太田述正コラム#9389(2017.10.9)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その26)>(2018.1.22公開)
 (6)著者に対する批判
 「「私は、世界の救済については、平静で明晰な諸頭とそれらが可能ならしめる智慧、を通じて、その醸成(cultivation)が確保されうる、と思う」、と著者は記している。
 しかし、何億人もの人々が自発的に瞑想を採用するなどという可能性は無に等しいほど小さいと考えられる。
 人間の性質の十把ひとからげの改変に依存する未来の救済のヴィジョンは妄想であり、瞑想は、この妄想からの著者の救出まではしてくれていない。」(A)
⇒念的瞑想(のみ)によって人が悟りを開く(人間主義者になる)ことはありえないことを我々は知っていますが、この批判は、仮に、念的瞑想(のみ)によって人が悟りを開くことができたとしても成り立つ・・世界に悟りを開いていない人がいる限り、悟りを開いた人々の集団は持続できない・・ところが、まぐれ当たりながら、面白いですね。(太田)
 「ここで提起されるべき重要な諸疑問がある。
 迫りくるように見える社会的諸大災厄を防止するのに間に合うように、<瞑想者を、>個々の個人達から諸集団へとどんどん増やしていくことが、一体どうしたらできるというのか。
 <それに、>若干の個々人にとって、瞑想の成功裏の実践と毎日の生活における諸不安の実際の減少が、創意に富んだ文化的諸解決によって社会的諸危機を解決しようとするよりも、これらの諸危機に対して不感症的に対応する気にさせる(induce equanimity)のではないかとも思う。
 個々人のセラピーと社会の救済とは、勿論、両立不可能ではないが、私は、この二つは容易に切り離されうるのではないか、という疑いを持っている。・・・
 あえて言うが、大部分の瞑想的諸状態においても若干の主観性は当該個人の生物学的諸利害の代表として残るのだ。
 私の想像する限りにおいて、主観的価値の完全な消滅は「どこからでもない見方」を招来してしまう。
 しかし、それでは、その見方は、一体誰のものなのだろうか。
 そして、それが我々<人間>のものではないとすれば、我々は、どうやって、そんな、空、などといった見方を、追求することはもとよりだが、認識するに至るのだろうか。」(B)
⇒この書評子もまた、悟りとは人間主義者になることであると知らずして、つまり、悟りを個人主義的なものと誤解しつつも、まぐれ当たりで、鋭い問題提起をしています。
 つまり、これは、人間主義者、ないし、人間主義社会、は、非人間主義者、ないし、非人間主義社会、に対し、人間主義の観点から、或いは、人間主義化させるべく、積極的な働きかけをしないのではないか、という問題提起になっているのではないか、ということです。
 人間主義的非人間主義性を放擲した戦後日本人が、外国への人間主義の「強制」普及どころか、鈴木大拙らのごく僅かの例外を除いて、人間主義についての情報発信すらまともに行ってこなかったことを想起してください。(太田)
 
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[人間主義的非人間主義者たる日本人達による東アジアへの人間主義普及の試み]
1 朝鮮出兵
 秀吉が長生きしていたら、現地で族生した親日勢力もあり、朝鮮半島に人間主義が普及していた可能性が高い。↓
 「朝鮮の史料<の>宣祖実録(25年5月の条)には「人心恨叛し、倭と同心」と認め、宣祖が「賊兵の数、半ばが我が国人というが、然るか」と臣下に尋ねたと記述されており、王都を捨てて逃亡する王には、・・・投石する百姓が絶えずに衛兵もこれを止めることができなかったという。また、金誠一の『鶴峯集』にも「倭奴幾ばくもなし、半ばは叛民、極めて寒心すべし」という記述があ<る>。・・・『壬辰戦乱史』の著者李烱錫は、李氏朝鮮が「分党政治と紀綱の紊乱、社会制度の弊害と道義観の堕落、朝臣の無能と実践力の微弱性、軽武思想と安逸な姑息性、事大思想と他力依存性、国防政策の貧困」などの弱点を露呈していたことが侵略を受ける間接的要因となったと総括する。また・・・、<うち続く悪政の結果、>当時の朝鮮半島の人口は日本の1/4に過ぎなかった・・・。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9
2 日韓併合
 日本の朝鮮半島統治がもっと長く続いていたら、現地に元々親日勢力が存在していたこともあり、朝鮮半島にも人間主義が普及していたことだろう。↓
 「1909年12月4日、大韓帝国で親日団体一進会(・・・数万人程度)が・・・韓日合邦を要求する声明書・・・<を>皇帝純宗、韓国統監曾禰荒助、首相李完用に送った。・・・
 この声明書の中<に>、「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである<・・・」とある。>・・・
 李容九は、・・・両班による下層階級への搾取虐待を朝鮮人自身の力で克服することを不可能と考えており、日本との合邦によって初めてこれが実現できると信じ<るとともに、>・・・アジアが団結して欧米帝国主義の侵略を阻止すべきであると主張<していた。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E6%97%A5%E5%90%88%E9%82%A6%E3%82%92%E8%A6%81%E6%B1%82%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A3%B0%E6%98%8E%E6%9B%B8
3 戦前・戦中における日本の満州保護国化と支那本土における親日政権樹立
 きりがないので簡単に記すが、毛沢東が日本オタクであったこともあり、当時の日本の、仁政と表裏一体の関係にあったところの、人間主義普及の試みは、今日における、中共当局による、全人民向け人間主義情宣もあって、次第に実を結びつつある。
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(続く)