太田述正コラム#9021(2017.4.8)
<2017.4.8東京オフ会次第(その1)>(2017.7.23公開)
1 「講演」原稿の「口述」部分
 1971年7月に防衛庁(当時)に入庁した時、私(ともう1人)が東大卒で、東大紛争の影響で卒業が3か月遅れ、他の同期の連中と違って初任研修を端折られてしまったため、研修の場で示された可能性がある、軍事や安全保障に関する推薦文献リストに接することもなく、私は、軍事については、全く疎い状態だったのですが、間もなく、キャリアの先輩の関肇氏が、ご自分が主宰していた、若手キャリア達のための私的勉強会への入会を促してくれ、まずは、軍事戦略の本であるリデル・ハートの『近代軍の再建』と併せ、戦史の本である朝鮮戦争史・・タイトル等は忘れた・・を読むように言われて読んだのが、私の朝鮮戦争との最初の出会いです。
 その翌年、ジェイムス・E.アワー(Auer, James E,。1941年~)の博士論文の’The postwar rearmament of Japanese maritime forces, 1945-1971’の邦訳の『よみがえる日本海軍 : 海上自衛隊の創設・現状・問題点』
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BN07327208
https://kotobank.jp/word/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA+%E3%82%A2%E3%83%AF%E3%83%BC-1678904
が上梓され、この、朝鮮戦争時の日本の掃海部隊の「参戦」を戦後の日本海軍(海上自衛隊)の原点とする本をすぐに買って読みました。
 しかし、当時の朝鮮戦争研究の水準が高くなかったのか、私がまだこういう分野の文献を咀嚼する能力が不足していたのか、恐らくは、その両方の理由からなのでしょう、本日、これから私がお話しするようなことの片鱗すら、当時、私の頭を過ることはありませんでした。
 しかし、幹部自衛官、就中陸上自衛隊の幹部自衛官、以外の戦後日本人は、朝鮮戦争があったことくらいは知っていても、その内実についての知識はゼロに等しい人ばかりでしょうから、それに比べれば私は恵まれていた、と言えそうです。
 そのおかげで、朝鮮戦争を「講演」で取り上げなければならない、という気にそもそもなったわけですし、そうすることで、副産物として、韓国人達の対日観を説明する手掛かりを得られるかもしれない、とも思ったわけです。
 その結果は、ドンピシャ、私の予想通りでした。
 で、嫌韓論などというものは、朝鮮戦争について無知であるからこそ存在し得ている、ということを、本日の私のお話の結論にすることができたのです。
2 shihouenさんへの謝辞
 shihouenさんからの、本オフ会への差し入れは以下の通りです。
α:長島研醸 芋焼酎 島内限定 さつま島娘1800ml、
https://plus01012.office.synapse.ne.jp/yamagawaya2/cart.cgi?mode=detail&id=000270
β:かごや 胡麻きびなごx2パック
http://chinmi-kagoya.com/gomakibinago.html
γ:丸俊 かつお角煮x2パック
http://marutoshi.shop-pro.jp/?pid=58246152
 改めて、御礼申し上げます。
 みんなでβは全て平らげ、γは半分ほど食べ、αも(私は飲まなかったが)、3分の2が空になりました。
 αを盛んに飲んでいた3人のうちの1人の姿が急に見えなくなり、探しても発見できず、心配していたところ、すぐ脇ゆえ死角になっていた台所スペースで、彼が横になって爆睡しているのを、鼾が聞こえて「発見」、一安心しました。
3 ピアノ部屋にて
 質疑応答の過程で、オーディオ談義が盛り上がり、komuroアンプ/スピーカーの威力を体験しようということになり、1階のピアノ部屋へ。
 クラシックをちょっと聴いた後、熱心に推す人がいて、下掲を視聴。
 これは、J-POPと言うよりは、歌謡曲なんだそうな。
 確かに、私のジャンルではありました。↓
 欅坂46 『サイレントマジョリティー』
https://www.youtube.com/watch?v=DeGkiItB9d8
4 質疑応答(順不同。Oは私です。)
A:毛沢東の外政面と内政面の実績のギャップはどう説明するのか。
O:内政においては、彼は絶対権力者だったのだから、彼の指示にまともに反対する者などいなかったので、安易に諸政策を打ち出せた。
 それに対し、外政面では、自分自身の政治的・物理的生命、中国共産党の存否、中共という国家の存否、を賭して、自分と同等の他国の首脳達と化かしあい、捩じり合いをやらなければならなかったのだから、本気度が丸で違っていた、ということだろう。
(続く)