太田述正コラム#9063(2017.4.29)
<ナチが模範と仰いだ米国(その14)>(2017.8.13公開)
 (9)ナチスが採用しなかった考え方
 「一つの様相において、米国の人種法はナチ達にとって過酷過ぎである、と受け止めらた。
 米国では、「一滴」ルールが支配的だった。
 すなわち、16分の1しか黒んぼの血が入っていなくても、その人は黒人に計上されたのだ。
 ところが、ナチの強硬派達の、祖父母のうち一人がユダヤ人であればユダヤ人と定義すべきであるという提案は、ニュルンベルクでは承認を得られなかった。
 その代わり、4分の1、そして、2分の1、のユダヤ人達もかなり大目に見る扱いがなされた。
 半分ユダヤ人(Mischlinge)は、彼らが宗教的に<ユダヤ人として>厳格(observant)であったり、ユダヤ人と結婚していたり、しない限り、アーリア人達として計上されたのだ。」(F)
 「著者は、このような諸見解は、粗野な南部のデマゴーグ達によって抱かれていただけでなく、米国の大統領自身によっても抱かれていたことに言及すべきだった。
 (この著者によって10年超前に公開された)1939年の資料の中で、フランクリン・D・ローズベルト(Franklin D. Roosevelt)大統領は、友人であったある上院議員によって、「我々の静脈群の中にユダヤ人の血が全く入っていないことを我々は知っている」と自慢したことに言及がなされている。
 <また、>グレッグ・ロビンソン(Greg Robinson)<(注22)>教授による、ローズベルトの1920年代の諸書き物の研究は、ローズベルトによる、「白人の広範な規模での東洋の血との混和(mingling)は、我々の将来の市民資格(citizenship)に害を及ぼす」と警告した声明、<があること>を暴露した。
 (注22)NY市生まれ。ペンシルヴァニア大卒、NY大修士・博士。現在、カナダのケベック大モントリオール校歴史学教授。日系北米人史専攻。
http://www.gregjrobinson.com/
 また、(それが公での議論事項であったことから、)同大統領が、彼の政府の黒んぼの献血の分離<(=白人使用の禁止)>政策を承認したことは疑いの余地がない。」(A)
⇒当時の米国の、大統領以下、人種主義に骨の髄まで侵されていた指導層が、日本を追い詰めて開戦させた太平洋戦争が、人種主義・・この場合は黄色人種に対する人種主義・・的動機に基づいて行われたことは「疑いの余地がない」ことを、我々ははっきり認識すべきでしょう。(太田)
 (10)その他
 「現実の法制には体現されていないけれど、究極的には、ナチ達は、彼らの宣明された諸目標、と、米国の19世紀におけるマニフェスト・デスティニー(Manifest Destiny)、との間の比較を行った。
 その途上で、彼ら自身の人間以下の者ども(Untermenschen)であるところのインディアン人達を破壊しつつ、西方へと拡大することによって、米国は、それ自身の生存圏(Lebensraum)を確保した。
 ナチ達は、彼らが、後に、究極的に、そこにいた大勢のスラヴの人々に関してとった行動の指針とすべく、この事例を活用したのだ。」(E)
 「もちろん、どんなに米国の人種法が醜悪だったとしても、また、ナチ達は、しばしば、米国人達の西部の征服への称賛を表明こそした・・まさに、ヒットラーは、<米>入植者達は、「何百万ものインディアンども(Redskins)を撃ち殺して数十万までにした」と宣言した・・けれど、そこには、ナチの絶滅収容所(extermination camp)群の米国的モデルは存在してはいなかった。
 いずれにせよ、絶滅収容所群は、ニュルンベルク諸法が策定されたところの、1930年代初の年々の間の論点ではなかった。
 ナチ達は、まだ、大量殺害について思い巡してはいなかったのだ。
 彼らの当時の狙いは、第三帝国を純粋な「アーリア人の」国として維持すべく、ユダヤ人達を可能なあらゆる諸手段でもってドイツから逃亡するよう強いることだったのだ。」(L)
⇒ユダヤ人絶滅計画の発動は、1939年に第二次世界大戦が始まってから、ナチスドイツが英国侵攻を断念し、独ソ戦を開始した1941年6月前後であり、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88
私は、これが当時のドイツ国民の過半の意志に基づき、下剋上的に、ヒットラーの真意には必ずもそぐわないにもかかわらず実施に移されたものである、とかねてより見ている次第ですが、仮に、太平洋戦争が日本有利の内に進行し、米本土にも戦火が及ぶようになっていたら、同様の絶滅計画が日系人達に対して発動されていた可能性は高い、とも申し上げているわけです。
 ローズベルトがヒットラーとは違って本物の人種主義者であったことも、ぜひ想起してください。(太田)
(続く)