太田述正コラム#9039(2017.4.17)
<ナチが模範と仰いだ米国(その7)/私の現在の事情(続X91)>(2017.8.1公開)
 「第一次世界大戦が勃発するより前からすら、ドイツの学者達は、このような、米国の人種主義的な法の夥しい数に魅惑されていた。
 彼らは、それらのうち、とりわけ、人種ないしは祖先の出身国によって定義された、「市民権なき臣民達」(ないしは、他の言い方をすれば、二級市民達)という新しい範疇として同定されたところのものに関心を抱いた。
 1930年代においては、大部分の米国の諸州における人種間婚姻禁止諸法(anti-miscegenation laws)が、<彼らにとって、>もう一つの多大なる関心対象となった。
 多くの諸国が人種間での結婚は望ましくないと見てはいたものの、ナチの法学者達は、それを禁止する諸法規(statutes)の「米国以外での諸事例を発見することには苦労した」のだった。」(B)
 「著者は、ハインリヒ・クリーガー(Heinrich Krieger)<(注14)>という、1900年代初に交換留学生として<米>アーカンサス大で学び、奴隷解放者アブラハム・リンカーン、と、トマス・ジェファーソン、を褒めちぎったところの、ナチの法学者に言及している。
 (注14)1936年に『米国における人種法(Das Rasserecht in den Vereinigten Staaten)』を著した、エンジニアにして法学者(trained jurist)、
https://books.google.co.jp/books?id=qlyASmK_C0gC&pg=PA200&lpg=PA200&dq=Heinrich+Krieger;Jurist&source=bl&ots=rJ2vTe5lHN&sig=OVbnGQUNVET8k2WwSEhLs_K2jF4&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiOwImeqqvTAhWKfbwKHQlTAowQ6AEINDAC#v=onepage&q=Heinrich%20Krieger%3BJurist&f=false
ということくらいしか分からなかった。
 著者は、<有名な>1864年のより前の、アブラハムによる、黒人たる米国人達はどこか別のところに再入植すべきだとした宣言、及び、ジェファーソンによる、「<白と黒の>この両人種が、どちらも自由人として、同じ政府の下で生きることはできない」との説示(charge)」、が、クリーガーによるこの二人の歴史上著名な人物達に対する尊敬の背後の理屈としてあった、と指摘している。」(I)
 「ドイツにとって、唯一の望みはユダヤ人達の強制移住であると信じていたナチにとって、この二人の言は、輝ける二つの範例群に見えたはずだ<、と>。」(L)
⇒苦笑させられたのは、私が、わずか数年前に「発見」したところの、ジェファーソンやリンカーンの反吐が出そうな人種主義性は、20世紀初頭において、既にドイツ(の少なくともナチ「知識人」達の間)では周知の事柄であったことです。
 つくづく、戦後日本の米国観は何と歪んだものであったことか、と思います。
 勇気づけられたのは、この二人等の人種主義性を知った瞬間に、米国に対するところの、ナチスドイツに対するものに勝るとも劣らない強い嫌悪感を私が感じたことは、正しかったからです。
 何せ、米国こそ、ナチスドイツの憧憬の対象だったのですからね。(太田)
(続く)
——————————————————————————-
            –私の現在の事情(続X91)–
 最近は、ソフト、ハード、どちらにおいても、余り「壊れる」ようなことがなくなり、そういう意味では比較的平穏な日々を過ごしている反面、(K.Kさんやkomuroさんのお手を煩わせることが少なくなったことはよしとしても、)買うものが殆どなくなってしまったのは、いささかさびしい思いがしていたところでした。
 そういう中、4月8日のオフ会の前日に、(今の家に引っ越してきた折に、インターネットで買った、)リビングのイスの一つの脚が折れてしまい、ガムテープで応急措置をしたところ、オフ会当日にそのイスに座っていたら、やはり持ちませんでした。
 木製のイスって、これは低価格品ですが、そこそこ高級品でも寿命が早いというのに、このイスを私が毎日使っていたのが間違いで、真っ先にオシャカになってしまった、というわけです。
 いや、オフ会参集者諸氏からは、オシャカになったんだから捨てなさい、と言われたのですが、納得せず、12日に、自転車に乗って、コーヒー焙煎店に行きがてら、ドン・キホーテに赴き、初めて食料品売り場以外の売り場(2階)に足を踏み入れ、(別途必要性を感じていた卓上ほこり取りと)ボンドを買ってきて、それを用いてこのイスの脚をくっつけ、改めてガムテープでぐるぐる巻きにする簡易修理を施しました。
 (ちなみに、前にも触れたと思いますが、引っ越し当時は歩いて行ける距離にこの種の日用雑貨を相当量を扱った店が2軒あったというのに、その後、いずれも閉店しており、この界隈、人口増大傾向にあるというのに、店舗の大型集約化の流れをひしひしと感じます。)
 そして、今度は、(老眼鏡を除き3つ持っているうちの普段使っている2つのうちの1つの)眼鏡のレンズが片方はずれてしまいました。
 フレームの寿命ってやつです。
 (そろそろ寿命ですよ、めいたことを小田急の眼鏡ショップ(コラム#7576、7578)で言われていました。)
 今度眼鏡を買う時は、必ず小田急で、と決めていたのですが、フレームを換えるためだけに新宿まで二度も出向く気にはさすがにならず、ネットで調べて、14日、大森駅近くの銀座メガネコンタクトのチェーン店に赴き、フレームを買い、レンズ装着を依頼し、本日、同店で受け取ってきました。
 本日はそのついでに、冬のジャンパー2着、ダウンジャケット1着を、ドン・キホーテで初めて、その中にあるリッツクリーニングのチェーン店で、クリーニングに出してきました。
 (引っ越し当時の歩いて行けるクリーニング店もまた、なくなってしまっていることもあり、もう3年くらいクリーニング店とはご縁がありませんでした。)
 そうしたら、専用バッグを540円で買わされ、次回からは、セルフで機械で(専用バッグに取り付けたICカードを使って)発注するようにと言われて目をシロクロ。
 授業員は1人で、原則、受け取りの際に対応するだけ、とのことでした。
 こんな調子じゃ、数年後には、受け取りもAIがやることになりそうな予感が・・。