太田述正コラム#9423(2017.10.26)
<定住・農業・国家(その10)>(2018.2.8公開)
 この証拠から我々が引き出すことができるもう一つの結論は、禾穀作物類と最初の国家群の誕生との間には、枢要なる直接的な繋がりが存在するということだ、と著者は言う。 禾穀穀物類が人類の唯一の基本食料品だったということではない。
 つまり、それらは、単に、国家群の形成を促進した禾穀作物類だった、というだけのことだ。
 「歴史には、イモノキ(cassava)、サゴ(sago)、ヤマノイモ(yam)、タロイモ(taro)、オオバコ(plantain)、パンノキ(breadfruit)、或いは、サツマイモ、が形成を促進した国家群の諸記録はない」、と彼は記す。 
 穀物類はどこがそんなに特別だったのだろうか。
 誰でも、連邦所得税納税申告書(Form 1040)に記載したことがある人であれば、その答えは成程と思うことだろう。
 すなわち、穀物類は、他の作物類とは違って、課税が容易なのだ。
 (じゃが芋類、サツマイモ類、イモノキ、のような)若干の作物類は、埋まっているので徴税者から隠すことが可能で、かつ、仮に見つかったとしても、それらは、一つ一つ苦労して掘り起こさなければならない。
 (特にマメ科植物のような)他の作物類は、異った諸間隔で成熟したり、一定の未成熟・成熟の軌跡を辿らず、育成している間中収穫をもたらす。
 換言すれば、徴税者は、一度やってくるだけでは、その役割を適正に果たすことができないのだ。
 著者の言葉だが、穀物類だけが「目に見える」、というわけだ。・・・
 農業の生産物に課税し余剰を抽出する能力が、著者の説明では、国家の誕生、そしてまた、諸階統制、分業、(兵士、聖職者、召使、行政官といった)諸専門職、更にまた、彼らの上に君臨する一人の選良、からなる複雑な社会群の創造、をもたらしたのだ。
 この新しい国家群が、禾穀作物類に灌漑するために巨大な量の肉体労働を必要としたことから、これら国家群は、また、奴隷制を含む、強制労働の諸形態も必要とした。
 そして、奴隷達を見付ける最も容易な方法は彼らを捕まえることだったことから、この国家群は戦争を起こす新しい性向を持っていた。
 最初のメソポタミアの国家群に関する、人間の歴史の最初期の諸イメージは、首枷群と共に行進させられている奴隷達のものだ。
 これに加えて、頻発する諸疫病、と、初期の定住コミュニティ群における一般的な悪しき健康、があった。・・・
 戦争、奴隷制、エリート達による統治、は、文字<(注18)>、という、もう一つの新しい技術によって、より容易化された。・・・
 (注18)「楔形文字(cuneiform)は、現在知られている文字体系で最古のもののひとつである。紀元前3500年頃にメソポタミアで誕生した。粘土の板に葦の尖筆を押し当ててくぼみをつけることによって文字を記す。尖筆を粘土に押し当てて引くと、ちょうど楔のような形のくぼみができるので、この名がある。粘土に書いた文字は簡単に書き直すことができるし、いっぽうで乾かせば書いたものをかなりの期間保存できる。長期の保存が必要な場合は焼くこともある。現在残っている楔形文字資料の多くは、火災や戦災によって焼かれたものである。・・・もっとも古いものはウルク文字(古拙文字とも)で、イラク中部のウルク・・・から出土し、紀元前3100-3000年頃のものである。・・・
 <ちなみに、>エジプトヒエログリフ<(象形文字)>のうち、発見されている最古の文字資料は紀元前3100年から3000年ころの先王朝時代末期のものである。」」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%AD%97
 また、「インダス文字またはインダス印章文字とは、インダス文明のMature Harappan期(紀元前2600年-紀元前1900年)にハラッパーやモヘンジョダロなどの文明の中心都市で使われた象形文字である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%80%E3%82%B9%E6%96%87%E5%AD%97
 更に、「<支那で>甲骨文字・・・が出来上がったのは約3300年前<(紀元前1300年頃)>のこの頃だと考えられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E5%AD%97
(続く)