太田述正コラム#9315(2017.9.2)
<進化論と米北部(その8)>(2017.12.16公開)
 この男性達は、この本に注意を引き付けられたが、コンコードの女性たる読者達も同様だった。
 その中には、オルコットの娘のルイーザ・メイもいた。
 彼女は、<『種の起源』に>鼓吹され、彼女による古典たる『小公女(Little Women)』とは似ても似つかない、人種をテーマにし、大いに金儲けになったところの、<いわゆる、>沸騰もの群(potboilers)を書いた。
⇒彼女の邦語ウィキペディアにも英語ウィキペディアにも、それらしき小説への言及はありませんし、そもそも、沸騰もの(potboiler)という言葉は、邦語ウィキペディアにだけ登場します。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%BC%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%88 前掲
 彼女は婦人参政権論者でもあったけれど、しばしば、作家としての業績中最も重視したのは奴隷制廃止論者としてのものである、と自分自身、述べていたこと
http://wp.lasalle.edu/gb/2013/05/08/527/
に照らせば、両ウィキペディアがこの点を無視しているのは困ったものです。
 彼女は、政治や社会問題に関する自分の文章を真剣に受け止めてもらうために、男性のような響きのするペンネームを用い、「アトランティック誌(The Atlantic)」に様々な種類の諸文章を書いたのですが、彼女(彼?)が最も知られていたのは、その奴隷制廃止を訴える諸物語によってであり、その稿料として、一篇10~100ドルも稼いでいた、といいます。(上掲)(太田)
 ・・・著者が説明するように、ダーウィンの、「修正を重ねる<種の>系統(descent through modification)」<なる観念>が、いかに奴隷制に不利な烙印を押しているかを、奴隷制廃止論者達は、直ちに理解した。
 米国の大部分の人種学者達(ethnologist)が、黒人達が、「より劣った知的諸能力を持って」白人達とは別々に創造された、と信じていた時代にあって、ダーウィンは、「ある人種が他の人種に由来(derive)しうる」<との考え方>を確立した。
 あらゆる諸種の代表は、「何らかの原型(prototype)」に由来する、と彼は述べた。
 著名な諸書評、学術諸論文、諸講演、そして、私的、公的な議論、において、ダーウィンの科学は、普遍的な人間の連帯感(fellowship)という、強固な観念を生み出した(accompanied)。
 『種の起源』が広範に伝播したことに伴い、この本が。沢山の異なった形で解釈されるようになるのは不可避だった。
 そして、読者達は、しばしば、<その中で>書かれているものから、自分達が欲するものだけを採るものだ。
 例えば、奴隷制廃止論者達は、自分達が、自然淘汰から、「生存と進歩は、終わることなき戦闘によって、すなわち、死に至る諸闘争によって、燃料をくべられる」ことを学び、これが、奴隷保有諸州に対する全面戦争を正当化する、と考えた。
⇒一旦正しいと確信を持ったら、それを暴力でもって他人に押し付けることが許される、との考え方は、何も、ダーウィンが米国人達に教えたわけではなく、かつての英領北米植民地の住民達のうち、米独立戦争を主導した人々の考え方そのものだと思います。(太田)
 この世紀において、後に、保守反動家達は、この「適者生存」という言葉を、差別的人種諸政策、貧者への無関心、そして、無法の諸市場(marketplaces)、を擁護するために悪用することになる。
 『米国を変えた本』は、甚だ面白みのないタイトルであるところ、著者は、この本のバカでかい提論・・米国において、『種の起源』が、南北戦争に匹敵する、『画期的な変化と予期せぬ諸余震」を生み、「抱懐していた思考の諸形を変更し、社会を作り替えた」・・を論証することに失敗している。・・・
 <とまれ、>あらゆる所に、『種の起源』を、その自然世界の注意深い観察の故に尊敬したところの、偏見のない読者達がいた。
 彼らは、厳密な諸議論の諸転変(turns)を追いかけた。
 最も重要なのは、彼らが、ダーウィンの本を、科学と理性・・この諸価値は米国史の最善の諸部分と一体になりつつあり、依然として、とりわけ現在、米国性(American character)の最善の諸部分であり続けている・・の勝利である、と認識したことだ。」(C)
⇒トランプの時代にあって、この書評子の、こんなお国自慢を聞かされるのは、たまったものではありません。(太田)
(続く)