太田述正コラム#9133(2017.6.3)
<武光誠『誰が天照大神を女神に変えたのか』を読む(その6)>(2017.9.17公開)
 「天照大神<(注17)>は、きわめて複雑な性格をもっている。
 (注17)「『古事記』においては天照大御神(あまてらすおおみかみ)、『日本書紀』においては天照大神(あまてらすおおかみ、あまてらすおおみかみ)と表記される。<後者では、>別名<を>大日孁貴神(おおひるめのむちのかみ)<としている。>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E
 天照大神が天の世界つまり高天原を治める太陽の神である点は、疑いがない。
 しかし天照大神は、皇祖神(皇室の先祖の神)、稲の神、食物の神、水の神、風の神、雪の神、巫女の神、織姫の神などのさまざまな機能をもつ神として、日本神話やその他の伝承の中に現われる。<(注18)>
 (注18)「稲の神」、「織姫の神」については、「天照大神は太陽神としての一面を持って・・・いる<ほか、>・・・皇室の祖神(皇祖神)とされる・・・が、神御衣を織らせ、神田の稲を作り、大嘗祭を行う神で<も>ある」(上掲)から、正しそうだ。
 「食物の神」としては、保食神(うけもちのかみ)神話
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BF%9D%E9%A3%9F%E7%A5%9E
に照らして、正しそうだ。
 「水神」としては、「水神や祓神、瀧神、川神である<ところの、>・・・瀬織津姫は天照大神と関係があり、天照大神の荒御魂・・・とされることもある」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E7%B9%94%E6%B4%A5%E5%A7%AB
ことから、やはり、正しそうだ。
⇒「風の神」としては、「伊勢神宮には内宮の別宮に風日祈宮(かざひのみのみや)、外宮の別宮に風宮があり、どちらも・・・シナツヒコ<、但し、それぞれ、>・・・級長津彦命と級長戸辺命を祀っている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%8A%E3%83%84%E3%83%92%E3%82%B3
ところですが、この神は、あくまでも、天照大神とは別物ではないでしょうか。
 また、「雪の神」については、ネット上で、発見することができませんでした。
 更に、「巫女の神」については、「天照大神<を>・・・祭祀を行う古代の巫女を反映した神とする・・・折口信夫<の>・・・説もある<ものの、>日本語においては「メ」は「女」をさす音であり(ヒメ、ウズメ、ナキサワメなど)、女神の名で「メ」を「妻」「巫女」と解釈する例はないともいわれる」(上掲)ことから、これは特異な一説に過ぎないようであり、武光は、あたかもそのような伝承があるかのような記述をすべきではありませんでした。(太田)
 『古事記』などの神話は、天照大神を女性の神としている。<(注19)>
 (注19)「アマテラス<を>・・・『日本書紀』ではスサノヲが姉と呼んでいること、アマテラスとスサノオの誓約において武装する前に髪を解き角髪に結び直す、つまり平素には男性の髪型をしていなかったことに加え、機織り部屋で仕事をすることなど女性と読み取れる記述が多いこと、・・・<そして、>男女一対の言葉の対象性は、「ヒコ・ヒメ」、「ヲトコ・ヲトメ」、「イラツコ・イラツメ」など、古い日本語に伝統的に見られる<ところ>、<おおひるめのむちのかみという別>名<(上出)>からも<、アマテラスを>女神ととらえることが順当である。・・・
 <ところが、>平安末期の武士の台頭や神仏混淆が強まると天照大御神を男神ではないかとする説が広まり、中世神話などに姿を残した<(★)>。・・・
 平安時代、すでに大江匡房は『江家次第』で伊勢神宮に奉納する天照大御神の装束一式が男性用の衣装である事を言及して<いる。>」(上掲)
 なお、★は、京都大学教授上島享(1964年~)の説だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B3%B6%E4%BA%AB
 また、「中世神話<ないしは>・・・中世日本紀(ちゅうせいにほんぎ)は、日本中世において、『日本書紀』等に基づきながらも主に本地垂迹説などに則り多様に解釈・再編成された神話群の総称」だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E4%B8%96%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%B4%80
 しかし天照大神に関する古い伝承の中には、天照大神を男性の神として扱うものもある。
⇒ネット上で、すぐには、そのような「古い伝承」を見つけることはできませんでした。
 本当にそのような「古い伝承」があるのであれば、武光には、その内容を若干なりとも具体的に記して欲しかったところです。(太田)
 そして天照大神を男性の神とする言い伝えの中には、天照大神が蛇の姿をしていたとするものもみられる。<(注20)>
 (注20)〈明治初年まで伊勢皇大神宮(伊勢神宮内宮)の祠官を世襲した・・・荒木田氏〉に伝わる伝承。
http://sekainoura.net/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E.html (←このサイト自体の信頼性には疑問符が付くが・・。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E6%9C%A8%E7%94%B0%E6%B0%8F (〈〉内)
 この伝承を踏まえ、吉野裕子[(1916~2008年)]は、「猿田彦=五十鈴川の神(『日本書紀』)  五十鈴川=竜蛇=伊勢大神(古伝承) 」という説を唱えている。
http://y-sonoda.asablo.jp/blog/2009/09/03/4559931
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E9%87%8E%E8%A3%95%E5%AD%90 ([]内)
 弥生時代に日本に農耕が広まったあと、農耕神の信仰が発展していった。
 農耕神は最初は目に見えない神とされていたと考えられるが、やがて蛇の姿をした農耕神を祭る習俗がさかんになっていった。
 大国主命も古くは、蛇の姿をした農耕神であったとみてよい。
 これと別に天照大神のような日本の女神の信仰の起源を辿っていくと、縄文時代の土偶<(注21)>祭祀につらなっていく。」(36~37)
 (注21)「縄文時代に沖縄県を除く地域で製作された。・・・世界的には、こうした土製品は、新石器時代の農耕社会において、乳房や臀部を誇張した女性像が多いことから、通常は、農作物の豊饒を祈る地母神崇拝のための人形と解釈されることが多い。ただし、世界史的には、狩猟・採集段階の時代のものとしての類例があまりない。・・・現在までに出土している土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものも多い。・・・全体は人間の形に作り上げられているものの、頭部・胴部・手足などは抽象的に表現されている。しかし、乳房・正中(せいちゅう)線・妊娠した腹部・女性器・臀部など特定の部分だけ具体的に表現されたものが多い。ほとんどの土偶は女性型であるが、・・・男性型の土偶も数点出土している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%81%B6
(続く)