievement)、及び、誇り(pride)、のような諸感情、に置く傾向があり、他者達の諸見解をより少なく気に掛ける、ことを見出した。
 被験者達は、社会的思惟試験を受けることも求められ、彼らは、能力向上諸薬を使っている野球選手について議論を行うよう求められた。
 <その結果だが、>北海道以外の諸島出身の日本人達は、成功への圧力といった、文脈を探索する傾向がよりあったのに対し、北海道の日本人達は、選手の人格や彼の道徳的性格における欠陥のせいにする傾向がよりあった。
 改めてだが、この個人的諸属性のせいにする傾向は、個人主義的社会において特徴的なのであり、平均的米国人達の諸返答にずっと近いのだ。・・・
 ・・・今日北海道に住んでいる人々で自分達自身で荒野を征服しなければならなかった者は殆どいない。
 それでいて、心理学者達は、わずか54km(33マイル)しか離れていない本州に住んでいる人々に比べて、辺境精神が、彼らが、考え、感じ、そして思惟する、やり方(way)に、なお影響を及ぼしている(touch)ことを見出しつつある。
 彼らは、より個人主義的で、成功をより誇り、個人的に成長することにより大志を抱き、かつ、彼らを取り巻く人々に対してより少なくしか繋がっていないのだ。
 実際、各国を比較すると、この「認知プロファイル」は、その他の日本よりは米国に近いのだ。・・・
⇒IQの近似値とも言えるところの、小中学生(公立は強制、国私立は任意参加(注1))学力テストの都道府県別偏差値(2016年)を見ると、トップの石川県が76.98、8位の東京都が59.64であるのに対し、最低(47位)の沖縄県が33.94、北海道は下から5番目で39.32であり、
http://todo-ran.com/t/kiji/12090
どうやら、ここでも私の仮説が当てはまりそうです。
 (注1)東京都の場合、高校の学力偏差値ランキングを見ると、上位41校中、公立(都立)は8校
http://高校偏差値.net/tokyo.php
に過ぎず、上掲の学力テスト都道府県偏差値で割を食っている可能性が高い。
 興味深いのは、北海道に一番近い、秋田県と青森県が、それぞれ、3位の75.78、東京都に次ぐ9位の57.25、という好成績であることであり、北海道の人々が、日本全国の「下積み」の人々たる移住者達の子孫であることが想像されます。
 なお、ビリの沖縄県やブービーの大阪府で同様の調査を誰かやってくれないかと思うのですが、私の予想では、「東アジア」的な結果かそれに近い結果が出るのではないかと見ています。
 北海道に渡った人々は、しがらみを捨てて(都会ではなく)辺境へと故郷を出奔したという点で変わっていた上に、北海道という冬の寒さの厳しい広大な辺境で自力救済的に生き抜かなければならなかったことから、万国共通の「下積み」の人々のデフォルトたる「欧米」的な物の考え方の傾向へとリセットされた、ということではないかと・・。(太田)
(続く)